RAPTORS
7
旦毘の姿が消えたのを確認して、縷紅は炎に背を向けた。
ずきずきと、腹部と肩に近い背中が痛い。
緇宗に殴られた箇所だ。お陰で取り逃がした。
勿論、逃がす気は無かった。しかし、余りに実力差が違っていた。
縷紅がこの場所に緇宗を追い詰めた時、緇宗の得物は――鞘に収まっていた。
戦う気が無いのは明白だった。
それならそれで隙となるだろうと斬り掛かったが――
ものの数秒だっただろう。
まず鞘ごとの剣で腹を突かれ、追い撃ちをかける様に背を叩かれた。
激痛に怯んだ隙に、相手は消えた。
この先に出口など無い筈だが、悠々と扉の向こうに消えていった。
ただの納屋ではないのか――?窓も無かった筈だが――
思考を遮る様に、そこに旦毘が追って来た。
壁の様に二人の間を遮る炎。
明らかにこれは、自然に出来た物ではない。
人為的に、炎を操って。
何の為に、誰が――?
緇宗ならば、こんな真似はしない。しなくとも実力で勝てるから。
炎の向こうで旦毘が叫ぶ。
行ってくれと懇願しても離れようとはしない。
焼け死ぬのは、自分一人で十分なのに。
はたと、縷紅は思い至った。
『焼き尽くしてやる』。
蘇る、赤い殺気。
炎に囲まれながら、ひやりと冷たいものが背筋を走る。
茘枝が旦毘の腕を引く。
引っ張られながら、兄弟子はずっとこちらを見ていた。必死の眼で。
待っているから、と。
熱風が声を運んだ――
縷紅は応えずに――応えられずに、その姿を見送った。
ただ、彼らと緑葉が、無事に再び地に戻る事を祈っていた。
己の状況は、絶望的だから。
取り囲む炎。辺り一面を侵食してゆく。
焼け死ぬ前に、緇宗を追おう踏み出した。
そこへ。
「…赤…斗」
炎の中から現れた、一段と鮮やかな赤。
歪んだ笑み。
狂喜する、殺意。
「思い出せるか、これなら」
歪む口元から言葉が発せられる。
「忘れている様だからな、お前自身が何をしてきたか――お前自身の、罪を」
「……」
縷紅は吐き気にも似た気持ち悪さを覚える。
腹を殴られた所為ばかりではない。
己の内から暴れている。罪の意識が。
「お前はお前自身の罪に殺されるんだ」
いつかも言われた言葉。
そうなのかも知れない。贖罪ではないが、己のしてきた事に報いがあるとすれば。
「もっと思い出させてやろうか?俺はあの日、焼け落ちた牢から出て、焼け跡で何を見たか――」
『不吉な子供』を隔離する為に閉じ込められていた小屋は、簡単に焼け落ちた。
完全に焼ける前に壁を蹴ると、脆くも崩れ、その先に地獄絵図を描いていた。
「腰抜けの大人共は我先にと逃げ出した様だったぜ。その代わりに、真っ黒に焦げた小さな人間があっちこっちに転がっていた」
縷紅は、抜き身の剣を床に突いた。
そうやって支えを作らなければ、立っていられなかった。
「お前達が殺したのは罪の無い子供だ。まぁ俺を忌み嫌ってたジジイやババアも焼け死んでいたから、胸がすいたけどな」
鮮やかに蘇る記憶。
村一面が炎に包まれるのを、見ていた――見ているしか無かった。
最後まで見届けずに、軍に引き返した。
誰の命を奪ったかも、知らずに。
「俺はな、見てたんだよ縷紅」
赤い瞳が笑っている。
「丘の上から地獄を高見の見物していた、俺と同じ色を持った奴をな…!!」
覚えている。忘れられない。
阿鼻叫喚すら届かなかった。
こんなにも、静かに燃えるのかと、思った。
無人の村である事も疑った。
全ては、遠くから眺めていただけだったから。
それが、何よりも罪を重くする。
「解放されて、俺は、お前の事しか考えられなかったんだぜ…?あの時見た赤を、ずっと脳裏に焼き付けてな…!!」
燃える。燃える。
燃え尽くす。全てを。
自分自身を。
「お前も同じ様に燃やしてやりたくて、灰にしてやりたくて、軍まで追って来てやったんだよ。そして陛下に出会った――お前は知っているか?俺達の色が禁忌とされる、本当の理由」
「…!?」
理由など有るのか。
ただの俗信では無かったのか。
訝る縷紅の心情を読んだのか、赤斗は告げた。
「陛下の瞳は、赤いんだ。赤は――王族の色だ。だから、在野に在ってはならない」
「…そんな…!?」
王族の血を引く者が持つ色。
しかし縷紅も赤斗も王族ではない――筈だ。
突然変異でこの色を持っただけ。
だが、偶然でこの色を持っただけなのに、王族である事を主張する者が現れたら、国は混乱する。内乱になり兼ねない。
だからその事実は隠蔽され、忌み嫌われる現実だけが残った。
「何故…貴方は知っているのですか」
縷紅も王を見た事が無い訳ではない。
だが直接見る事は出来ない。御簾越しに謁見する決まりとなっている。
更に髪は王冠に隠され、瞳を見る程近付けはしない。
完全に隠された事実なのだ。
赤斗がいかに王に近い軍人であれ、あの王が完全に信用しない限り、知る事は出来ぬのではないか。
あの、己の権力のみを信ずる男が――?
「俺はな、見たんだよ。陛下の眼を。軍に入る前に」
「前…!?」
「本島に来て軍に入るまでの間、街を御遊されている陛下に俺は見出だされた」
赤を持つが故に目を引いたのか。
「そして真実をお教え下さった。その上、軍に斡旋までして頂いた。この一命と引き換えに、お前を討つ事を誓ってな!!」
それは。
それは、何を意味しているのか。
「…王は…私を殺すつもりだったと…!?」
にやりと、赤斗の顔が歪む。
「あのお方は全てを見通しておられる。貴様の汚い本性が、陛下に見破られなかったとでも?」
違う。
王は、恐らく緇宗がいつか裏切る事を予感していた。
だからこそ、腹心であった自分を暗殺しようとした。
赤斗という、都合の良い駒を使って。
「赤斗、貴方は騙されている…!」
紅蓮の瞳が細められる。
「貴方は王に利用されているだけだ!!貴方が憎いのは、故郷を焼き払った者でしょう!?」
「なんだ…?命乞いか?今更」
縷紅は首を横に振り、続けた。
「あの村を焼き払ったのは確かに私ですが、それを命じたのは――あの、国王です」
赤斗の双眸が見開く。
「黙れ…」
開けた口から、低く漏れた。
「本当です。貴方は軍に入って王から下された命令を受けて来たでしょう!?その中に、同じ様な任務も――」
「黙れ!!黙れ黙れ黙れ!!」
炎を反射して、ぎらぎらと輝く眼。
どれだけの炎を、その眼に写してきたか。
己の憎む者を、焼き尽くす為に。
「貴様の言い訳など聞きたくもない!!例え陛下が命じられたのだとしても、俺が憎いのはお前一人だ!!今、この場で灰になるが良い!!」
赤斗は剣を抜き、縷紅に飛び掛かった。
重い斬撃を、横に儺いだ剣で軌道を逸らす。
次の一撃で、二本の剣が交わった。
「それで良いのですか…!?」
刃の向こう、もう一つの赤い双眸に問う。
「真実を見失ったまま、貴方は全てを滅ぼし尽そうとしている…!!それは、後悔しか残らない…!!」
「何を…ごちゃごちゃと!!」
がん、っと鋼は離れ、半円を描いて襲い掛かる。
縷紅はその凶刃を見ながら。
別のものを、視てしまった。
――姶良の、最後の刀。
また?
また、殺すのか――
後悔しか残らないと、解っているのに。
誰かの命を奪って、残るものは、この紅い炎の様な、憎しみだけだ。
解っているのに――
刹那、鋭い痛みが襲った。
「――」
咄嗟に身体は引いていた。意思とは関係の無い所で。
倒れ込む。脇腹に激しい痛みが走る。
血が流れ、炎に吸い込まれる。
「俺に殺されるつもりなのか」
見上げる顔には、眉間に皺が寄っていた。
「つまらんな。贖罪のつもりか?俺はこんな事――期待していない」
「赤斗…」
呼吸が浅くしか入らない。喋るのがやたらと苦しい。
「私を殺して…貴方はどうするのですか…」
「この炎の中に身を沈めるさ」
意外な返答に、赤の双眸を見返す。
深く沈む紅色。
「お前を殺せばそれで良い」
「愚かな…」
口を突いて出た。
それが、本心だろう。
「何…?」
「他に…やるべき事が、有るでしょう…!?」
「勝手な事を言うな」
「私は世界を変える為に生きてきた」
ぐっと、腕に力を込める。
震える。が、痛みは感じない。
「こんな所で灰と化す訳にはいかないんですよ…」
立ち上がる。
剣を、構えた。
「勝負を付けましょう、赤斗。私と貴方のどちらかが、生き残る」
赤斗も剣を構え直した。
燃え盛る炎の中、二人は向き合って静止し、そして――
赤斗が仕掛けた。
縷紅はそれを受けながら流し、刃を突き出した。
その間に赤斗は剣を振り上げていた。
止まる。
炎だけがゆらゆらと動く。
ぽつり、と。
血が落ちた。
身体は崩れた。双方とも。
火炎だけが、黒煙を吐きながら。
全てを、呑み込んでいった。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!