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RAPTORS
11


 火が、燃えていた。
 これは何処だったか――緇宗の家?違う。
 家の中ではない。四方を炎に包まれた壁に囲まれているが、煙の合間に空が見える。
 似つかわしくない程に、よく晴れた青空。
 空の青と、黒い煙と、炎の赤が対照的で――
 これは、あの時の。
 己の手で焼き払った、あの村だ。
 その炎に今、焼かれようとしているのか。
 計り知れない憎しみの焔となって。
 崩れ落ちる壁面。
 その向こうに、人影が。
 赤斗?――当然の復讐だろう。
 甘んじて焼き殺されるより無い。それだけの罪は犯した。
 人影が進み出る。
 炎に照らされてやっと判じられるようになった顔は。
 赤斗ではない。
 足から力が抜けて、地面に座り込んだ。
 その人物は、刀を向けて。
 冷徹な目で、見下し。
 殺気で、縛り付けた。
 動いたら、殺られる。
 獣だと、皆が言う――その意味が解った。
 今まで近くに居ながら、そんな事は全く理解出来なかったけれど。
 それはそうだ。獣だって情は有る。
 反面、獲物を狩る。その牙で、食い殺す。
 片側しか見ていなかっただけで。
 もう一方の顔は、こんなにも――
 怖い。
 逃げたい。逃げられない。
 こんな状況にしたのは自分の所為だ。
 見上げる顔が、
 口が、冷ややかに笑って、
 言った。
 『お前は人殺ししか出来ない』
 振り上げた刃が、
 過たず首を斬り落とした――
「――っ!!」
 急に大量の息を吸って、縷紅は噎せた。
 咳をして、肺と口が繋がっている事に一瞬疑問を感じ、やっと気付いた。
 夢、だった。
 ゆるゆると目を開ける。
 明るい。暖かな日差しが差して、危うく天国かと思いそうになった。
 勘違いを制してくれたのは、あまり有り難くない息苦しさと吐き気と、全身の痛み。
 死んでまでこの痛さは無いだろうと心の隅で苦笑した。
 実際に笑うには障害が多過ぎた。
 一番痛いのは、心だ。
「縷紅!!」
 旦毘の声。
 漸く現実だと実感する。
 視界に入ってきた顔は、喜色と言うより動揺と戸惑いを浮かべていた。
 冷え切った手が、温かな手に包まれる。
「…待ってたぜ」
 今にも泣きそうな顔。
 義兄のこんな顔は、幼い頃大人達にこっぴどく怒られた時以来だ。
 対して自分は、笑おうとしても痺れた様に何処も動かせない。
 喘ぐ口以外は、恐らく木偶の様に無表情なのだろう。
 だから、義兄はこんな顔をしているのか。
 だから、こんなに強く手を握ってくれているのか。
「おかえり。よく、帰って来たな」
 視界が歪む。
 つ、と零れる涙。
 泣いているのは自分の方か。
「泣くこたぁ無ぇよ」
 漸く旦毘が笑ってくれて。
 縷紅は何とも言えぬ安堵を抱いた。
 そして、再び滑らかな闇の中に落ちていった。
 今度は火も、刃も見ずに。
 ただただ闇に包まれて眠った。
 どれだけ経ったか、ふっと光へと浮かび上がって。
 目覚めると、窓から西日が差していた。
 空っぽなまま――壁に映る影を見ていた。
 何かを失った。
 それが何なのか、考える事が出来ない。
 ただ、空虚で。
 体のどこかに空いた穴に冷たい風が通り抜けるような、そんな痛み。
「…よぉ」
 軽い挨拶。楜梛の声だ。
「兄貴は今買い出しに行ってるぜ。お前の粥を作るんだって、張り切ってな」
 …何の悪い冗談だろう。
 旦毘の作る食べ物など、まず想像が出来ない。
「ま、服も焦げてたから着替えも要るし。あと薬と包帯だな、あともののついでに家賃の支払いも頼んだ」
 それはいわゆるパシリだ。
「んな不審な目で見るなって。水飲むか?」
 縷紅は起き上がろうとして、諦めた。
 痛みが走って力すら入らない。
 楜梛が背中を押して漸く起き上がれた。それでも激痛が走ったが。
 水を受け取る。右が利き手だから良いが、左の肩から下は全く動かない。
「お前が地に行った後に、この家を借りたんだ。軍の近くじゃ居心地悪くてな」
 確かに言われてみれば、窓の下からは人の笑い声や荷車の通る音がする。
 人が暮らす息吹がある。ここは街中だ。
「ここなら誰かに見つかる事も無いだろう。治るまで軟禁だと思っておけ」
「え…」
「何だよその迷惑そうな顔は」
 縷紅は唇を尖らせて目を泳がせ、杯を楜梛に突き返した。
「ありがとうございました」
 棒読み。
「可愛くねー」
 杯を置きながら楜梛は告げた。
「奴は王を倒したぞ」
「…そうですか」
「驚かないのか」
「そんな気は…していました」
 楜梛は縷紅の元に戻って改めて、その表情を見る。
 紅の瞳は、深く沈んでいた。
「彼の計画は恙無く進んだという事ですね。…私は邪魔者でしか無かった」
「地に降された事、今も恨んでるのか」
「それは違う」
 厳しい声音で言い切る。
「地を巻き込むのは…私の提案でした。ただそれを利用して、彼は私を殺したかっただけの様ですね、結局は」
「それは」
「現に赤斗があの場に居た」
 早口で言って、苦悩に満ちた目を楜梛に向けた。
「分かっていましたよ…姶良をこの手にかけた時から、あの人の真意は」
 右手を握りしめる。
 血にまみれた、手。
「だから…こちらも殺されない為に殺すしかない…」
「だがお前は奴を斬れない」
 唇を噛んで、頷く。
 突き付けられた事実。
 緇宗には、敵わない。
「どうするんだ?奴は内政が整い次第、地を攻めるぞ」
「どうするのかを問うのはこちらですよ。楜梛、当然あなたは緇宗に付くのでしょう?なのに私を助けた。何を――考えているのです」
 突き刺さりそうな、鋭い視線。
 これが本来の、この若者の顔だったと楜梛は思い出す。
 普段は柔和な鞘に隠された、刃。
 いつからか、表面に浮かぶ表情に、感情は伴わなくなっていた。
 嘘を、吐き通す為に。
「…その顔見てると、お前が誰だか判らなくなるよ」
「そんな事は今どうでも良いでしょう…!?」
 楜梛は静かに笑んだ。
「俺は嘘でも笑ってるお前のが良い。自分でもそう思っていたんじゃないのか」
「やめて下さい」
 本気の制止も聞き入れず、楜梛は続ける。
「緇宗の計画の捨て石と解ってからのお前、地の戦を指揮している方がずっと」
「楜梛!!」
 叫んでいた。
 楜梛は口を閉ざした。
 縷紅は一度俯いて、口の端を上げて己を嘲笑った。
「それ以上言っても詮の無い事ですよ」
「……」
「騙し続けるには、限界なんです」
「嘘を現実にしても良いと、俺は思う」
 しばらく互いを睨み合って。
 縷紅は細く、溜息をついた。
「つまり…こういう事ですか?私が完全に地へ回帰して、国共々に緇宗の手によって滅べば良い、と」
「そんな事は言っていない」
「しかし実際そうなるでしょう…このままでは」
 縷紅は右手を突いて何とか横になり、その右手を顔の上に置いた。
 部屋はいつの間にか薄暗くなっていた。
「最初から不可能ではあったんだよ、お前の理想は…。属国の地を使って王を討つなんて計画は…」
 縷紅は指の隙間から扉をじっと見ている。
「緇宗は地を解放する気なんざ無かった。寧ろお前を使って戦況を自分の都合の良い様に運んだ。分かるか?お前達が勝ったのは、王への失望感を民に与える為だ。だから奴はわざと手を抜いて負けた」
「…そして密かに民の信頼を集めていた自らが王になった…」
 手を外し、冷笑を顕わにした。
「そして必要の無くなった私を天におびき出し、殺そうとした――緑葉を使って。…そういう事ですよ旦毘。隠れて聞く必要はもう有りません」
 楜梛は驚吃して振り向いた。
 その後ろで、扉が開き、旦毘が入って来た。
 これ以上無く、険しい顔付きで。
「楜梛、貴方も老いましたね。てっきり気付いているものと思った」
 冷笑を浮かべたまま、縷紅は言った。
 楜梛はしばらく驚きの色を隠せなかったが、やがて笑って自らの額を打った。
「いや、自分が潜むのは得意だが…逆の立場ってのはなかなか無くてな」
「完全に言い訳ですよそれは」
 縷紅は改めて旦毘に視線を向けた。
 冷笑は微笑へと変わっていた。しかしそれも冷たく、どこか悲哀を秘めている。
「洗いざらい喋ります。私は今動けない…貴方がその気になれば、簡単に息の根を止められる。罪滅ぼしには持ってこいの状況でしょう?」
 旦毘は無言のまま、椅子を引いて来て枕元に座った。
「私は…自分の半分を失った。あとの半分はきっと、旦毘――貴方が持っている…。それを棄てるか否かは、貴方次第です」
 棄てて――斬って欲しいのだ。
 己の中に空いた『半分』の穴は、あまりに大きくて。
 痛くて。
「お前の半分ってのは…天の軍、つまり緇宗か」
 旦毘の言葉に、縷紅は頷いた。




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