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RAPTORS

 東軍の仲間が加わり、宴は盛り上がる一方だった。
 その隅で。
「縷紅様…お怪我の事もありますし、そろそろお休みになられては…」
 緑葉がそっと進言する。
「そうしたいのは山々なんですけどねぇ…」
 盃を片手に、これ以上無い苦笑いを浮かべる縷紅。
「ここが私の天幕だという事を、皆さんお忘れの様で…」
 一番それを忘れてはならない筈の旦毘が、中心で一気を煽っている。
「大丈夫でしょうか…。私が心配するのも何ですけど…」
「たまにはこんな日もいいでしょう。度々では困りますけどね」
 既に時は夜半。
「私の天幕でお休みになられますか?」
「そうさしてもらいましょうか」
 決まって、楽しく騒ぐ輪からそっと抜け出す。
 まだ雨は止まなかった。
 雨の中をのんびりと歩く。
 火照りを冷ますには調度良かった。
「そう言えば、隼は結局来ませんでしたね」
 ふと思い出して緑葉は言う。
「呼びに行くとか言って、逃げたかっただけですかね。あんな場は嫌いそうだし」
 縷紅が足を止める。
 不思議そうに問おうとする緑葉を制して、耳を澄ます。
 ――咳が。
 二人は目を合わし、次の瞬間には駆け出した。
 人気の無い天幕が並ぶ。その中の一つ、栄魅が使っていた天幕の程近く。
 雨でぬかるんだ地面に、傷だらけの隼が俯せになっていた。
「隼――!?」
 緑葉が体を仰向けにし、縷紅が上着を掛ける。
 水溜まりが赤く染まっていた。
「来るの遅ぇよ、馬鹿…」
 とりあえず意識はある様だ。思わず二人は苦笑する。
「とにかく中へ…立てますか?」
 睨まれて、緑葉と二人で肩を貸す。
 ようやく天幕の中へ入ると、なだれ込む様に倒れた。
 中は誰も居ない。
 落ち着く間も無く、隼は絶え絶えの息で縷紅に言った。
「軍医に根の軍を見回させろ…早く!」
 縷紅は浅く頷き、天幕を出て行く。
「何が…あったんだ?」
 緑葉はさっぱり事態が掴めない。
「栄魅が奴らに拉致された」
「何!?奴らって誰だ!?」
「根の…」
 意識が朦朧とし、目の焦点が合わなくなる。
 何とか言葉を紡ごうとした唇は、輪郭だけをなぞって声を発する事は無かった。
「おい!!しっかりしろよ!!」
 緑葉の叫びも空しく天幕の中に響く。
「緑葉、隼は」
 呼ばれてようやくそこに旦毘が居た事に気付いた。その後ろに朋蔓も居る。
「これは…一体!?」
「心配すんな。コイツの持病だから」
「持病?」
「ちょっと違うがな。寝台に運んでくれ。治療をしよう」
 朋蔓に言われ、旦毘と緑葉が意識の無い体を持ち上げる。
「あの、栄魅さんが」
「え?」
 緑葉が旦毘の裾を引っ張って、隼に告げられた事を言った。
「拉致…?」
「根の人間に、らしいですけど」
「どういう事だ…?何故今頃根が…」
 言われても緑葉には事情がさっぱり解らない。
 首を傾げ、とにかく朋蔓を手伝った。
「叔父さん、どう思う?」
「確かな事は分からないから何とも言えんが…しかし、我々や光爛を良く思ってない連中が居るのは確かだろう」
「その連中のやった事だと?」
「さてな。とにかく隼が回復するのを待とう。この状況が気がかりだ」
「根の軍に何かあったんですか…?」
 真っ先に隼が縷紅に告げた事を思い出して、緑葉が訊いた。
「どうやら、天は根の軍を封じる方法に気付いた様だな」
「…封じる…?」
 その時、縷紅が帰ってきた。光爛を連れて。
「隼は…?」
「大丈夫だ。今眠った」
「根の軍も被害はそう大きくありません。数日休めば動けるでしょう」
「ならば良いが…」
 未だ不思議そうな顔をしている緑葉に気付いて、旦毘が説明してやる。
「空気の汚れを利用したんだよ、天は」
「根の民特有の病、というやつですか」
「ええ。天の空気は根の民にとって毒ですからね。何より有効な兵器となり得る…。天にとっては戦わずして勝てる方法です」
「地で育ったが為に根の汚れを知らず、しかも天に連れて行かれた隼には何よりの脅威…」
 光爛が隼の様子を見ながら呟く。
「縷紅、この子と根の軍を避難させようと思う」
「…避難、ですか…?」
「今回はこの程度で済んだとは言え、天がこの事に気付いた以上、更なる被害は予想されるだろう。…壊滅は免れたい」
「事実上、撤退という事ですか」
「ああ、そうだ」
「こんな所で…!?」
 旦毘が声を上げるのを、朋蔓が押さえた。
「根にとっては地を裏切り天と協力する、それが唯一の生きる道ですね…」
「ああ。出来る限り静観するつもりだが」
「しかし天が根を攻めない筈は無いでしょう。そしてどうあっても地が生き延びる術は無い…」
「縷紅!」
 とうとう耐え切れなくなって旦毘が怒鳴る。
「お前こんな所で諦めるつもりか!?コイツや黒鷹が今まで作り上げてきた物をこんなにあっさりと…」
「いいえ」
 きっぱりと縷紅は否定した。
「まだ諦めてなどいません。術は探します。しかし予期出来る多大な被害は回避しなければなりません」
「どうするんだ?」
「…根の軍にはやはり撤退して頂いた方がいいでしょう」
「でもそれじゃ負けるも同然だ」
「分かっています。しかし今はそれが最善」
 一瞬、場は静まる。
 根の軍の不在、これ程地にとって不利な事は無い。
「…通達を出そう。支度をする」
 光爛が言って、歩き出した。
「隼も連れて行くのか?」
 出口に向かう背に、旦毘が問う。
「死なせる訳にはいかんからな」
 ばさりと、布の出入口が閉まった。
 気まずい空気が一同に流れる。
「言う事聞かねぇのは目に見えてんのに…」
 旦毘が隼を見ながらぽつりと言った。
「命が懸かってますから。否応無いでしょう」
「それで根の一部に閉じ込めておくのか?」
「…仕方ないでしょう。この戦に勝たない限りは」
「勝たなきゃ終わり、か。絶望的な話もあるモンだな」
 縷紅は固く口を閉ざして出入口に向かった。
「縷紅」
 朋蔓が呼び止める。
「…黒鷹に書簡を書きます。こうなった以上、手段は選べない」
 外に出ると、重い雨粒が叩き付けてきた。
 塗り込めた闇の中を、縷紅は進んだ。



 自分の天幕に戻ってみると、酒瓶が数本転がったままだった。
 片付ける暇も無かったというのは分かるが、溜め息が口をついて出る。
 片付ける気も起こらず、筆や紙を揃える。
 利き手が使えないのが不便だった。時間をかけて準備した所で、さてどうやって字を書こうかと悩む。
「全く、余計な事をしてくれましたね…」
 ぼやいた言葉は、瑚梛に向けたもの。
 しばらく考え、誰かに代筆を頼もうと立ち上がった時、扉が開いた。
「お前のせいで叔父さんに怒られたぞ」
 言いながら許可も得ず入ってくる旦毘。
「怒られたって…いくつですか貴方は」
「にじゅうにちゃい…なんつって。俺も言い過ぎたと思う。悪かった。疑って」
「気にしてなどいませんよ。それより宴の残骸をどうにかして下さい」
「おっと…始末の悪い奴らだな」
「人のせいですか」
 悪びれずに笑って、“残骸”を拾い集め、外に捨てる。
「黒鷹達を呼び戻す気か?」
 天幕に戻って旦毘が問うと、縷紅は頷いた。
「全滅する恐れがありますが、もう戦力を分散させている余裕がありません」
「そうだな…。で、手紙を書くのか?書けるのか?」
「それで今、困っていた所です」
「俺書いてやろうか?」
「…不安ですねぇ…」
「なっ!?ちょっ、素直過ぎるぞお前それは!!分かったよ叔父さんに頼むからお前もう寝ろ!!」
「しかし人に頼んでおいて先に休むというのも…」
「そんな気遣い要らねぇよ。お前にまで倒れられたらどうしろっつーんだよ」
「そんな倒れそうな顔してます?」
「してる!!マジで顔色悪いぞ」
 照明のせいじゃないかと反論しかけたが、旦毘が似合わず真剣な表情なので、やめた。
「じゃあ、お願いしますね」
「おう。その代わりちゃんと寝ろよ」
「ちゃんとしますからそんなに心配しないで下さいよ」
「普段の行いのせいだろ?お休み」
 筆や紙などの道具を抱えて旦毘は出て行った。
 それを見送った後、縷紅は寝台にばったりと身を投げる。
 灯を消す事も忘れて、眠りに落ちた。
 夜は意外な程、静かに更けていった。




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あきゅろす。
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