RAPTORS
1
沸き起こったのは、大地を揺るがすかの様な、歓声。
戦場からのものだ。
近く聞こえるところから、どうやら味方の声らしい。
赤斗は司令官としての役目を思い出したのか、その声に気を取られた。自軍に有難くないものである事は間違いない。
その一瞬を、縷紅は見逃さなかった。
交わっていた剣を絡ませ、赤斗の剣を掻い潜り、喉元に突き付けた。
両者の動きは止まる。
「…何だ」
掠れた声で赤斗は言った。
「殺さないのか」
「……」
止めた動きを再開させる事が出来ない。
勢いで斬ってしまえば良かったものを。
――良かった?
「私の目的は、こんな事ではありません…」
そう、今の自分は。
昔とは、違う。
変わったと――思いたい。
「甘いな」
「動かないで下さい。斬りたくなどありません」
「後悔するぞ」
「…ええ。しかし」
判っている。どちらの行動を選択しても、後悔が残る。
だが、同じ思いは二度としたくない。
出来る事なら――彼女で最後に。
「姶良に誓いました。敵無き世界を作ると」
「戯言か」
「いいえ」
真っ直ぐに見つめてくる紅い瞳。
思わず目を逸らす。
「本心です。…そうでなければ、こんな戦は有り得ない」
「理想の為にこんな犠牲を払うのか!?やはりお前は何も変わっちゃいない」
「現状をそのままにはしておけない。罪無き人を見殺しにする事など」
不意に。
くつくつと、喉の奥からの笑い声。
「何か…?」
「ふざけるのも大概にして欲しいと思って、な」
見返してくる赤。
あまりに強いそれは、己の紅と同じようで。
決定的に、異なる。
「勝手ばかり抜かしやがって…どんなに御託を並べようが、貴様の罪は消えない。――俺が、消させない」
寒気がした。
この、燃える様な赤に見詰められながら。
焔に追い込まれた様に。
――消えない。
消してはいけない。
それでも。
忘れたい。それが罪だと解っていても。
「赤斗、貴方は――」
この、憎しみの源流は。
過去に己が撒いた、種だ。
「貴方は、一体…!?」
「見当も付かねぇか。まぁ、当然だろうな」
言葉に詰まる縷紅。
赤斗は嘲笑う。
「それほどまでに罪を重ねてきた――証だろう?敵になった今だ、教えてやるよ。俺は貴様に全てを焼き尽くされた。俺を隔離した憎い故郷の、全てをな!!…感謝、してるんだぜ?俺に、憎しみを与えてくれた事にな!!」
思い当たる。
地の者を密かに保護していた疑いで、村一つ焼き払った事――
勿論独断ではない。命令だ。
「それで貴方は…軍に入った…」
「ああ。今度は貴様自身を焼き尽くしてやる為にな!!」
赤斗が動いた。
「お前は、お前自身の罪に殺されるんだ!」
剣を振り上げる。
無論、刃を突き付けていた縷紅の方が有利だ。
迷いなく剣を一閃させた。
「――っ!」
赤斗が崩れる。
だが、完全に倒れはしない。
「…甘いと言っているだろう…」
痛みを堪えた呻き声が、地に落ちる。
「こちらも、殺したくはないと言っています」
完全に、命を奪う事の出来た状況で。
縷紅はそれをしなかった。
肩口から胸を袈裟懸けにされた傷は、命取りになる程の深さではない。
次に一閃させた剣は、赤斗の手元から刃を遠ざけた。
「降参なさい。治療しますから」
「――それは困ります」
女の声。
「娃冴(あさえ)ですか…?」
「覚えて頂けて光栄です。縷紅様」
背後に冷たい気配がある。
恐らく彼女はいつでも斬れる体勢にあるのだろう。
娃冴――姶良の同僚。
「この度は赤斗将軍の私的行動を収めに参ったまで。貴方がこれ以上何もしないなら、私達も大人しく引き下がります」
「何を勝手な事を――!?」
淡々と告げる娃冴に赤斗は声を荒げる。が、彼女は動じない。
「お引き取り頂けるのなら、それで結構です」
縷紅も静かに同意を示した。
欲を出せば敵の大将を逃すのは惜しいが、娃冴が来た今、状況は圧倒的に不利だ。否応ない。
「忍の分際で出過ぎた真似を!!俺はこの男を殺すまではっ――!!」
まだ喚く赤斗に、娃冴は冷静に諭す。
「将軍、大砲が何者かに破壊されました。早急にお戻りになって対策を」
「――なっ、馬鹿な!!」
「ええ――信じられない事ですが」
娃冴の視線は縷紅に向けられている。
「犯人は!?」
「捜索中です」
「逃がしたのか!!使えない奴らだ!!」
赤斗は傷を手で押さえながら、自ら背を向けた。
「次こそは、殺すからな。今日の事、後悔させてやる」
背を向けたまま捨て台詞を吐き、姿を消した。
「縷紅様…そういう事です。貴方がこんな策を取るとは思わなかった」
残った娃冴は縷紅に言う。
「部下を敵地に送り込み、こんな難題をやらせるとは…。非情では?」
「貴女達は非情な私に今まで付いて来たでしょう?…今更、ですよ」
「…違う、と――姶良なら言うでしょうね」
伏せていた目を上げれば、自嘲するかつての上官が居る。
「誰かを殺すような真似は、もうしませんよ」
「戦中の言葉とは思えませんね」
「皮肉ですか?」
「いえ…」
羨望だろうか、と彼女は心中で付け足す。
「…失礼します」
去ろうとする彼女の名を、縷紅は呼び止める。
「あなた達は、何か企てていますか?」
「貴方がそう感じるのであれば、そうかもしれませんね」
改めて浅い礼をし、彼女は去った。
――思わぬ所で、過去を突き付けられた。
だが、足を止めてはいられない。
かつての己に殺されるなど、冗談ではない。
全てが終わった時、又はそうすべき時、償えば良い。その覚悟は出来ている。
「赤斗――貴方が私の罪でも、私は越えて見せる…」
だから。
苦しいまでに胸を締め付ける、罪の意識も。
今は、無視できる。
否、この痛みが有るから、歩ける。まだ。
縷紅は自らも天幕を後にした。
先程の歓声が気になる。
調度そこへ旦毘がこちらに向かって走ってきた。
「縷紅!一大事だ!!」
「何があったんです?」
歓声と一大事という言葉が結び付かない。
良い事なのか、悪い事なのか。
「とんでもねぇ野郎が現れた。まぁそいつのお陰で戦況は好転したんだが…」
縷紅は首を傾げ、眉を潜める。
一方、旦毘はニヤリと笑った。
「地の王を名乗る馬鹿が現れたんだよ」
「地の王!?」
「北の方から、突然な。お陰で味方の士気は上がりまくり。敵サンはビビりまくり。でも皆気付いてないようだが…」
誰が居る訳でもないが、旦毘は声を落とす。
「そいつ、一騎で戦場に乗り込んでんだよな」
本当に王ならば、有り得ない。
そう、普通なら。
ただし。
「まさかとは思いますが、そんな事をする人物は一人しか思い浮かびません」
この国の王に、その“普通”が通用するかどうか。
「まぁ、カタリでも万一本物でも、今は有難ぇや。ただし、相当の有難い馬鹿野郎だな」
「それは本物であれば違いますよ、旦毘」
“何が”と目で問う。
「“野郎”ではありません」
「その前の言葉は肯定するのか」
仮にも王なのだが。
「言った本人が今更。それにやはり、一騎で乗り込むなど愚行に他なりません」
「ま、お陰で助かってるけどな」
貶したいのか感謝したいのか、とにかく普通の国なら有り得ない事を散々口にしながら、二人は戦場に出た。
成程確かに地の王を名乗る声が聞こえる。
それに呼応するように味方が雄叫びを上げ、怯んだ敵に猛攻を与えている。
声はまだ遠い。姿は見えない。
「援護を頼みます、旦毘。本当に一騎なら危ない」
「カタリなら好きにさせるんだが…本物と思うか?」
「いいえ、確信です」
「やっぱりな」
騎乗し、続ける。
「これじゃあ賭けにならねぇな」
「この戦の勝敗を賭けにしたらどうです?」
「そうだな。勝った方に祝杯をやろう」
「駄目ですよ、私も祝杯を貰うつもりですから」
「やっぱ賭けにならねぇか。じゃ、行ってくる」
勢いよく馬は駆け出す。
夜明け前、勢いに押された天の軍は敗退。地は奇跡の勝利を得た。
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