RAPTORS
3
嵐の去った戦場に、朝日は温かに降り注ぐ。
兵達が帰還した後に基地に入った二騎。
馬上には予想通りの顔。
「お帰りなさい」
聞きたい事は山程あるが後回し。とりあえず笑顔で迎え入れた。
「おう」
旦毘が軽く手を上げて応え、そのまま厩へと向かった。その後に続いたのは。
「縷紅!!元気か!?久しぶりだな〜!」
期待を裏切らぬ明るい声。
「お久し振りです。国王陛下」
ちょっとした皮肉を込めてそう呼べば。
「それは違うよ縷紅。…先に謝っておく!ゴメン…なさい!!」
慌てて下馬し、頭を下げる“国王”。
謝られる方は当然、訳が分からない。
「なんですか…?帰って来て早々」
まさか今しがたの行為の事ではないだろう。
そもそも“国王”が“違う”とは…
「王位、鶸にあげてきた」
「…え」
一瞬、何の事だろうと考え、そして。
「何の…冗談ですか?」
言葉の後半は、引き吊った笑いと共に。
「冗談じゃなくて!俺すげぇ本気!!て言うかもう済んだ事だから変えようが無いし変えたくないし」
「再び王位を手にしたくはない、と?」
黒鷹は真顔で深々と頷く。
「また、どうしてそんな事を…」
「どうしてって…どうしてだろうなぁ…」
何とも曖昧な答え。
自分でも理由が分からない。
ただ、直感的な行動として。
「ここに駆け付けなきゃいけない気がした」
「それは、あなたの考えで?」
「多分」
「私も本隊の下山を要請する書簡を出したのですが…入れ違った、という事ですかね…」
書簡を見ての行動なら、こんな事態はまず有り得ない。
「俺、早まったって事?」
「いえ…あなたが今帰ってきてくれた事で、我々が救われたのは事実です。本当に、奇跡のようだ。でも…」
「でも?」
「いえ…済んだ事は仕方ありませんね」
言いたい事を飲み込んで、縷紅は微笑んだ。
問題を数えればキリが無い。だが終わった事を言っていても始まらない。
とにかく今は良い結果となっているのだ。
「俺、嘘付いちゃった」
唐突に黒鷹が言う。少し首を傾けて先を促せば。
「王じゃなくなったのに王って言い触らした」
そう言えば、と縷紅は納得する。
カタリはカタリだったのだ。
「そうですねぇ…どうやって民に、実はあなたは王ではないと説明しましょうか…」
深刻な顔を作ってぼやいてみる。
「あっ…そうだよな。ヤバいよなそれって…」
狼狽えている。
縷紅は可笑しくなると共に、少し可哀想にも思えて、少年ならぬ少女に笑いかけた。
「まぁ、今は王でも良いでしょう?この戦では王も民も一緒だ」
「そうだよな。戦の後も、な?」
ころりと表情を変えて問いかける。
「それは本物の王が決める事です」
「あ、そか…」
「ま、鶸なら同じ思いでしょうけど」
幼い頃から共に過ごした二人の事だ。確かめずとも、きっと同じ理想を抱いているだろう。
「少し、お休みになりますか?下山も大変だったでしょう?」
「うん、でもその前に…」
辺りをきょろきょろと見ながら、黒鷹は訊いた。
「隼は?」
言葉に詰まる。
――どこまで伝えれば良いのだろう。
「やっぱり…何かあったんだな?」
黒鷹の顔つきが鋭いものとなる。
「変だと思った…。根の兵も一人も居ないし…。教えてくれ、何があった?」
「空気の汚れを利用されたんです」
「何…!?」
「光爛はこれ以上地に協力すると、多大な犠牲を払うと判断し、撤退しました。…しかし、隼は残っています」
「残った…?それじゃあ、地の汚された空気に今も…!」
縷紅は頷く。
黒鷹の顔色が変わる。
「今、どこだ!?教えてくれ…早く!!」
掴みかかる勢いで縷紅に迫る。
「落ち着いて下さい。隼は今、我々とは別行動をしています。居場所は分かりませんが…もうすぐ帰る筈です」
「無事なのか…?」
すがる目に、縷紅は首を横に振った。
「彼自身が遠からぬ死を覚悟して志願した作戦です。危険な策です…。況してや、病に冒された身では…」
「なんで行かせた!?いや、悪い、止めたんだろうな、お前達は」
激昂したが、すぐに思い直し、謝った。
自分にも覚えがある。隼の決意は、止められない。
「反対する私に…これを」
縷紅は隼に預けられていたものを、黒鷹の首に掛けた。
「これは…」
白い、髪の束。
「もしもの事があれば、黒鷹に渡して欲しい、と。私はその覚悟に負けました」
白糸を指でなぞる。
摘み上げれば、ぱらぱらと指から溢れ落ちる。
――何故。
「そこまでして…残った…?」
俯いた顔から表情は読めない。だが声は十分な程沈痛なものだ。
「本当の気持ちは本人しか知り得ません。しかし…」
黒鷹は顔を上げる。無表情に近い。
「この国と、あなたを想う気持ちが一因である事に、間違いは無いでしょう」
「そんな…身ィ削って…命懸けてまで…」
「隼は根の軍と共に帰国したら、二度とこの国に入れない事を知っていた。空気の問題もありますが…彼は身を持って根の動きを制した」
「…根を、制した」
「隼が手元に居れば、光爛は地を庇う理由が無くなる。彼女の気持ちはともかく、地を見限り天に味方せねば自国が危ういですからね。しかし、隼は地に残った。これでは簡単に裏切りや攻撃は出来ない」
それは、人質だ。
「…どこまで有効かは別問題ですがね」
隼への感情は、光爛一個人のものにしか過ぎない。
それで家臣や民はどこまで納得するか。
「それって…隼が根に行っていたら、俺達は敵になっていた…って事…?」
「その可能性はありました」
黒鷹は難しい顔で考え込む。
「それは…耐えらんねぇよ…」
実際、戦い合うかはともかく。
どちらかがどちらかの国を滅ぼす――。
見ているだけでも辛いだろう。
その代償が、この運命なのだ。
「もっと…俺達が違う人間だったら良かったのにな…」
呟かずには居られなかった。何の意味も無いと分かっていても。
そんな黒鷹の肩に、縷紅は手を置く。
「託された物は渡しましたが――隼はまだ生きています。待ちましょう、帰りを」
今は、そうするより他は無い。
こくりと、黒鷹は頷く。
白の束が、揺れた。
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