RAPTORS
3
東軍の仲間が加わり、宴は盛り上がる一方だった。
その隅で。
「縷紅様…お怪我の事もありますし、そろそろお休みになられては…」
緑葉がそっと進言する。
「そうしたいのは山々なんですけどねぇ…」
盃を片手に、これ以上無い苦笑いを浮かべる縷紅。
「ここが私の天幕だという事を、皆さんお忘れの様で…」
一番それを忘れてはならない筈の旦毘が、中心で一気を煽っている。
「大丈夫でしょうか…。私が心配するのも何ですけど…」
「たまにはこんな日もいいでしょう。度々では困りますけどね」
既に時は夜半。
「私の天幕でお休みになられますか?」
「そうさしてもらいましょうか」
決まって、楽しく騒ぐ輪からそっと抜け出す。
まだ雨は止まなかった。
雨の中をのんびりと歩く。
火照りを冷ますには調度良かった。
「そう言えば、隼は結局来ませんでしたね」
ふと思い出して緑葉は言う。
「呼びに行くとか言って、逃げたかっただけですかね。あんな場は嫌いそうだし」
縷紅が足を止める。
不思議そうに問おうとする緑葉を制して、耳を澄ます。
――咳が。
二人は目を合わし、次の瞬間には駆け出した。
人気の無い天幕が並ぶ。その中の一つ、栄魅が使っていた天幕の程近く。
雨でぬかるんだ地面に、傷だらけの隼が俯せになっていた。
「隼――!?」
緑葉が体を仰向けにし、縷紅が上着を掛ける。
水溜まりが赤く染まっていた。
「来るの遅ぇよ、馬鹿…」
とりあえず意識はある様だ。思わず二人は苦笑する。
「とにかく中へ…立てますか?」
睨まれて、緑葉と二人で肩を貸す。
ようやく天幕の中へ入ると、なだれ込む様に倒れた。
中は誰も居ない。
落ち着く間も無く、隼は絶え絶えの息で縷紅に言った。
「軍医に根の軍を見回させろ…早く!」
縷紅は浅く頷き、天幕を出て行く。
「何が…あったんだ?」
緑葉はさっぱり事態が掴めない。
「栄魅が奴らに拉致された」
「何!?奴らって誰だ!?」
「根の…」
意識が朦朧とし、目の焦点が合わなくなる。
何とか言葉を紡ごうとした唇は、輪郭だけをなぞって声を発する事は無かった。
「おい!!しっかりしろよ!!」
緑葉の叫びも空しく天幕の中に響く。
「緑葉、隼は」
呼ばれてようやくそこに旦毘が居た事に気付いた。その後ろに朋蔓も居る。
「これは…一体!?」
「心配すんな。コイツの持病だから」
「持病?」
「ちょっと違うがな。寝台に運んでくれ。治療をしよう」
朋蔓に言われ、旦毘と緑葉が意識の無い体を持ち上げる。
「あの、栄魅さんが」
「え?」
緑葉が旦毘の裾を引っ張って、隼に告げられた事を言った。
「拉致…?」
「根の人間に、らしいですけど」
「どういう事だ…?何故今頃根が…」
言われても緑葉には事情がさっぱり解らない。
首を傾げ、とにかく朋蔓を手伝った。
「叔父さん、どう思う?」
「確かな事は分からないから何とも言えんが…しかし、我々や光爛を良く思ってない連中が居るのは確かだろう」
「その連中のやった事だと?」
「さてな。とにかく隼が回復するのを待とう。この状況が気がかりだ」
「根の軍に何かあったんですか…?」
真っ先に隼が縷紅に告げた事を思い出して、緑葉が訊いた。
「どうやら、天は根の軍を封じる方法に気付いた様だな」
「…封じる…?」
その時、縷紅が帰ってきた。光爛を連れて。
「隼は…?」
「大丈夫だ。今眠った」
「根の軍も被害はそう大きくありません。数日休めば動けるでしょう」
「ならば良いが…」
未だ不思議そうな顔をしている緑葉に気付いて、旦毘が説明してやる。
「空気の汚れを利用したんだよ、天は」
「根の民特有の病、というやつですか」
「ええ。天の空気は根の民にとって毒ですからね。何より有効な兵器となり得る…。天にとっては戦わずして勝てる方法です」
「地で育ったが為に根の汚れを知らず、しかも天に連れて行かれた隼には何よりの脅威…」
光爛が隼の様子を見ながら呟く。
「縷紅、この子と根の軍を避難させようと思う」
「…避難、ですか…?」
「今回はこの程度で済んだとは言え、天がこの事に気付いた以上、更なる被害は予想されるだろう。…壊滅は免れたい」
「事実上、撤退という事ですか」
「ああ、そうだ」
「こんな所で…!?」
旦毘が声を上げるのを、朋蔓が押さえた。
「根にとっては地を裏切り天と協力する、それが唯一の生きる道ですね…」
「ああ。出来る限り静観するつもりだが」
「しかし天が根を攻めない筈は無いでしょう。そしてどうあっても地が生き延びる術は無い…」
「縷紅!」
とうとう耐え切れなくなって旦毘が怒鳴る。
「お前こんな所で諦めるつもりか!?コイツや黒鷹が今まで作り上げてきた物をこんなにあっさりと…」
「いいえ」
きっぱりと縷紅は否定した。
「まだ諦めてなどいません。術は探します。しかし予期出来る多大な被害は回避しなければなりません」
「どうするんだ?」
「…根の軍にはやはり撤退して頂いた方がいいでしょう」
「でもそれじゃ負けるも同然だ」
「分かっています。しかし今はそれが最善」
一瞬、場は静まる。
根の軍の不在、これ程地にとって不利な事は無い。
「…通達を出そう。支度をする」
光爛が言って、歩き出した。
「隼も連れて行くのか?」
出口に向かう背に、旦毘が問う。
「死なせる訳にはいかんからな」
ばさりと、布の出入口が閉まった。
気まずい空気が一同に流れる。
「言う事聞かねぇのは目に見えてんのに…」
旦毘が隼を見ながらぽつりと言った。
「命が懸かってますから。否応無いでしょう」
「それで根の一部に閉じ込めておくのか?」
「…仕方ないでしょう。この戦に勝たない限りは」
「勝たなきゃ終わり、か。絶望的な話もあるモンだな」
縷紅は固く口を閉ざして出入口に向かった。
「縷紅」
朋蔓が呼び止める。
「…黒鷹に書簡を書きます。こうなった以上、手段は選べない」
外に出ると、重い雨粒が叩き付けてきた。
塗り込めた闇の中を、縷紅は進んだ。
自分の天幕に戻ってみると、酒瓶が数本転がったままだった。
片付ける暇も無かったというのは分かるが、溜め息が口をついて出る。
片付ける気も起こらず、筆や紙を揃える。
利き手が使えないのが不便だった。時間をかけて準備した所で、さてどうやって字を書こうかと悩む。
「全く、余計な事をしてくれましたね…」
ぼやいた言葉は、瑚梛に向けたもの。
しばらく考え、誰かに代筆を頼もうと立ち上がった時、扉が開いた。
「お前のせいで叔父さんに怒られたぞ」
言いながら許可も得ず入ってくる旦毘。
「怒られたって…いくつですか貴方は」
「にじゅうにちゃい…なんつって。俺も言い過ぎたと思う。悪かった。疑って」
「気にしてなどいませんよ。それより宴の残骸をどうにかして下さい」
「おっと…始末の悪い奴らだな」
「人のせいですか」
悪びれずに笑って、“残骸”を拾い集め、外に捨てる。
「黒鷹達を呼び戻す気か?」
天幕に戻って旦毘が問うと、縷紅は頷いた。
「全滅する恐れがありますが、もう戦力を分散させている余裕がありません」
「そうだな…。で、手紙を書くのか?書けるのか?」
「それで今、困っていた所です」
「俺書いてやろうか?」
「…不安ですねぇ…」
「なっ!?ちょっ、素直過ぎるぞお前それは!!分かったよ叔父さんに頼むからお前もう寝ろ!!」
「しかし人に頼んでおいて先に休むというのも…」
「そんな気遣い要らねぇよ。お前にまで倒れられたらどうしろっつーんだよ」
「そんな倒れそうな顔してます?」
「してる!!マジで顔色悪いぞ」
照明のせいじゃないかと反論しかけたが、旦毘が似合わず真剣な表情なので、やめた。
「じゃあ、お願いしますね」
「おう。その代わりちゃんと寝ろよ」
「ちゃんとしますからそんなに心配しないで下さいよ」
「普段の行いのせいだろ?お休み」
筆や紙などの道具を抱えて旦毘は出て行った。
それを見送った後、縷紅は寝台にばったりと身を投げる。
灯を消す事も忘れて、眠りに落ちた。
夜は意外な程、静かに更けていった。
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