RAPTORS 7 深夜。 木々の中の、あまりに静かな夜だった。 兵達は一人残らず眠り、旦毘も仮眠のつもりで寝入っていた。 小川の流れる音だけが響いている。 ふと、旦毘は目覚めた。 人の気配を感じた――気がした。 今はそれが無い。 気のせいかと思い直して、隣を見る。 縷紅が静かな寝息をたてて眠っていた。 安心してもう一度眠ろうとした時。 目の前に人影があった。 天幕に入る気配すら無かったのに。 「…幽霊か?」 困惑して突拍子も無い、しかし一番可能性のある事を口にした。 「そういう事にしといてくれ」 “幽霊”は微苦笑を浮かべて答えた。 暗くて相手がよく見えないが、一応実体のある男らしい。 「俺にたたっ斬られる前に消えるんだな。本当に幽霊でもコイツに近付く事は許さん」 「幽霊なら斬れんだろう。それに…俺が縷紅に今近付く事を許してくれないと、後々縷紅にも地の軍にとっても困った事になるぞ」 「…どういう事だ」 “幽霊”は未だにその場をピクリとも動かないまま、答えた。 「肩にまだ矢尻が残っている。放っておけば二度と腕が動かなくなるどころか、そこから身が腐っていくぞ」 「何だと…!?」 「この強がりめ、カスリ傷に見せる為に咄嗟に矢尻だけ残して引き抜いたんだ。この矢尻は特製でな、一度刺さると引き抜けない。引き抜く時には周囲の肉がごっそり付いてくる」 「テメェ、昼に射掛けた張本人だな!?」 「張本人じゃないとこの矢尻は取り除けないのさ」 「……取りに来たってのか?」 「そうだ。別に君らの大将を殺しに来たんじゃない」 旦毘はどれほどこの相手に剣を向け、叫んで周囲の味方を呼ぼうかと思ったか。 だがその途端、この気配も無くやって来た男は逃げるだろう。 その自慢の矢尻を取り除かないと、縷紅の命取りになるとも言われた。 「あんた、縷紅の話じゃコイツと仲良かったんだってな?」 剣に手をかけながら問う。 「ああ。俺は実際の師以上に縷紅の事を知っているつもりだ」 「何の為に今日射掛けた?」 「敵だからに決まっているだろう」 旦毘は剣を抜こうとした。慌てて瑚梛が付け足す。 「――だが殺したくはない。そのつもりなら頭でも心臓でも射っていた。肩を狙ったのはこの子が戦場に出れなくする為だ」 一息に喋って、そこで深々と息を吐き、言った。 「戦場で殺し合いたくもないし、殺されて欲しくもないからな」 「……本当に?」 「だからだ。矢尻を取り除いて助けてやる」 カシャッと音をたて、旦毘の剣は元に戻った。 「ちょっとでも妙な真似したら、命は無いと思え」 「安心しろ。そんな事はせん」 「どーだか」 疑わしそうにジロジロ見る。 「俺としても疲れた弟に、かつての友人の死体は見せなくないんだがな」 「ま、怪しいと思えば斬りかかって貰っても構わん。その前に逃げればいいだけの話だ。敵に信用されるとは思わんからな」 「逃げられるもんか」 瑚梛は肩を竦めて笑い、縷紅に近寄った。 「薬か何か使ったのか?」 この騒ぎでも縷紅が目覚めないのを不審に思い、旦毘は尋ねた。 「矢尻にな、時間差で効く睡眠薬を塗った」 「…天には便利な薬があるんだな…。分けて欲しいくらいだ」 「何に使うんだ?」 かなり特殊な薬だ。実戦には使えない。 「コイツの食事に混ぜるんだよ。このままじゃ過労死しそうだからな」 「…意外だ。正しい使い方で使うんだな」 「正しかねぇだろ。睡眠薬ってのは自分で飲むモンだ」 「それもそうだ」 そんな事を話している間、瑚梛は道具を懐から出していた。 手術道具だ。 「おいおい、本当に大丈夫なのか?」 瑚梛がメス状の刃物を取り出したので、旦毘は剣を抜いた。 「そんな長い刃物は不要だ。それに俺はこんな事をしょっちゅうやっている。腕なら心配しなくていい」 「そうじゃなくてな…」 メスは静かに縷紅の傷辺りに下ろされた。 旦毘が剣を向ける。 構わずメスを置いた瑚梛は作業を続ける。 矢尻が姿を現す。 「…ひどく悪趣味な形の矢尻だな」 そう旦毘が唸る、そんな代物だった。 一本の軸から、針が無数に生えている。 「そんなモノが何故体に食い込むんだ…?」 「特別仕掛けでな。体に刺さってからこの針が出てくるようになっている。射られた者は二重に痛みを味わう」 「よくもそんなモンを俺の弟に…。代わりに俺がそのくらいの痛みを味あわせてやろうか?」 「遠慮しておく。いや、こうすれば縷紅も懲りるかと思って…」 旦毘の殺気が本物になってきたので、瑚梛は残りの言葉を呑んだ。 「ったく」と殺気を悪態に変える旦毘。 「こんな事で懲りてくれたら俺達も苦労しねぇよ。本当なら基地に引っ張って連れ戻すところだ。そうでなくても最近寝ずに仕事してやがる」 「全く、変わらんな」 「あ?」 「天での修行も同じ調子だ。一時も休まずに剣を握っていた。俺の弓矢の訓練の時間に無理矢理眠らせていたくらいだ」 師である緇宗が無理を知っていて休ませないので、代わりに瑚梛がこっそりと休ませていたのだ。 だが当の本人が休みたくないと言う。 それでは体が持たないと無理に弓矢を取り上げる。 それはちょっとした、だが毎日熾烈に繰り返される喧嘩だった。 「…不本意だがアンタに礼を言うぞ」 旦毘が苦い顔で言った。 「アンタが居なけりゃ、こんな事になる前にコイツは過労死してただろうな」 「苦労した結果が見事寝返られたワケだがな。ま、これも何かの定めってヤツだ」 軽く笑って、瑚梛は傷を縫い合わせていた糸を切った。 「しばらく痛みで腕は動かせないだろうから、世話してやってくれな。あと、一応ちゃんとした軍医にも診せろよ」 「言われなくとも」 「じゃあな。実の兄貴に言う事じゃないが、縷紅を頼む」 一歩引いたかと思うと、たちまち姿は闇に溶けて消えた。 「本当に幽霊じゃないのか?」 その去り方を見て頭を振る旦毘。 「ってか、実の兄じゃねぇっつの…」 思い込みなのか言い回しなのか、本心は知れなかった。 翌朝、久々の深い眠りから覚めた縷紅は、まず肩に違和感を覚えた。 はっとして服を半分脱ぎ、傷を確かめる。 その時、横から声が掛かった。 「自分で付けた傷の手当てをする奴なんざ、初めて見たぞ」 振り返ると、旦毘が朝食を食べていた。 「ほら、お前の分」 椀の一つを差し出し、縷紅が受け取る。 「…瑚梛が来たんですね?」 何食わぬ顔で食事を続ける旦毘に、固い顔で縷紅が訊いた。 「お前、軍じゃ良い保護者を持ってたみたいだな」 「冗談じゃないですよ。貴方は私の護衛をするのではなかったんですか?」 「の、つもりが言いくるめられてお前に刃物を付けさせてしまった。全くナメられたモンだな」 「全くですよ」 旦毘が意外に思ったねは、この事を縷紅が感傷に思うでもなく、喜ぶでもなく、純粋に怒っている事だ。 かつての友人が自分に接触してきたなら、感謝するぐらいの性格だと思っていたのに、現状は彼の柄にも無い事になっている。 「でも、まぁ、お前の右腕が使い物にならなくなるよりはいいんじゃないのか?親切なのか馬鹿なのか、どの道損なのは向こうだろ?」 「敵になった今でもこう露骨に子供扱いされると、腹が立たない方がおかしいですよ」 「…そんな事怒ってんのか?」 「貴方が私の立場なら、怒り狂う筈ですけどね」 「いや、お前が怒ってんのが珍しいだけ」 ある種の疲れと諦めを込めて、縷紅は盛大な溜め息を漏らした。 「…他に彼はどんな悪戯を?」 「いいや?幽霊の様に現れて消えただけだ 「軍の中でも一番気配を消す事が上手い彼ですからね…」 「おお。あれにはたまげた。…で、縷紅?」 「はい?」 「今日中にも蜂の巣をつつくが、まさか一緒になって蜂退治なんかしないよな?」 「戦うな、と?」 「当然だ。って言うより剣持てねぇだろお前。目覚めた時、隣が隼じゃなかっただけでも有難いと思え」 「本陣に帰されたなら、またここまで来るまでです」 「お前な…」 「でも、今の自分の状態を把握できない程愚かではありませんよ。皆の士気を下げない程度に、私は後ろに引っ込んでいればいい。そうでしょう?」 「…お前、傷が無かったらそんな大人しくしてないだろ?」 「当然です」 今度は旦毘が額を押さえて溜め息を吐く。 「全く、あの保護者ホントによく解ってるな…」 「だって、今までもそうだったじゃないですか」 「止めても聞かないって分かってるからだ」 何の悪気もなく、きょとんと自分を見ている弟に、旦毘はもう一度溜め息を吐いた。 [*前へ][次へ#] [戻る] |