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RAPTORS



 日も沈み、黒鷹と隼は自分達の天幕へと向かった。
 急拵えの陣な上に、いつ敵の襲撃があるかも知れないという理由で二人同じ天幕を使う事にした。
 鶸も一緒に入りたいと言い張っていたが、三人では狭くなる。それ以上に、何だかんだ言って黒鷹は女だからと却下された。
 当然、隼は良いのかと鶸は食い下がったが、今まで何回一緒に寝起きしてると思ってんだと相手にされない。
 旦毘が現れたので鶸も大人しくなってくれたのだが。
「お前の言い草はややこしいぞ」
 黒鷹は心底可笑しそうに隼に言った。
 簡素な机に着き、報告書の類に調印している。
「何考えてんだよ。事実だろ。何年側近やってると思ってんだ」
 隼は自分の寝台に寝転がっている。
「まぁ、今まで襲うならいっくらでも好機はあったよな?」
「だから何考えてんだ。第一、今の体力じゃ俺が襲われる事は有っても俺が襲うなんざ有り得ねぇ…っつか何より相手を選ばせろ」
「ひどー」
 黒鷹は頬を膨らませる振りをしながら顔は笑っている。
「本当に警護する気有るなら、その格好はやる気無さ過ぎだろ」
 隼は気怠げに寝返りをうつ。
 ふと、黒鷹は笑いを掻き消した。
「…苦しいのか?」
 隼はやや慌てて顔を起こし、かぶりを振った。
「まだ大丈夫だ」
「なら…良いけど」
 黒鷹は作業を再開する。
 いかに二人きりとは言え、隼がこうもだらだらした格好をしている事はあまり記憶に無い。
 薬が効いているとは言え、体力的に厳しいのだろうと黒鷹は察した。
「先に寝ても良いぞ?」
 気を遣って言ったつもりが、睨まれてしまう。
「あんまり人を病人扱いするんじゃねぇ」
「だって病人じゃんよ!?」
「やりたい様にするから口挟むなっつってんだ」
 なんだか理不尽な気がして今度は本気の膨れっ面を作る。
「はいはい」
 むくれたまま流してやった。
 しばらく書面を筆が走る音だけが天幕の内を満たした。
 隼が咳をする。
「…大丈夫か?」
 そう酷い咳ではないので言葉だけ掛けた。
 手は休めない。さっさと雑用は終わらしてしまいたい。
 咳の合間に、ああ、と隼は苦しげに応じてまた咳をした。
 やっと途切れる。足りない酸素を補おうとする呼吸音。
「…悪いな。邪魔して」
「ううん」
 首を振って、しばらく間を置き、なあと声を掛けた。
 それは全く同じ言葉を掛けた隼の声と重なって。
 一瞬、二人とも沈黙した。
「…何だよ」
 隼が先に業を煮やして問い掛ける。
「お前先言えよ」
「お前が言え」
 不毛な譲り合いをしてしまう。
「じゃあ…言うけど」
 黒鷹が何故か釈然としない顔で切り出した。
「この戦って必要有ると思うか?」
 隼は寝転んだまま、こちらを険しい顔で見詰める黒鷹を見た。
 実際は少しの間だったのかも知れないが、そうしている沈黙が、黒鷹には嫌に長く感じられた。
 そのくらい隼の顔には表情が無く、怒っている様にも見える。
 慌てて言葉を付け足した。
「ちゃんと戦はするよ!?そりゃ攻めて来られたら迎え撃たなきゃいけねぇし!!ただ」
「他に方法は無いのかって言いたいんだろ?」
「あ…うん。そう、そういう事」
 ぴたりと言い当てられて、怒らせたという杞憂による勢いを削がれた黒鷹。
「お前今日ずっとそれ考えてたろ?」
「…何で分かるんだよ」
 溜息混じりに隼は教えてやる。
「毎度毎度戦の度に憂鬱そうな顔しやがって。パターン化してるんだよ。いっつも考えてる事は同じだ」
「…まだ二回目くらいだよっ」
「前例としては十分だ」
 黒鷹はぶつぶつ反論を言っているが、隼は耳に入れなかった。
「まあ…解らない事も無いけどな」
 黒鷹は、ほぇ?と間の抜けた声で訊き返した。聞こえていなかった。
「…何でも無い」
 聞く気が無いならいい、と言わんばかりの溜息。
「何だよぉ…言いたい事有るなら言えよ…。…あ、そう言えばお前はさっき何言いかけたんだ?」
「あ?ああ…」
 隼は振られてもまだ話す言葉を迷っている様だった。
 逡巡し、やがて意を決して、言った。
「この戦に負けた時の事だ」
 黒鷹がぱっと頭を起こして隼を見た。
 驚きと言うよりも、覚悟していたものが来た、という表情で。
「根が加わった以上、負け戦とは思わねぇが…それでも勝つのは難しいと思っている。勢いはどう見ても向こうの方が強い。しかも大砲の様な兵器を使われたら手が出せない」
 空気の汚れも倍増する。根の兵の大半は動けなくなるだろう。
「だから…はっきり言って、負けは覚悟しておいた方が良いと思う」
「うん…そうだな」
 素直に同意する黒鷹。それを受けて、隼は意外な事を口にした。
「悪いな」
「…え?」
「勝てって言ってお前に戦をさせたのは、俺なのに」
 黒鷹が天から戻り、囚われた民を目にしたあの日。
 “勝たなきゃ意味が無い”そう言って黒鷹に託した戦。
 あの時はまだ、こんな大きな事になるとも思わずに。
「いいよ…お前はやれる事は全部やったもん。地の為に」
 隼は小さく頷いた。
「それで、負けた時どうするかって話だろ?」
 今度ははっきりと頷いて、隼は話し始めた。
「…光欄とは話を着けたんだが、地の民は根に逃れる事にする。これは良いな?」
「ああ」
 隼の口ぶりからして、他にも確認事項が有るのだろうが、黒鷹には見当が付かない。
 それは黒鷹にとって、心外と言って良い程に意外な事柄だった。
「お前も根で密かに匿って貰う事にした。誰かが裏切って売り飛ばさねぇ様に、あとちゃんと世話して貰える様に、光欄の身内としてな」
「…えっ…」
 思ってもみなかった言葉に固まる。
 そもそも、戦に負ければ王は――
「負けたら…首落とされるモンだろ、普通…」
「そうさせない為に言ってんだ。当然だろ」
「当然って…!!それじゃ戦が終わらねえだろ!?誰かが責任取らない事には、天は攻め続けなきゃいけなくなる!!俺は根まで戦場にしたくはない!」
 目を閉じて黒鷹の反論を聞いていた隼は、低く一言だけ応じた。
「…分かってる」
「本当に分かってんのかよ…!?犠牲は増やしたくないのはお前も同じだろうけど…。その為には俺が責任負うしか無ぇんだぞ…!?」
 翡翠の瞳が開く。
 それは厳然な程真っ直ぐに、黒鷹に向けられて。
「俺がお前を殺す為に戦を始めたと思うか?」
 黒鷹はあまりの言葉に何も返せなかった。
「俺は今までにも負けた時の覚悟を考えて無かった訳じゃない。お前は犠牲にしない。絶対に」
 死ぬのは俺だけで十分だ、と隼は言った。
「…それって…どういう…」
「この戦の全責任は俺に有る。そいつを綺麗に落し前付けて逝かなきゃ筋が通らねえだろ」
 黒鷹は思わず立ち上がった。
 しかし思考が廻らず、目も口も開いたまま隼を見下ろしていた。
「未成年の王を戦に向かわせた指導者、しかも根を統率者の後継…『俺が戦を始めました』って自供すれば、天の奴らも納得するだろ。縷紅って証人も居るし。熱狂する民も曝し首を見れば少しは満足するモンだ。そうすれば天は無駄な戦はしない。根に分け入ってまでお前を探し出す事なんざ、多少はあっても深くは突っ込まないだろう。根の軍事力とまともに当たるリスクのが大きいからな」
 唖然としたまま隼の話を聞いた黒鷹は、突如飛び掛かり胸倉を掴んだ。
 もう言葉を探せる余裕も無かった。己の心を伝える手段はそれしかなった。
 引っ張られるがまま寝台から浮いた隼の顔は、ぴくりとも動かなかった。
「お前、そんな事――お前っ…!!」
 叫ぶ。意味を成さなくとも。
「嫌だ!!絶対に嫌だ…そんなの…!」
「なら分かるだろ。俺も同じだけ嫌なんだ。お前を…死なす事は」
 はっと、隼を見た。
 冷え切っている様で、優しい緑の眼。
「生きろ…生き延びろ、クロ」
「……」
「お前はそうしなきゃいけない。俺はどの道もう長くはない。でもお前は生きられる。この世界の行方を見なきゃいけないんだ…俺が見る事の出来ない世界を…」
「隼…」
 掴んでいた手を離す。
 代わりに、隼の手を握った。
 あまりに細く、骨張った指に、心臓が震えた。
「そうすると言え、黒鷹」
 天井を睨んで隼は言った。
「今、誓え。必ず生き延びると」
 黒鷹は直ぐには応えられず、整った白い横顔に目を向けて。
 俯いてふうっと息を吐き、少し笑った。
「命令されるのかよ、俺」
 王様なのに、と半分笑いながらむくれて見せ、言った。
「俺は生きる。お前の分まで生きるよ。これで良いか?」
 やっと、隼も、少しだけ笑顔を見せた。
「ああ。良い事にしてやる」
「何だよエラソーに」
 二人は笑った。
 以前ならこのまま口喧嘩になっていた所だろう。
 今、そうはならないのは、成長した証なのかも知れない。
 しかしそれ以上に、時間が限られ迫っている事を、二人とも知ってしまったから。
 笑っても、どこかに――何かしこりの様な引っ掛かりが残るのだ。
 寂寥という名の。
 もう腹の底から笑い合う事も喧嘩する事も出来ないと、黒鷹は感じていた。
 それが如何に貴重な事だったかも。
「隼」
「ん?」
 堪らなくなって名前を呼ぶ。
 応じてくれる存在がある。
 黒鷹は、それから何も言えなかった。
 隼が問おうとした時。
 黒い影が、天幕の扉を開けた。
 さっと隼が身構える。
 だがそれは敵ではなく。
「茘枝…!?」
「天が動いた」
 口早に彼女は告げた。
「この時間に急襲をかけるつもりらしいわ。ほぼ総力を上げて来てる」
「何…!?」
 敵は確実に勝つ為に動いている。手段を選ばずに。
 奇襲など今までの天ならば考えられなかった。
「敵はかなりの速度で来てる。夜半過ぎにはここは戦場になるわ…こちらに態勢を整えさせる暇も与えないでしょうね」
 後は隼に任せると暗に言う様に目を向けて、茘枝は他の天幕にも知らせる為、闇に消えた。
「…クロ」
 呆然と闇を見詰めている黒鷹に声を掛ける。
「ああ…大丈夫だ」
 疑わしげに隼はちらと黒鷹を窺い見た。
 今までの『仮に負けたら』という話が、今、現実になろうとしているのだ。
「退却するぞ」
 黒鷹は驚いて隼を見た。
 そこで言いたい事はいくらでも予測が付いた。言わせる前に一蹴する。
「生きると誓った以上、果たせ」
 いざという時――つまりこういう時、黒鷹を迷わせ手遅れにさせない為に。
 隼はこの誓いを立てさせた。
 だから迷いを生む発言は、許さない。
「お前は兵を先導して本陣に戻れ」
「お前は?」
 黒鷹に訊かれて、刺々しい空気が少し和らぐ。
「お供するさ。まだ、な」
 黒鷹は頷き、天幕を出た。
 外気は冷たく、霧が出ていた。
 視界が利かない。戦うには圧倒的に不利だ。
――何のために。
 何のために、ここまで走ってきたのか。
 この夜に全てを失う為ではない。
 何より大切な存在を失う為でも。
「…逃げるんだ、今は」
 答えを、思い出す為に。
 霧の中を、探りながら、歩んだ。





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