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RAPTORS


 天幕から出ると、日の光は厚い雲に遮られていた。
 もう昼間にもなろうかという時間なのに、薄暗い。
「雨、降るかな」
「かもな」
 軍議から解放された黒鷹と鶸はその結果を報せに隼の元へ向かう。
 特に申し合わせた訳ではない。二人とも自然に足が向いていた。
「縷紅達、大丈夫かな」
 黒鷹は今の軍議で聞いた事を振り返る。
「大丈夫だろ。茘枝も居るし」
「うん…」
 それでも敵の中心に少数で忍び込んでいるのだ。無事生還するのも簡単な事ではないだろう。
「それより、もうすぐ天に行けるんだぜ!?楽しみじゃねぇか?」
「お前はな。留守番続きだったから」
 はしゃぐ鶸に苦笑して黒鷹は言った。
 鶸はまだ天に行った事が無い。
 黒鷹の物言いに拗ねてしまった。
「どーせお前は天なんて自分の庭みたいな感じなんだろ」
「イヤそれは無い」
「自分の畑くらい作ってんだろ」
「無い。鍬すら持ってない」
「鉢植えの一つや二つあるんだろ」
「いい加減にしなさい」
 不毛な応酬。しかし顔は互いにちっとも笑えない。
 鶸が一つ溜息を吐く。
「…行くだろ?お前」
 黒鷹は答えない。
「勝つ瞬間を見届けに行くだろ?」
 鶸はもう一度問う。
 黒鷹は曖昧な笑みを浮かべた。
「今回は俺、パスしようかなー…て…」
 答えると、横からまじまじとした視線。
「何だよ」
「…お前らさ…ほんっとに…」
 糞真面目な表情のまま鶸は言い放った。
「付き合えば?」
 ぶーっと派手に黒鷹は噴いた。
「ば、ば、ばばば馬鹿ーーッ!!!!」
 一方的に叫ばれる鶸。
「言ったじゃねぇか俺をそんな乙女だと思うなって!!大体、天に行かないって事しか言ってねぇじゃん!!隼がどーこーなんて一っ言も…」
「俺も隼となんて一言も言ってねぇよ」
「………」
 無言のまま凄い形相で睨まれる鶸。
「な…何」
 その瞬間、ごんっという音と頭の衝撃と半端無い痛みで視界が明滅した。
「いっ……」
「あーやっぱりお前は殴られ役だな。やたら似合う」
 鶸の頭の上でぱんぱんと手をはたく黒鷹。
「殴られ役って…」
 悲しいかな我ながら身に覚えのある様な。
「なんで王様になったのにボカスカ殴られなきゃいけねぇんだよぉーー!!!」
「ボカスカ?他にも誰かに殴られてんのかお前?」
「う……」
 その張本人の居る天幕の前まで来ていた。
「お前の事いじめる奴が居るのか?そんな奴俺が退治してやるからいつでも言えよ?な?」
 そんなアナタに一番イジメられてます。…と言えなかった鶸。
「まあ良いや。隼、おっはよー」
 まあ良くない!と鶸は心中穏やかではないが、平静を装って黒鷹に続いて天幕に入った。
 因みに鶸がどれだけ装った所で、そこは鶸なので限度が有るが。
 しかし天幕の中にはそれ以上に怒気を隠しもしない人物がいた。
「起きてたんだ?」
「起こされたんだ、てめぇらに。分かれ大声野郎共」
 なんだか新しい称号を頂いてしまった二人。
「お元気そうで何よりです…」
 黒鷹の予定ではもう少し大人しい隼を想定していたのだが。
 現実はそう甘くない。
「で?光爛は何て?」
 昨日の今日だ。隼はまだ何も聞かされていない。
「援軍、来てくれるって。数日以内に」
「根が来次第、みんなで天に行くからな」
「遠足じゃねぇぞ、鶸」
 釘を刺されて、分かってるってと口を尖らせる。
「良かったな、隼。光爛がお前の気持ち理解して応えてくれて」
 黒鷹の言葉を、隼は否と小さく否定した。
「向こうも利点が無ければ動かない。…これからは腹の探り合いだ」
「またぁ!?」
 呆れて黒鷹は叫ぶ。
「もう良いだろ!?光爛はお前の事ちゃんと想ってるぜ!?探っても何も出て来やしねぇよ!!」
「どうだかな。俺達は国を動かしてんだ。んなモン関係無ぇよ」
「うーわ、あんな事書いてたのに。全部建前だったのかよ、うーわ」
 辟易する黒鷹に鋭い目が向けられる。
「読んだな」
 悪い事はしていない確信はあるが、一瞬固まった黒鷹。
「…だって、光爛が見せてくれたんだもん」
「だもんじゃねぇよ、だもんじゃ」
「あ、でも見られたくないって事は、多少は本音か。でなきゃあんな事書けないよな」
「うっせぇよ」
「やっぱり照れてるな!?そっかぁそうだよなぁ」
 一人だけカヤの外な鶸は。
「…見たかった」
 ぽつりと漏らした何よりもの本音。
 浮かれ気分だった黒鷹はそれを聞いて漸く止まる。
 隼の目がだんだん険しくなっている。
「あ…あ、そうだ。栄魅とお前の姉さん助けて来たぜ?反総帥派の奴らに捕まってたからな」
 無難にさっさと話題転換。
 しかし予想以上に隼の表情は変わった。
「本当か!?」
「ああ。根の軍と一緒に来る筈だぜ?姉さんお前にそっくりで美人だぞ。名前は確か…」
「鈴寧」
 先回りして言われ、今度は黒鷹が目を見開いた。
「知ってたんだ?」
「まあな…」
 会った記憶が有るのは一度だけ。初めて根に行った帰りでの事。
 あの時彼女の誘いを断った。二度と顔を合わせる事など無いと思って。
 今、どの面下げて会えば良いのだか。
「隼の姉ちゃんも見たかったあぁ!!やっぱり根に行くべきだったなこりゃ」
「お前にそんな選択肢無かっただろ。つか動機不純過ぎ」
「んな下心無ぇよぉ!!ただお前ばっか良い思いし過ぎ!!」
「そりゃ、それだけ苦労したもん。な、隼」
「…何故こっちに振る…」
 苦々しく言われ、何となくと答えカラッと笑うと、一転して黒鷹は真剣な顔になった。
「お前、さ。やっぱり…」
 やたら歯切れが悪い。何だよ早く言えとこずく。
「根に行った方が良いんじゃないか…?」
 しばらく、呆然と黒鷹の顔を見た。
 いろいろな考えは巡るが、何も言葉に出来ないまま。
 頭が、理解する事を拒んでいる様な。
 漸く出たのは、乾いた笑い。
「光爛に…指図されたか…?俺をそう口説けって…」
「違う。俺の考え」
 きっぱりと黒鷹は言う。
「だってこのままじゃお前…。お前の事だから自分で分かってんだろ?根を呼ぶ事が、お前にとって危険だって…」
「だから?」
 隼の声はどこまでも突き放す様に冷たい。
「読んだだろ?これが俺の…責任の取り方だ」
「そんなの有るかよッ!!そんな責任の取り方なんざ――!!」
 激昂して食ってかかる勢いの黒鷹を、鶸の手が止める。
「落ち着けって。…俺もそんなの無いと思うし…根で安全な所に居て欲しいよ、隼」
「そうだよ!!だから言ってんだよ!!…お前が素直に聞かないってよく分かってるけど、言わなきゃ…行かさなきゃいけねぇんだよ!!」
「……」
 隼は黙って考え込む。
 横目にあの薬を見ていた。
「そりゃ俺だって…この戦の終わりをお前と見たいよ…!お前が根に行ったら殆ど会えなくなるのも分かってる…。でも…死んで欲しく無いもん…」
 がっくりと落ちる肩を、翡翠の目が捉える。
「…じゃあさ」
 ちくちくと、胸が痛む。
 これは、裏切りだろうか?
「症状次第ってのはどうだ?」
「…え…?」
 それでも――選択肢など、無いのだ。
「ほら、この間鶸が連れて来た医者な、結構腕利きらしくてさ。…治るかも知れない」
 石を吐く様な思いで――しかしそれに感づかれないように微笑しながら、隼は言った。
「本当!?」
 二人の声が重なる。
 こんなに嬉しそうな旧友の顔は、久しぶりだ。
 その無邪気さが、胸を締め付ける。
「だから…治れば根に左遷される必要も無いだろ?」
「そうだな!俺は人事部長じゃねぇけど」
 黒鷹が笑う。
「でも良かったぁ。鈴寧もすっげー心配してたし。お父上に続いてお前まで居なくなったらどうしようって…」
 言ってしまってから低く「あ」と漏らす。
 隼の表情が曇った様に見えた。言った内容が内容だけに当然なのだが。
 しかし当の本人は、眉一つ動かしたつもりは無い。
「死んだのか?」
「…ごめん、つい」
 口を滑らせた事を詫びる。
「んな事別に良い。ただ知りたいだけだ。…どうして死んだ?」
 苛立つ口振りに黒鷹はますます小さくなる。
 嘘を用意する余裕も与えられない。
「殺された…って。反総帥派の奴らに」
「……」
 口を閉ざす隼に、黒鷹は慌てて言った。
「でも鈴寧は無事だから!危ない所を光爛が助けてくれたんだよ、組織も潰滅したし!もう根は大丈夫だから…気、落とすなよ」
 どう慰めたものか分からない。とにかく病は気からと言うし、気落ちだけはさせまいと必死になった。
 だが隼は、片頬で笑った。
「無駄な心配するな。会った事も無い人間の死で落ち込む程、俺は出来てない」
 実際は、いまいち実感が湧かないだけだ。
 見知らぬ人間の死ならば、この戦で嫌と言う程見てきた。
 人の死に感覚が麻痺したのだろうか。また一つ増えたという感慨しか抱けない。
「油売らずに仕事したらどうだ?進軍決まったらやる事あるだろ、王様?」
「な、お前この前は人を暇人扱いした癖に…――っ!!」
 鶸の叫びはずいぶん不本意な形で止められた。
 黒鷹の右手が口を塞いで、そのまま頭ごと出口方向へ押される。
「だから仕事しようぜー!お、う、さ、まっ!!」
 鶸はまだ手の中でもがもが言っていたが、黒鷹は構わず天幕を後にした。
 出る間際、隼に笑いかけて頷く。
 隼も同様に応えた。
 二人が天幕を出てからややあって、鶸の叫びが聞こえた。
「だぁーっもう!!何なんだよお前ら!!相思相愛か!!」
「よく知ってんな四字熟語。なにげに王様になってから勉強してんだな、偉い偉い」
「はぐらかすな!!なんで追い出されなきゃいけねぇんだよ!!…」
 言い合いは続くが、だんだんと遠くなり聞き取れなくなる。
 黒鷹は隼を疲れさせないよう出て行ったのだ。つい口を滑らせた事もあって。
 それでも笑顔で出て行けたのは、病が治ると分かったからで。
 隼も父親の死より、その方が思考を支配していた。
 ついてしまった嘘。
 恐らく、最後の最期まで騙す事になるだろう。
 出来ればそんな事はしたくなかった。でも。
 隼は何かに取り憑かれたかの様に瓶を掴み封を切り、一息に飲み干した。
 死期を早める薬。
 これしかない。こうするより。解っているのだ。
 震える空の瓶。
 何か、恐ろしい物を持ってしまったかの様に、ばっと床に投げ捨てた。
 直ぐに寝具に潜る。
 喘ぐ息。震えが止まらない。
――これで良いんだ。これで――
 固く固く閉じた瞼から、雫が一つ、零れた。





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