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RAPTORS


 旦毘の姿が消えたのを確認して、縷紅は炎に背を向けた。
 ずきずきと、腹部と肩に近い背中が痛い。
 緇宗に殴られた箇所だ。お陰で取り逃がした。
 勿論、逃がす気は無かった。しかし、余りに実力差が違っていた。
 縷紅がこの場所に緇宗を追い詰めた時、緇宗の得物は――鞘に収まっていた。
 戦う気が無いのは明白だった。
 それならそれで隙となるだろうと斬り掛かったが――
 ものの数秒だっただろう。
 まず鞘ごとの剣で腹を突かれ、追い撃ちをかける様に背を叩かれた。
 激痛に怯んだ隙に、相手は消えた。
 この先に出口など無い筈だが、悠々と扉の向こうに消えていった。
 ただの納屋ではないのか――?窓も無かった筈だが――
 思考を遮る様に、そこに旦毘が追って来た。
 壁の様に二人の間を遮る炎。
 明らかにこれは、自然に出来た物ではない。
 人為的に、炎を操って。
 何の為に、誰が――?
 緇宗ならば、こんな真似はしない。しなくとも実力で勝てるから。
 炎の向こうで旦毘が叫ぶ。
 行ってくれと懇願しても離れようとはしない。
 焼け死ぬのは、自分一人で十分なのに。
 はたと、縷紅は思い至った。
 『焼き尽くしてやる』。
 蘇る、赤い殺気。
 炎に囲まれながら、ひやりと冷たいものが背筋を走る。
 茘枝が旦毘の腕を引く。
 引っ張られながら、兄弟子はずっとこちらを見ていた。必死の眼で。
 待っているから、と。
 熱風が声を運んだ――
 縷紅は応えずに――応えられずに、その姿を見送った。
 ただ、彼らと緑葉が、無事に再び地に戻る事を祈っていた。
 己の状況は、絶望的だから。
 取り囲む炎。辺り一面を侵食してゆく。
 焼け死ぬ前に、緇宗を追おう踏み出した。
 そこへ。
「…赤…斗」
 炎の中から現れた、一段と鮮やかな赤。
 歪んだ笑み。
 狂喜する、殺意。
「思い出せるか、これなら」
 歪む口元から言葉が発せられる。
「忘れている様だからな、お前自身が何をしてきたか――お前自身の、罪を」
「……」
 縷紅は吐き気にも似た気持ち悪さを覚える。
 腹を殴られた所為ばかりではない。
 己の内から暴れている。罪の意識が。
「お前はお前自身の罪に殺されるんだ」
 いつかも言われた言葉。
 そうなのかも知れない。贖罪ではないが、己のしてきた事に報いがあるとすれば。
「もっと思い出させてやろうか?俺はあの日、焼け落ちた牢から出て、焼け跡で何を見たか――」
 『不吉な子供』を隔離する為に閉じ込められていた小屋は、簡単に焼け落ちた。
 完全に焼ける前に壁を蹴ると、脆くも崩れ、その先に地獄絵図を描いていた。
「腰抜けの大人共は我先にと逃げ出した様だったぜ。その代わりに、真っ黒に焦げた小さな人間があっちこっちに転がっていた」
 縷紅は、抜き身の剣を床に突いた。
 そうやって支えを作らなければ、立っていられなかった。
「お前達が殺したのは罪の無い子供だ。まぁ俺を忌み嫌ってたジジイやババアも焼け死んでいたから、胸がすいたけどな」
 鮮やかに蘇る記憶。
 村一面が炎に包まれるのを、見ていた――見ているしか無かった。
 最後まで見届けずに、軍に引き返した。
 誰の命を奪ったかも、知らずに。
「俺はな、見てたんだよ縷紅」
 赤い瞳が笑っている。
「丘の上から地獄を高見の見物していた、俺と同じ色を持った奴をな…!!」
 覚えている。忘れられない。
 阿鼻叫喚すら届かなかった。
 こんなにも、静かに燃えるのかと、思った。
 無人の村である事も疑った。
 全ては、遠くから眺めていただけだったから。
 それが、何よりも罪を重くする。
「解放されて、俺は、お前の事しか考えられなかったんだぜ…?あの時見た赤を、ずっと脳裏に焼き付けてな…!!」
 燃える。燃える。
 燃え尽くす。全てを。
 自分自身を。
「お前も同じ様に燃やしてやりたくて、灰にしてやりたくて、軍まで追って来てやったんだよ。そして陛下に出会った――お前は知っているか?俺達の色が禁忌とされる、本当の理由」
「…!?」
 理由など有るのか。
 ただの俗信では無かったのか。
 訝る縷紅の心情を読んだのか、赤斗は告げた。
「陛下の瞳は、赤いんだ。赤は――王族の色だ。だから、在野に在ってはならない」
「…そんな…!?」
 王族の血を引く者が持つ色。
 しかし縷紅も赤斗も王族ではない――筈だ。
 突然変異でこの色を持っただけ。
 だが、偶然でこの色を持っただけなのに、王族である事を主張する者が現れたら、国は混乱する。内乱になり兼ねない。
 だからその事実は隠蔽され、忌み嫌われる現実だけが残った。
「何故…貴方は知っているのですか」
 縷紅も王を見た事が無い訳ではない。
 だが直接見る事は出来ない。御簾越しに謁見する決まりとなっている。
 更に髪は王冠に隠され、瞳を見る程近付けはしない。
 完全に隠された事実なのだ。
 赤斗がいかに王に近い軍人であれ、あの王が完全に信用しない限り、知る事は出来ぬのではないか。
 あの、己の権力のみを信ずる男が――?
「俺はな、見たんだよ。陛下の眼を。軍に入る前に」
「前…!?」
「本島に来て軍に入るまでの間、街を御遊されている陛下に俺は見出だされた」
 赤を持つが故に目を引いたのか。
「そして真実をお教え下さった。その上、軍に斡旋までして頂いた。この一命と引き換えに、お前を討つ事を誓ってな!!」
 それは。
 それは、何を意味しているのか。
「…王は…私を殺すつもりだったと…!?」
 にやりと、赤斗の顔が歪む。
「あのお方は全てを見通しておられる。貴様の汚い本性が、陛下に見破られなかったとでも?」
 違う。
 王は、恐らく緇宗がいつか裏切る事を予感していた。
 だからこそ、腹心であった自分を暗殺しようとした。
 赤斗という、都合の良い駒を使って。
「赤斗、貴方は騙されている…!」
 紅蓮の瞳が細められる。
「貴方は王に利用されているだけだ!!貴方が憎いのは、故郷を焼き払った者でしょう!?」
「なんだ…?命乞いか?今更」
 縷紅は首を横に振り、続けた。
「あの村を焼き払ったのは確かに私ですが、それを命じたのは――あの、国王です」
 赤斗の双眸が見開く。
「黙れ…」
 開けた口から、低く漏れた。
「本当です。貴方は軍に入って王から下された命令を受けて来たでしょう!?その中に、同じ様な任務も――」
「黙れ!!黙れ黙れ黙れ!!」
 炎を反射して、ぎらぎらと輝く眼。
 どれだけの炎を、その眼に写してきたか。
 己の憎む者を、焼き尽くす為に。
「貴様の言い訳など聞きたくもない!!例え陛下が命じられたのだとしても、俺が憎いのはお前一人だ!!今、この場で灰になるが良い!!」
 赤斗は剣を抜き、縷紅に飛び掛かった。
 重い斬撃を、横に儺いだ剣で軌道を逸らす。
 次の一撃で、二本の剣が交わった。
「それで良いのですか…!?」
 刃の向こう、もう一つの赤い双眸に問う。
「真実を見失ったまま、貴方は全てを滅ぼし尽そうとしている…!!それは、後悔しか残らない…!!」
「何を…ごちゃごちゃと!!」
 がん、っと鋼は離れ、半円を描いて襲い掛かる。
 縷紅はその凶刃を見ながら。
 別のものを、視てしまった。
 ――姶良の、最後の刀。
 また?
 また、殺すのか――
 後悔しか残らないと、解っているのに。
 誰かの命を奪って、残るものは、この紅い炎の様な、憎しみだけだ。
 解っているのに――
 刹那、鋭い痛みが襲った。
「――」
 咄嗟に身体は引いていた。意思とは関係の無い所で。
 倒れ込む。脇腹に激しい痛みが走る。
 血が流れ、炎に吸い込まれる。
「俺に殺されるつもりなのか」
 見上げる顔には、眉間に皺が寄っていた。
「つまらんな。贖罪のつもりか?俺はこんな事――期待していない」
「赤斗…」
 呼吸が浅くしか入らない。喋るのがやたらと苦しい。
「私を殺して…貴方はどうするのですか…」
「この炎の中に身を沈めるさ」
 意外な返答に、赤の双眸を見返す。
 深く沈む紅色。
「お前を殺せばそれで良い」
「愚かな…」
 口を突いて出た。
 それが、本心だろう。
「何…?」
「他に…やるべき事が、有るでしょう…!?」
「勝手な事を言うな」
「私は世界を変える為に生きてきた」
 ぐっと、腕に力を込める。
 震える。が、痛みは感じない。
「こんな所で灰と化す訳にはいかないんですよ…」
 立ち上がる。
 剣を、構えた。
「勝負を付けましょう、赤斗。私と貴方のどちらかが、生き残る」
 赤斗も剣を構え直した。
 燃え盛る炎の中、二人は向き合って静止し、そして――
 赤斗が仕掛けた。
 縷紅はそれを受けながら流し、刃を突き出した。
 その間に赤斗は剣を振り上げていた。
 止まる。
 炎だけがゆらゆらと動く。
 ぽつり、と。
 血が落ちた。
 身体は崩れた。双方とも。
 火炎だけが、黒煙を吐きながら。
 全てを、呑み込んでいった。





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