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RAPTORS

 黒鷹の爪先が水面に付いた所で、落下は一旦止まった。
 隼はしばらく辺りを見回すと、突然水の中へ入った。
 そうなると、当然黒鷹も水中に入る事になり、水面に顔を出すと、激しく咳込んでいる。
「こんなお目覚めは初めてだろ」
「最低」
 黒鷹が睨み付けるのを見て隼は破顔したが、黒鷹にはそれが見えない。
「向こうに岸がある。泳げるか?」
「お前が引っ張ってくれるなら」
「はいはい」
 しばらく泳ぐと、隼が止まって岸に上がる。引っ張られるままに黒鷹も岸に上がった。
 座って喘いでいると、隼の手が離れた。
「隼」
 不安げに名前を呼ぶと、シュッと音がして、辺りが明るくなる。
 隼が松明の小さい物に火を付けたのだ。
「茘枝が天からくすねて来た。マッチと言うらしい。便利なもんだ」
 隼は小さな箱を革の袋に入れた。
「明かりがあって大丈夫なのか?」
 黒鷹は訊いたが、隼は「さあ」と受け流す。
「夜目利かせるのは疲れるんだよ」
 火に照らされた一本道を二人は歩く。
 やはり周りは黒くすべすべした岩。
 だがだんだん、道の高さも幅も狭くなってきた。
「このまま行き止まり、ってオチは無いよな?」
「多分大丈夫だろ」
「多分かよ」
 それからまたしばらく歩いて、頭に天井がくっつくぐらいになる頃、隼は立ち止まった。
「どうした?」
 黒鷹が振り返る。
 隼は答えない。
「隼?」
「…ああ」
 上の空で応える。
「どうしたんだよ?」
「別に…」
「別にじゃ済まない」
 強く言われて、隼は渋々理由を言った。
「空気が汚れている」
「…え?」
「根の空気は清浄な筈だ…。でもここは…少なくとも地より酷い」
 黒鷹も聞いている。根の人間が地に出れば、空気の汚れ故に体を壊すと。
 天に至っては命の保証は無い。
 “空気の汚れ”とは高度文明の代償だ。地まで汚れているのは、天の空気が地に少なからず下りているせいだ。
 地上によって隔てられた、高度文明の無い筈の根の空気が汚れている――。
「これは、俺の知っている根じゃない…」
「一体何があったんだ…?」
 行く先に、微かな明かりが見えた。
「行こう。見なきゃ分からねぇ」
「そりゃそうだけど…お前大丈夫なのか?」
「このくらいで引き返す訳にはいかない」
 歩いて行くうちに明かりは強いものになる。
 出口までの間、二人は全く話さなかった。
 隼がなるべく空気を吸わない様にしている為だ。
 だが出口の数歩前、黒鷹が立ち止まって訊いた。
「戦えるか?」
 耳打ちの様な小さな声に、隼はゆっくり首を縦に振った。
「誰かが構えているけど…なるべく手を出すな」
 死んでも横には振らないなと思い直しての、黒鷹の言葉。
 それからは息を殺して、出口へと足を進める。
 そして。
――がつん!と硬い物がぶつかり合う。
 相手の次の攻撃が繰り出されるより早く、黒鷹は臑を峰打ちした。
 相手は足を抱えて倒れ込む。
「骨でも折ったか?」
 隼は松明を持ったまま、一連の動きを見て、言った。
「いや…加減したから痛いだけだろ」
 黒鷹は言いながら、相手の顔を自分に向ける。
「根では来客を襲うのが礼儀なのか?」
 嘲笑は、相手の顔を見るなり掻き消えた。
「…お前」
 顔に刺青。白くない髪と肌。
「どっかで見た顔だな」
 地の人間というのは明白だった。
「貴方様は…もしや…」
 相手の声を聞いて、黒鷹は「ああ」と明るい顔をした。
「“カタブツ”!!」
 明々と言った黒鷹に、深く長い溜息を吐く。
「…王子…」
 その沈んだ声は、言外に“名前で呼んでくれ”と願っているのだが。
 それを汲んだかどうか、黒鷹は続けた。
「えーと、名前なんだっけな…確か……トド?」
「阿鹿(あしか)です、王子…」
「あ、悪い。五年も経てば忘れるなぁやっぱり」
 言う黒鷹には全く悪気が無い。それが阿鹿をますます落ち込ませる。
 彼は以前、王の世話役という地位だった。王の身の回りの世話をする仕事…の筈だったのだが。
 気付けば、悪ガキ三人組―敢えて誰の事かは言わないが―のお目付け役となっていたのだ。
 そんな訳で、二人と阿鹿は親子の様な愛ある関係…の筈なのだが。
「で、何やってんだ、こんな所で。主人に襲い掛かる世話役なんて聞いた事も無ぇぞ」
「も、申し訳ございません…」
「ホント、どう思うよ隼?」
 振り向いて驚く。
 隼は岩壁にもたれて座っている。呼吸は苦しそうで、目には生気が無い。
「あぁー、そうだった悪かった。大丈夫か?」
 隼には辛い環境だという事すら忘れていた様だ。
「おいカタブツ、どこか休める所無いか?」
「私の宿舎で良ければ…」
 黒鷹は隼の腕を首に回して立たせようとしたが、自分の身長ではそれが無理だと解ると阿鹿を呼んだ。
「手を貸してくれ、カタブツ」
「あ、はい」
 そう遠くない宿舎を、普通の倍の時間を掛けて歩き、ようやく着く。
 簡素で狭い部屋の、これまた簡素で小さな寝台に隼を横にさせる。
 何か言いたげな阿鹿を目で制して、静かな環境を作る。
 乱れがちだった呼吸が調うのを聞いて、やっと黒鷹は口を開いた。
「聞きたい事は沢山あるけど…とりあえず何でこんな所にいるんだ?」
 阿鹿は項垂れて言う。
「お怒りですか?」
「いや、そんなのじゃなくって」
「お聞かせ苦しい話ですが…。五年前の戦で私は敵に追われておりまして…」
「ま、刀持てる奴じゃ無かったもんな」
 その一言が、先刻の襲撃への厭味に聞こえ、縮こまる阿鹿。
「やはり、お怒りで…」
「だから、怒って無いってば。で?どうなった?」
「三界山の麓まで逃げ延びましたが…」
 聞いて、黒鷹は噴き出す。
「お前が?城から走って山まで来たのかよ?とんだ火事場の馬鹿力だな」
 阿鹿は口は達者だが体力皆無。三人を叱り飛ばすには調度良かったのだが。
「ひょっとして…あの穴に落ちた?」
 ふと思った事を黒鷹が言えば。
「はい…恥ずかしながら…」
「ドジだなぁ。それで天の代わりに根に捕まって、見張りをさせられてます、めでたしめでたし…ってか?」
「…その通りでございます…」
「まぁ俺も天に捕まってたからあんまり人の事言えねぇけどぉ。そんなドジって捕まった訳じゃ無いしぃ、天の小間使いになった訳じゃないしぃ」
 厭味の矛先を何とか丸めようと、無理にでも阿鹿は心配そうな顔をする。
「天に捕えられたのですか?お怪我などございませんでしたか?」
「うん。俺、お前と違って強いもん」
「……」
 硬直する阿鹿を見て、黒鷹は笑った。
「悪い悪い、隼がこんなだから、気が立ってるみたい」
「いえ…。それよりも隼はどうかしたのですか?」
「ああ、空気が悪かったらしいな…。…面倒だから最初から話す」
 黒鷹は今の地の状況、革命の事、同盟を結びに根に来た事を話し、最後にこう訊いた。
「根に空気を悪しくする文明が生まれたのか?」
「その様です…私が来た時には既に。ひょっとすると天と同じ位かも知れません」
「いや…隼が生きてられるならそれは無いだろう…。根の人々の体も追い付かない。…でも一体、どうして根が…」
「私のような下官には一切情報は下りません」
 黒鷹は阿鹿をまじまじと見る。
「呆れたな」
「…はい?」
「地では王子を怒鳴る程の上官、根では俺を襲う下官か」
「…そろそろご容赦頂けませんか…」
「いや、そうじゃなくて。地に連れて帰ったろうと思ったのに、官位貰ってぬくぬくと生活してるんならなぁ…置いて帰った方がいいかなぁ…」
「…連れ帰って下さいませんか…」
「さぁて、どうするかなぁ…」
 言いながら黒鷹は床に横になる。
「あ、あの、王子…?」
「疲れた。寝る」
 冷たい木の床の上。そこで寝るのを阿鹿が許す筈が無い。
「少々お待ち下さい!宿の手配を致しますから!そんな所ではお体に障ります!」
「うっせぇなぁ…。眠いんだよ俺は」
 かったるそうに目を開き、何を思ったか立ち上がった。
「王子!!」
 阿鹿の声は悲鳴になった。
 隼の横に潜り混み、添い寝する形となったのだから。
「ああ、阿鹿ぁ?」
 眠そうな声に、困り果てて「何でしょう」と応える。
「根の下官として、俺を根の城まで案内してくれ」
「畏まりました…ですから王子…」
 “ちゃんとした所で寝てくれ”と言おうとしたが、寝台の上からは二つの寝息が耳に入り、開いた口を閉じる事となった。



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