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RAPTORS


「よくそんな嘘が付けますねぇ」
 黒鷹の去った天幕で、縷紅がのんびりと言った。
「…嘘?」
 何が何だか分かり兼ねる緑葉。
 隼は答えず、背を向けたまま。
「良いんですか?黒鷹を待っていたのでは無いのですか?」
「…っとに…何でアイツが居るんだよ…」
 縷紅の問いには応えず、一人ごちる。
「意外な展開でしたねぇ。まぁ助かったと言えば助かったんですが」
「勝手過ぎるだろ…」
「おや?人の事言えますか?」
 少し揶揄するつもりで言ったが、反応は無い。
「…どうして素直に喜んであげないんです?」
 やはり何も応えが無いと見て、縷紅は踵を返した。
 黒鷹の後を追うのだ。
 あの分だと拗ねているだろう。
「今晩にでも天の基地へ攻め込んで――勝負をつけます」
「縷紅」
「何でしょう?」
「…いや…気を付けろよ」
 縷紅はふっと笑って扉を開けた。
 光が差し込む。
「二人の働きを、無駄にはしません」
 縷紅が行ってしまう音を聞いて、隼は上体を起こした。
「大丈夫か?」
 緑葉が水の入った器を差し出す。
「…本当に、生きて帰れるとはな…」
 器を受け取りながら、隼は呟く。
「生きて帰れなくてどうすんだよ」
 当然と言わんばかりの笑みで緑葉は言う。
 水を飲む。
 乾いた喉に、冷たいものが通ってゆく。
「そりゃあさ、もうダメだって俺も何回か思ったけど」
「悪い…そういう事じゃない」
 言われて緑葉は怪訝な顔をする。
「生きて帰るつもりではいた…。でもそれ以上の事は…帰った後の事は、考えてもなかった…」
 器に広がる水紋を見つめる。
 そこに映る自分の顔は、歪んでいる。
「どこかで、これで終わると思ってたんだろうな…」
「終わってないだろ。せっかく生きてんだ、もっと嬉しそうな顔しろよな」
「…出来ねぇよ、そんなの」
「何でだよ?大事な友達なんだろ?せっかく会いに来てくれたのに追い返しちまって。分っかんねぇな」
「お前達に解る訳ねぇだろ!!」
 突如、声を荒げた隼を、緑葉は驚いて見やる。
「…悪い。八つ当たりだな、こんなの」
 ばつが悪そうに顔を背けながら、隼は謝った。
「気にするなよ。そんな日も有るさ」
 努めて明るく言い放つ緑葉に、隼は呟く。
「…怖ぇんだよ」
「怖い?」
 何かの冗談に聞こえて、薄く笑いながら返す。
 だが、その表情を見て、それが本心だと気付いた。
「何が」
「…何だろうな…」
 的を得ない答えに眉を潜める。
 緑葉の疑念を察し、隼は考え考え自分の心情を言葉にした。
「死ぬ事…いや、何もせずに生きる事が…無力になる事が、怖い」
「――」
「もう…死を待つだけの俺を、黒鷹には見せられない…」
「だから…か?」
 あんな事を言ったのは、その為か、と問う。
 本心ではないのなら、尚更酷な態度だと思えた。
「側に居れる資格が無いのは、俺の方だ」
 自らに言い聞かせるように呟く。
「側近という役目も無くなった今、俺がアイツの横に居る理由は…無い」
「どうして…」
「辛い思いをさせるだけだ…きっと」
 黒鷹の兄は病死したと聞いた。その為に同じ齢の自分が側近として呼ばれたのだが。
 今の己の姿は、その兄に重なるのではなかろうか。
 ならば、同じ思いを二度も味あわせたくはない。
「死を悲しませるくらいなら、二度と顔も見たくなくなる程嫌われた方が…気が楽だろ?」
 嘲笑は、喉に引っ掛かって上手くいかなかった。
 緑葉はそんな隼を無表情で見つめる。
 志半ばで病に倒れる、その辛さは測り兼ねる。だが。
「そんなの勝手過ぎるだろ…」
 静かな言葉は怒りを孕んでいる。
 それに気付かぬ程、隼は鈍くはない。だが、応えはしない。
――当然だ。
 この状況で、この弱い自分が、許される筈がない。
「大体死ぬとか言うんじゃねぇ!!まだ決まった訳でもねぇし、皆お前に生きて欲しいって願ってんだよ!!その想いを踏みにじるのもいい加減にしろ!!」
 隼は、怒鳴られ胸倉を掴まれるのに甘んじていた。
 抵抗する体力も理由も、権利も無い。
「聞いてんのかよ!?」
「…ああ。分かってる」
「何が」
「俺が弱いからいけないんだ。弱い奴から死ぬのは当然だろ」
 衝撃が頭に響いた。
 緑葉に頬を殴られたらしい。一瞬の事で何が起こったのかよく分からなかった。
 ただ、じんわりとした痛みだけが残る。
「――だから、さ」
 寝台に倒れた状態で、隼は続ける。
「お前も俺なんかに情移すなって…」
 独りで死ぬ筈だった。世界など知る、ずっと前に。
 それが生きて、ここまで来れて。
 それだけで十分だと、隼は思った。
 それ以上は望まない。誰かの中に自分の存在を残して逝くなど、そんな筈では無かった。
 独りで死ぬなら、元通りだ。
 地に棄てられ、国と国との遺恨の犠牲として果てるべきだった、あの時に。
「馬鹿」
 懐かしい声がした。
「人様の手まで煩わしてんじゃねーよ、恩知らず!」
 ぱさりと、隼の上に何かが降ってきた。
 縷紅に預けた髪の束。
「お前は死なさねぇ。俺が、絶対に」
「何でだよ…」
 今しがた出て行った筈の黒鷹が、出入口に仁王立ちになっている。
「全部聞いてたのか?」
 嫌な予感をそのまま疑問にしてぶつければ。
「悪いか?」
 開き直った態度に、隼は何かを諦めた。
「スミマセン、私が勧めたんです」
 黒鷹に続いて入ってきた縷紅が、これまた悪びれずに言った。
「てめ…」
「緑葉と二人きりなら本音が聞けやしないかと思いまして」
「良かったなー隼。殴ってくれるオトモダチが出来て」
「…俺はてめぇらを殴りてぇんだけど…」
 苦虫を噛み潰して無理矢理飲み込まされる気分の隼。
「どこから聞いてた?」
 問いに、黒鷹は微笑するだけで応え、寝台に腰掛けた。
 仰向けの隼に斜めに背を向ける形になる。
「本音じゃないのは判ってた」
 先程、黒鷹を天幕から出させた言葉だ。
「でも何でそんな事言うのか分かんなくて。…だから、聞けて、安心した」
 そこまで言うと、肩越しに振り向いて隼を見た。
「例えお前が嫌がっても、俺がお前の側に居る。お前がどこに行っても、ついて行くから。だから…」
 今までに無く、切実な眼で。
「生きていてくれよ…」
 あまりにも。
 あまりにも、遠くに行ってしまい、側に居る事すら叶わなかった人達。
 だから、その願いの切実さは、よく――痛いほどよく、知っている。
「…クロ、悪い」
 それでも。
「生きるかどうかは、俺の決められる事じゃない」
「だけどっ――」
「報いだから」
 決意の固まった、揺るがない緑の瞳。
 吸い込まれそうだと、どこかで思った。
「戦を始め、多くの命を奪った――俺の、報いなんだ、これは」
「…それなら…」
 分かる。理屈は。
 元は隼が自分に頼んできた事だ。だが。
「俺が受けるべきだろう…」
 責任を負うべき“王”は自分だ。
「もしこの世に神が居るなら、そいつは賢明だな。誰が罪を負うべきかよく判っている」
「――違う」
「お前は」
 黒鷹の言いかけた言葉を遮って、隼は少し声を上げた。
 そして、言い聞かせるように、優しく、淡々と続ける。
「お前は、その後を、きちんと見守る役目がある」
「…独りで、か…?」
「ああ。でもお前には居るだろ?仲間ってヤツが、大勢」
「お前もその一人だろ!?なぁ…頼む。ずっと――」
 すっと延ばされた右手。
 人差し指で塞がれた唇。
「…言うなよ。辛くなるから」
「……」
「この戦で死んでいった人達に…俺がのうのうと生きてたら、顔向け出来ねぇよ。それこそ辛いだけだ」
 奮い立たせるように、言い聞かせるように、詫びるように。
 隼は微笑った。




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