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RAPTORS




「待ってたぜ、縷紅」
 街外れの墓地。
 木の茂るこの場所の、一際大きな木の下に、目的の人物は居た。
 己を呼び寄せた男。
 王の首を取り、その地位に成り代わった――
「王にあるまじき事ですね。敵を呼び寄せながら、供も付けず一人で待ち受けるとは」
 右半身を引きずって縷紅は近付く。
 脇腹の傷はまだ完全に癒えていない。
「今のお前に会うのに供が要るか?尤も、完治していても一人で待ってるけどな」
 緇宗は笑って、自ら縷紅の方へ歩み寄った。
 縷紅は動きを止め、警戒して待ち構える。
「赤斗の代わりに留めを刺すおつもりですか」
 緇宗は笑みを浮かべたまま、剣を抜いた。
 空を斬り、切っ先は縷紅の首へぴたりと向けられる。
「だとしたら、どうする?」
 縷紅は動じなかった。
「為す術はありませんね。斬られるより無い。ただ、黙って斬られるつもりはありません。でなければ貴方の元にのこのこと現れはしない」
 緇宗は鼻で笑う。
「地を攻めるなと言いに来たのだろう」
「ええ。伏して頼めば聞いて下さいますか」
 緇宗は剣を鞘に納めた。
「聞けんな。何をされようが」
「ならば今この場で戦を終わらせるのみです」
 縷紅は自らの剣を抜き放った。
 緇宗は納めたばかりの剣に手をかける事もしなかった。
「おいおい、戦を終わらせるとか言って、自分の人生を終わらせるのか?」
 縷紅は応えず、剣を構える。
 やれやれ、と小さく緇宗は呟いた。
「墓地で死ぬなら始末に良いけどな。尤もここに誰が眠っているか――お前、知っているか?」
 縷紅は怪訝な顔で、小さく首を振った。
 緇宗は背を向け、墓に向かう。
 足元の石に刻まれた文字を、見下ろす。
「かつての俺の上官であり――…お前の、実の父親だ」
「……そんな」
 呟いて、それ以上は言葉にならなかった。
 足を引きながら、倒れ込むように駆け寄る。
 剣は落ちて、高い音を発てた。
 墓石には、知らぬ名が刻まれている。
「どうして…」
 血の通わぬ名前を指先でなぞりながら、縷紅は言った。
「どうして今、ここに…」
「約束だったからな」
「……」
 見上げる顔。
 くっきりとした目。その紅い瞳は、子供の頃のままで。
 その顔に、緇宗は穏やかな微笑を向けた。
「ここで果てるくらいなら、死んだつもりで生き直したらどうだ?その命、俺が拾ってやる…もう一度」
 柳眉が僅かに潜められる。
「もう一度、俺の下に来い」



 旦毘は街を歩きながら、腸(はらわた)が煮え繰り返る思いだった。
 嫌でも聞こえてくる声。
 地を取り戻せ、地の輩は愚かだ、奴隷の分際で、殺してしまえ――
 そんな声がそこここから聞こえる。
 聞く度に、怒鳴り込んでやりたいと思う。
 二の腕に彫られた東軍の青刺を見せ付けてやりたい、と。
 これを見れば、武器すら持った事も無い様な連中は恐れ戦くだろう。東軍の存在は平民にも知れ渡っている。
 蛮族としか思っていないのだろうが、しかしそれだけに恐れられている。
 そんな存在がいきなり城下街に現れて、襲い掛かれば――
 駄目だ。そんな事何にもならない。自分に言い聞かせながら、外套越しに青刺の辺りを握り締めた。
 遠く、軍人が行進しているのが見える。
 日に日に街の中の軍事色は濃くなってゆく。
 戦は避けられそうもない。
 天の民には既に、地は自分達のものだという意識が浸透している。
 奪われた事に怒っている。取り戻す事に奮い立っている。
 それが大きなうねりとなり、嵐を起こす。
 止められないのだ。その先にどんな哀しみが待っていようとも。
 もう、十分過ぎる程、繰り返されてきた事なのに。
 まだ、か。
 まだ、命を奪い合わねば気が済まないのか――
 同じ人間が、延いてはかつて同じ民族だった者同士が、何故こんなにも争わねばならないのだろう。
 天と地、そして伝承では根も、かつては同じ民族、種族だったという。
 見た目に違いなど殆ど無い。地には黒髪が多く、天の人々の髪は茶けている事が多いという、それだけだ。
 髪色の薄い旦毘がこうして街中を歩いても、誰も地の人間だとは気付かない。
 それなのに、一体何が違ってこうなってしまったのか。
 自分達が天の民に見下される理由など何一つ無いと言うのに。
 旦毘は荒く扉を開けた。
 紙袋を適当に机の上へ放る。
 縷紅の為の包帯や薬を買いに行っていたのだ。
 まだ傷は完治していないが、歩ける程には回復した。
 数日中には地に帰るつもりだ。
 早く帰って天を迎え撃つ用意をせねばならない。
 この街の雰囲気では、開戦までそんなに間は無さそうだ。
 勝てる戦――だろうか。
 ふと旦毘は考えそうになり、やめた。
 考えても仕方ない事だ。なるようにしかならない。
 そもそも勝てるか否かではない。勝たねばならぬのだ。
 だが、そんな考えを起こすのは。
 ここに居て、肌で感じるからだ。
 戦に対する天の民の期待、一体感は、時にぞっとする程高まっている。
 それが戦場でどれほどの勢いをつけるか。
 恐らく今までは王への不信感で国に亀裂が出来ている状態だったのだろう。
 王が緇宗へと変わった事で、国が纏まり、隙が無くなったのだとしたら――
 旦毘は頭を振る。
 何にせよ、早く帰らねばならない。
 旦毘は縷紅の居る部屋への扉を開けた。
 開けてすぐ、楜梛がそこに居た。
 真顔でこちらを見詰めている。
「…何」
 この数週間、敵ながら同居していた男のただならぬ雰囲気に、旦毘はたじろいだ。
 そして気付く。
 この部屋に、楜梛以外誰も居ない事に。
「縷紅は…!?」
 小用という事も有り得たが、楜梛の雰囲気に嫌な予感を覚えた。
 楜梛に詰め寄る。
 彼は言った。
「緇宗の元だ」
 何を言っているのか理解しあぐねた。
 頭の中で何度も言葉を反芻して。
 理解したくなかった。
 反論より先に、手が出た。
「…貴様…何を言ってやがる…!?」
 楜梛の胸倉を掴み、千切れそうな程に握り締める。
 それでも楜梛は、冷めた表情を崩さなかった。
「縷紅は自分の足で緇宗の待っている場所に向かった。それが何処なのかは、言えない」
 膠着状態が続き、果てに旦毘は楜梛を突き放した。
 ニ、三歩ほど楜梛は後ろによろめいたが、表情に変わりは無かった。
「…俺は騙されていたのか。お前達二人に」
 掠れ、絞り出す様な苦渋に満ちた声。
 楜梛は首を振った。
「縷紅はお前に全てを打ち明けただろう」
「だが!!」
「そう簡単に疑うのか?弟なのだろう?」
 再び楜梛に詰め寄ろうとした旦毘の動きが鈍る。
「一度裏切っても、何も言わず受け入れた弟分だろう?血は繋がっていなくとも、本物の家族以上に大事なのだろう?」
 旦毘は完全に楜梛に向かう動きを止め、背を向けた。
「知った口利いてんじゃねぇよ」
「ま、そうだな。縷紅が本当に裏切ったとしても、それをお前がどう思おうとも、世界には何の影響も無い。戦の展開も変わらない」
「…縷紅が地に関する情報を流したとしてもか」
「奴は喋らんよ。何せ、緇宗に斬られに行ったのだから」
「は…!?」
「縷紅は無駄と知りつつ緇宗に呼ばれるがまま、説得をしに行ったんだ。それで留めを刺される事になったとしても、文句は言えないと言ってな」
 ――裏切ったのでは無いのか。
 状況が優勢になった古巣に戻った訳では。
 だが、そうだとしたら。
「場所を…場所を教えろっ!!縷紅をみすみす斬らせる訳にはいかねぇ!!教えろっ!!」
 楜梛の両肩を掴み、壁に叩き付けた。
 細い身体を通じて、旦毘の手にも衝撃が走る。
「…落ち着け…緇宗に殺す気は無い…」
「何だと…!?」
「お前は黙って地に帰れば良い。縷紅は、奴のやり方で、己を意志を貫き、生きるだろう」
 震える手を、肩から離す。
「何だ…?」
 一歩、後ずさる。
「何を言っている…!?意味、分かんねぇよ…」
「いずれ全て解る。今は縷紅を信じて、地に帰れ」
「……」
 更に下がって、旦毘は楜梛の瞳を見詰めた。
 何も読めない。ただ、嘘は無い。
 楜梛も旦毘の目を捕らえ、言い聞かせる様に告げた。
「縷紅はもう、お前さんの力を必要とする様な子供では無いよ」
 旦毘は何とも返せなかった。
 ただ、楜梛の言葉はすとんと腑に落ちた。
 縷紅がやるべき事を、己の力で為すと言うのなら。
 旦毘にも、やるべき事は有る。
「解った…。世話になった礼だ、今はあんたに賭けよう。ただ、俺が天を離れるのは、縷紅の無事を確認した後だ」
 楜梛は頷く。
「明日、大通りに出て待て。そこで確認出来るだろう」
「何か有るのか?」
「軍の壮行祭だ。行進をやってるのを見るだろ?」
 この数日、毎日の様に見ている。
 大通りを、民に見せ付ける様に歩く兵士達。
「あれに、縷紅が?」
 まだあんな歩き方をするのは難しいだろう。
「いや、緇宗サマのお出ましさ」
「緇宗が?」
「明日が本祭ってところだな。王が出なきゃ民は盛り上がらねぇ」
「…サービス精神旺盛だな」
「士気を上げる為だ」
 分かってるよ、と口答えして旦毘は問いを重ねる。
「そこに縷紅が出るのか?一体、どんな形で」
 昨日の今日ならぬ今日の明日だ。
 罪人として牽かれるくらいしか思い浮かばない。
「アイツは緇宗の右腕だ。王の側に居ない筈は無い」
「敵なのに?」
「それは縷紅がどう考えているかで違う」
 自ら言っていた。まだ緇宗を信じていると。
 だとしたら、本当に地を裏切ったのか。
「…アイツの目的って…一体…」
 呟いて、視線を感じて慌てて執り成した。
「信じてるよ!信じてるから、これ以上の説教は勘弁だ!」
「説教してやる程の義理は無ぇがな」
 あしらわれた。
「緇宗の元に帰った目的はともかく、最終目的ならお前さんはよく解ってるだろう?」
「…世界、変えるって」
「変えるよ、奴は。心配しなくとも」
 何かまだ釈然としない表情で、楜梛を見ている。
「とにかく明日確かめる事だ。今頃剣の錆になってないとも言い切れないからな」
「…おい」
 旦毘など気にならない様に、楜梛は買い物袋の物色を始める。
 これ以上追及する気が失せて、旦毘は縷紅の居た寝台に弾みを付けて座った。
 窓から賑わう街が望める。
 この街のどこかに居る義弟が、今何を考えているのか――
 見失ったまま。しかし固く信じていた。





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