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RAPTORS


 じっと、瓶を見詰めている。
 枕元から、隣の棚に置かれたそれを。
 時は夜半。皆とうに寝静まり、人の気配は無い。
 隼は今夜も闇夜の中、孤独を持て余していた。
 蝋燭は既に燃え尽きた。天幕の中には月明かりも届かない。
 もう一度、灯かりを点そうという気力すら湧かない。
 闇に慣れた訳ではない。
 不安に胸を引っ掛かれる傷は、日に日に増えてゆく。
 ただ、もう、身体を動かす事が怠くて仕方が無い。
 僅かな動きでも息が上がる。その事実が、体の衰えを隼自身に突き付ける。
 不安は、増す。
 闇の中、視線を注ぐ瓶。この中には、それを解消する薬が入っている。
 そう、まだ入っているのだ。手付かずのまま。
 銘丁は三日前にこの薬を置いて去って行った。
 本人の言に依れば、この薬の効力が切れる頃にまた持って来るとの事。
 見張られている。本当に飲むか否か。
 しかしそれも変な話だ。本来は敵同士であると言うのに。
 隼が誰かに頼めば、銘丁が再来した時捕らえる事も出来ると言うのに。
 また銘丁も、こんなまどろこしい方法を取らなくとも、隼を殺す術はいくらでもあるのだ。
 例えばこれが本物の毒薬なら――しかし隼はそれを疑っていない。
 殺し合う立場ながら、どこかで信用している。
 矛盾している。余りに油断が過ぎるだろう。
 何が自分をそうさせているのか隼には分からない。
 ただ、自棄なだけかも知れない。
 どうせ死ぬのだから、毒薬でも良い、と。
 そしてそれ以上に、一つの望みがあった。
 この薬が本物ならば、刀を握って死ぬ事が出来るのではないか。
 隼が今一番危惧しているのは、命が続いていながら身動きすら取れなくなる事。
 生きながら死にたくはない。
 それは銘丁の言った通り、祖国――根の混乱を招く火種になり兼ねない。
 ただ、何よりも、最期まで己を保って生きていたいのだ。
 最期まで、戦っていたい。
 己の始めたこの戦の中で。
 全てを捧げたこの国と、守るべき人達と、己の夢の為に。
 それなのに。
 この薬に手が出せないで居る。受け取ったあの時から、指一本触れていない。
 何を迷うのか――ここまで来たら、自覚せざるを得ない。
 怖いのだ。死が。
 これを飲めば死期が早まる。
 そのくらい何とも無いと思っていた。
 だが、この現実はどうだ。
 理想と死を前に、こうも悩み惑う。時間だけが過ぎてゆく。
 情けなくて、自嘲すら出て来ない。
 ただ、浮かぶのだ。
 瓶を取ろうと手を動かした時。
 脳裏に、昔の事が――黒鷹と、笑い合っていた日々の事が――目に浮かぶ。
 もう戻らない平和な日々。
 この手には入らない希望が。
 まだ、虚しく残っていて。
 手が、止まる。何も考えられなくなる。
 怖い。そして、哀しい――
 カサッという、微かな音が隼の意識をこの場に戻した。
 外からの音――風だろうか。
 視線を外して初めて、酷くぐったりとした倦怠感に襲われた。
 知らず知らずのうちに夜目を利かせていた所為だ。
 恐らくこの闇では、地の人達には一寸先も見えないだろう。
 根の種族にのみ備わる能力。だが隼は地で育ったが為か、この能力を使うと酷く消耗する。
 それでも見えてしまう。
 闇の向こうにあるものが。
――死にたくない、か…
 先刻までの自分の心情に少し客観的になって、小さな溜息が漏れた。
 音。
 衣擦れ。
 はっと息を飲む。
 意識せずとも手は瞬時に刀を握っていた。
 空を切る、鈍い銀。
 刹那、ざぐり、と。
 寝具に突き刺さった刀。襲撃者は舌打ちする。
 その後ろで鉄と鉄がぶつかる高い音が響いた。
「――っ」
 たったこれだけの事なのに、腕に痛みが走る。
 しかしそれに構っている場合ではない。隼は相手の斬撃を受け流し、さっと出口に走った。
 天幕の中では分が悪過ぎる。恐らく襲撃者は根の人間だ。
 彼らはこの暗闇の中でもはっきりと物が見えているのだろう。
 一方で隼の目は、微かな輪郭を捉らえるのがやっとだった。
 何にせよ、誰かを呼ばねばならない。
 相手が何人であろうと、今の自分には勝てない。不可能だ。
 漸く相手の隙を突き、外へ出た。
 その時、鋭い痛みが走った。
 外で待ち構えていた一人に腕を斬られた。咄嗟に横へ避けたので深手にならずに済んだが。
 しかしそのまま逃げる事も叶わず、刀を構える。
 月明かりの下に出て来た敵は、三人。
 一言も声を発していない。だがぎらぎらとした目からは明確な殺意が見て取れる。
 決して素人ではない。恐らく金の為に冷徹に人の息を止める類の人間だ。
 助けを呼ぼうにも、荒い息の中、声が出ない。
 刀を構えて立っているのがやっと。
 気を抜けば喀血するだろう。咳を無理矢理抑え込んでいる。
――どうする…!?
 否、どうしようも無いのか…?
 かつてなら、相手が如何に手練であろうと、それが何人居ても、負ける気はしなかった。
 それがこのザマだ。
――もう、潮時なのかも知れないな…
 じり、と。
 前に出た。
 覚悟を問うのなら今更だろう。
 刀を握るという事は、そういう事だ。
 とっ、と踏み出す。
 相手は隼が向かって来た事、そしてその速さに面食らった様だ。
 一瞬、動きが止まった。
 その刹那、隼は一人に斬り掛かった。
 しかし――何度も繰り返してきた事だ。手の感触で分かる。
 深く入らない。
 切り傷を付けるのがやっと。
 にやりと、斬った男が嘲笑うのが見えた。
 はっと、後ろを振り返る。
 別の男の斬撃が迫っていた。
 何とか刀を持って来たが、体制が整わず、既に手には力が無い。
 容易に刀は弾き飛ばされた。
 続く留めを避ける為、横へ倒れた。
 耳元で刃が空を切る。
 倒れながら短刀を抜く。
 だが、こんな事は何にもならないと、隼自身も分かっている。
 目前に翳す刃。
 その向こうで嘲笑う殺意。
 この短刀を、自身の喉に突き立てるか――
 揺らいだ気持ちは、しかし直ぐに掻き消した。
 結果は、同じだ。
 振り下ろされる刀。
 短刀で受ける。
 もう力は残っていない。なのに、まだ。
 まだ、この手は生を掴もうとする。
 諦めても良い筈なのに。
――諦めても…?
 アイツは、納得しねぇだろうな…
 待っていると言ったのに。
 黒鷹は…――
「――!?」
 軽くなった短刀。
 横へ倒れる男。
 声。途切れ途切れに聞こえる。
 あれ程求めていた声が。
「…クロ…?」
「あっぶねー!!ギリセーフだったな隼!!」
 やたらと脳天気な笑い声。
 これは現実?
「何ぽかんとしてんだよー!?俺だって、俺!」
 否、夢でも――こんな馬鹿面は拝めないな。
 隼の口元が僅かに上がった。
「知らねぇな。誰だお前」
「うっわ!!お前そういう事言う?最っ低ー!!」
「別にお前に何言われようが…」
 視線は向かいに座る黒鷹の上を捉えた。
 咄嗟に黒鷹の刀を取る。
 黒鷹の頭上で、刀と刀はぶつかった。
 腕が痺れる。感覚は遠い。
 それでも、守らなければ――
 直ぐに、感触は軽くなった。
 倒れた男の後ろに、董凱が立っていた。
 その後ろには、鶸も、朋蔓も。
「…父上」
「お帰り、娘よ」
 返り血を身体中に浴びている娘に父親オーラ満開な董凱。
 はっきり言って異常な図だ。
「董凱、可愛い娘を構いたい気持ちは結構だが…少し考えろ」
 朋蔓が苦言を呈する。
「え?」
「え?ではない。瀕死の人間を差し置いてソレは無いだろうと言っている」
 当の隼にとって言い返したい事は山ほど有ったが、当然そんな無駄口も叩けない。
 地べたに転がって、口からは咳と血が流れるに任せている。
 もう手足を動かす力も無いし、その気も無い。
 もう、良いや、と。
 投げ槍ではなく、不思議と満足して――意識を手放した。





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あきゅろす。
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