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RAPTORS


 扉を開けて、三人は面食らった。
 明るい。全ての燭台に灯が点されている。
 今し方茘枝が忍び込んだ時は、勿論そんな事は無かった。
 そして彼らの正面に。
 緑葉が、立っていた。
 縷紅が、事態を把握して名を呼ぶより先に。
「お待ちしてました」
 無表情。同じく淡々とした声。
「主――緇宗より、御案内しろと申し付けられております。どうぞ」
 背を向け、歩きだす緑葉。
 縷紅は両隣を伺う。
 二人とも腹を括っている。頷いた。
 縷紅も頷き、踏み出す。
 懐かしい光景だった。
 毎日見ていた場所。
 旦毘も茘枝も、縷紅に伝わる程警戒している。
 対照的に縷紅は、七、八年前と同じ様な気分で歩いていた。
 不意打ちは無い。確信している。
 緇宗という人物をよく知っているから。
 緑葉が扉を開け、中へと促した。
 客間だ。間取りは体が覚えている。
 扉を潜って、縷紅は見た。
 煙草を銜えてソファに凭れ掛かる人物。
 緇宗。
「しばらくぶりだな」
 紫煙と共にかつての師は言った。
「ええ。お変わり無い様で」
 唇に微笑を浮かべて、縷紅は応えた。
「ンな事無ぇさ」
 意味深に言って、再び煙草を銜える。
 その奥の目は、縷紅の後ろを見ている。
 獣の眼。
「あの兄ちゃんはこの前も居たな。姉ちゃんははじめまして、だな?」
 縷紅は頷く。微笑は崩さない。
 この前――姶良を殺した時。
「良い護衛持ってんじゃねぇか。腕が立ちそうだ」
「この前はガキじゃ何とかとおっしゃいましたが?」
「あれは威勢の良い王子さんに言ったんだよ。あの犬っころは元気か?」
「ええ。お蔭様で」
 黒鷹の犬扱いに思わず微笑が微苦笑になる。
「そうか。今どこに居る?」
「さて。私も知りません。色々あって」
 緇宗がまじまじと縷紅を観察し、ニヤリと笑った。
「本当に知らねぇんだな」
「下手な嘘はつかない事にしたんです」
「ああ。賢明だ」
 傍から見ればたわいのない話にも見える。
 しかし互いの言葉の奥に、隙を伺い、作り出そうという駆け引きが見え隠れする。
 形では笑っている眼の光は、剣呑なまでに鋭い。
「因みに、知っていたら嘘はつくか?」
「だんまりを決め込みます。本題に入っても?」
「本題なんざ有るのか」
「世間話をしにわざわざ来ませんよ。此処は敵の中心のど真ん中ですからね」
 片頬を上げて緇宗は笑う。
 敵同士である事を楽しむ笑いだ。
 心底、この状況を楽しんでいる――この人は。
 笑い方一つで縷紅はそれを知った。
「聞こう。剣ではなく言葉で語れる事ならな」
 縷紅は頷いた。
 剣は――この後抜く事になるだろう。
 そのつもりで来た。
「緑葉をお返し頂けませんか」
 双方の間を取る形で、扉の横に立っていた本人の肩が、ぴくりと動いた。
「返すも何も、元々こっちのモンだろうが」
「ならば私も返品されなければなりませんね」
 口は笑いながら、獣の目の奥が訝る。
「帰る気あんのか?」
 縷紅は上目遣いに緇宗を捉えながら、口角を上げて笑った。
「無論――ただ殺される為に帰る訳にはいきません。…ただ、緑葉」
 今度はびくりと肩が跳ねた。
「私達は決して無駄な血は流さない。貴方にはどうしても、地に帰って…もう一度、会って欲しい人が居る。分かりますよね?」
 一瞬見せた、哀しい眼。
 怯えと、後悔と、何かを懐かしむような。
 思い出せど、記憶と現実の狭間に手が出せないような。
「…待っていますよ。隼が」
 縷紅は確信した。
 少なくとも、緑葉は裏切っていない。己の意志では。
 そして恐らく、地に関する事を天で喋ってはいないのではないか。
 そうであって欲しいのかも知れない。
 緑葉は口を真一文字に固く結んで、目をぎゅっと瞑った。
「取引しませんか」
 緑葉から視軸を移し、縷紅は緇宗に言った。
「取引?」
「緑葉の代わりに私がここに残る」
 後ろから小声で名を呼ばれた。制止の意だろう。
 それが聞こえる程、緇宗は沈黙した。
 そして。
「面白い事を言う様になったじゃねぇか、お前」
 まさに腹から笑い、緇宗は言う。
「そりゃあ良いな、傑作だ。お前が居ればこの小僧も要らねぇ…と、言いたいが」
 笑いが引く。
「俺と決着を付けるのはまだ早いぜ、縷紅」
 獣の眼光が残る。
「やらなければ分からないでしょう」
「いいや。そっちの意味だけじゃない」
「…どういう事です」
 緇宗は笑ったまま口を閉ざす。
「教えては…くれませんね」
 縷紅は剣を抜いた。
「そちらの都合に合わせるつもりはありません。私は今、ここで決着をつける気で来た」
 緇宗は煙草を揉み消し、ゆらりと立ち上がった。
「そうだろうよ」
「相手になって頂けますね?」
 しょうがねぇなと苦笑いする。いつか同じ事を言われた気がする。
「縷紅」
 後ろから声がした。茘枝だ。
「…何も、言わないで下さい」
 茘枝は厳しい目をしたまま、黙る。
「緑葉を頼みます」
 それでも止めなければと思い直し、口を開こうとしたが。
 茘枝の腕を掴む、手。
 彼女は旦毘を振り返った。
「何かあったら俺が止める」
 茘枝は顔を顰めて言い返そうとした。
 その瞬間、空気が動く。
 縷紅が、置かれていた机に飛び乗り、緇宗の間合いに入った。
 瞬時に抜かれた緇宗の剣が閃く。
 次には剣がぶつかり合うと思った。だが――
 ぶつ、と。
 何かが斬れた――否、誰かが。
 ――誰が?
 緇宗の背後にあった影が、ずるりと倒れた。
「…――緑葉!!」
 旦毘が叫ぶ。同時に駆け出す。
 縷紅が緇宗の手を振り払って、後ろに飛びながら斬撃を避けた。
 緇宗はにやりと笑い、扉へと駆け出した。
 一瞬、間を置いて後を追う縷紅。
「縷紅!!ダメ!!行っちゃ――!!」
 茘枝の叫びが耳に入っていない。
 旦毘が緑葉の頭の横へ跪づく。
「馬鹿な事しやがって」
 あの瞬間、緇宗に躍り掛かった縷紅と挟撃になる形で、緑葉は緇宗に刃を向けた。
 瞬時にそれを察した緇宗は、体勢を横に向けながら縷紅の太刀筋を見切り、その腕を掴んで動きを封じ――
 もう片方の手で、緑葉を斬っていた。
 傷は浅くは無い。肩から袈裟掛けに斬られている。
 緑葉の口が、ごめんなさいと動いた。
「喋るな。まだ死にたかねぇだろ」
 言い聞かせ、茘枝を呼ぶ。
 縷紅と緑葉、双方を気にかけ動き兼ねていた茘枝は、我に返ったように振り向いた。
「止血してやってくれ。俺には出来ねぇ」
 忍なら、斬傷の処置も心得ている筈だ。
 今度は彼女も素直に頷き、緑葉の元へ駆け寄った。
 旦毘はさっと、二人の出て行った廊下へ駆ける。
 その時、鼻腔を擽った匂い。
――キナ臭ぇ?
 はっ、と天井に視線を移した。
 壁際が、黒い。――黒くなってゆく。
「おいおい…!?」
 踵を返して、茘枝に叫んだ。
「緑葉連れて出てろ!!そこの窓から!!」
 茘枝は驚いた顔で、しかし頷いた。
 どこから燃えているのか分からない。
 再び廊下に出る。二人は見えない。
「畜生…!!」
 苛立ちが口を突いて出る。
 早くしなければ煙に巻かれる。
 空間が白っぽくなってきた。袖で鼻と口を塞ぐ。
 廊下を駆ける、と。
 鋼のぶつかり合う、聞き慣れた音。
「縷紅!!」
 叫んで、走り寄ろうとして。
 先には、行けなかった。
 轟々と燃える炎の向こうに、縷紅は居た。
 踞っている。
 緇宗の姿は無い。
「縷紅!!」
 もう一度叫ぶ。
 灼熱の陽炎の向こうで、影が動いた。
「行って下さい、旦毘」
「出来るかよ!?」
 何とか炎の壁を越えられないかと見回す。
 しかし、天井の一部が火達磨となって落ちて来た。
 慌てて飛びのく。
「縷紅!!」
「大丈夫です…私は」
 覚束ないながらも立ち上がった様だ。
 炎の赤と、義弟の紅が同化して見える。
「行って下さい――早く!!」
「……!」
 それでも動き兼ねた。だが。
 強く引かれる手。
 鬼気迫る顔で振り返れば、茘枝だった。
「おま…!!」
「こんな所で皆焼け死んでもしょうがないから!!早く!!」
 茘枝の顔は見えない。出口のみを見ている。
 意識的に、縷紅を視界に入れない様に。
 腕力の差で、振りほどく事は旦毘に可能だった。
 だが、引っ張られた。どうしようも出来なかった。
 炎から離れながら――意思とは裏腹に――旦毘は叫んだ。
「待ってるからな!!縷紅!!…待ってるから…!!」
 待っているから。
 生きて帰ってくれ。
 必ず――
 返答は無かった。
 炎に飲み込まれて聞こえなかったのかも知れない。
 冷たい雨に打たれて初めて、自分が外に出た事を知った。
 いつの間にか、弱い雨が降っていた。
 呆然と、炎の広がる建物を見上げる。
 夢、か。
 夢の様だ。そうであってはくれないか――
「…旦毘」
 呼びかけかれて、のろのろと振り向いた。
 呼んだ茘枝と、木に凭せ掛けられている緑葉。
 大きく胸が上下している。
「私達は…緑葉を助けなきゃ」
 茘枝は、一音一音を押し出す様に言った。
 言葉の意味が、いちいち喉に引っ掛かる様な喋り方。
 言いたくないと、どこかで反乱している様な。
「……」
 旦毘は応えなかった。茘枝の気持ちは十分過ぎる程伝わっているから。
 ただし、否も応も言えなかった。
 代わりに、横に立っている木を。
 力の限りに、殴り付けた。





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