RAPTORS 1 緑葉は白地の軍服に、長めの刀を腰に差している。 刀は姉、姶良の形見だろう。 彼は縷紅に気付き、浅く礼をした。 「待ちわびましたよ」 「待たせてごめんなさい。こちらは友人の隼です」 「友人になった覚えは無いけどな」 「…貴方は一人で?」 隼のぼやきを苦笑しただけで流し、緑葉に訊く。 「一対一という事でしたので」 鋭い目で隼を見ながら緑葉は答えた。 「ご安心なさい。彼は手を出しませんよ。事態によっては後片付けに必要かと思いまして」 緑葉の心中を察して縷紅が説明する。 「おい、俺は清掃係かよ」 不当な扱いに文句を言う隼。 それを見ていた緑葉が、はっと息を吸った。 「根の人間…!?隼って、確か姉貴の言ってた…」 「御存知なのでしたか?」 縷紅の問いに、緑葉は頷く。 「姉貴の話に聞いていました。十年近く前に会ったと…。何より最近…」 一度言葉を詰まらせ、 「姉貴の死ぬ直前に死んだと…。将軍、貴方達はあの日、遺体の回収の為に軍に来たのではなかったのですか!?」 「…なんか、俺勝手に殺されてね?」 「彼らの面子を保つ為ですよ、隼。生きたまま捕虜を帰したとあれば聞こえが悪いでしょう?緑葉、見ての通り隼は死んではいません。あの日、私達は彼の命を救うべく軍に行ったのです」 「それで…姉貴を殺したのですか?」 「私は姶良を殺したくて殺したのではない。敵になった以上は止むを得ない事だったのです」 「止むを得ない…?」 「はい。隼を助け、その場から脱出する為には。姶良も分かっていた筈です。今度刀を抜く時には、どちらかが命を失うと」 「それで姉貴が死に――貴方が生き残った。俺にはこれだけで十分だ。言い訳は…もういい」 「緑葉…」 「貴方が何を言おうと、姉貴が死んだ事実も――俺の心も変わらない」 「――」 「刀を抜いて下さい、将軍。その為にここに来た筈です」 言って,緑葉は自ら抜刀した。 縷紅の手は、躊躇っている。 「何を迷うんですか?俺に殺される気ではありませんよね?」 「…ええ。私はまだ死ねませんから…。でも、貴方もまだ死ぬべき存在ではない」 「俺が?死ぬとお思いですか?」 「私に勝つ気でここに来た…そうでしょうね。貴方の殺気は偽りではない。しかし、立場を考えなさい。私は貴方に負ける事はない」 「馬鹿にしないで下さい…貴方のような甘い人に、俺が斬れると!?」 「…ええ。向かって来るのであれば、斬ります」 淡々と出された言葉に、緑葉は一瞬、面食らう。 しかし、すぐに元通り鋭い目つきになる。 「脅そうとしたって、そうはいきませんよ」 「脅しじゃねぇよ」 横から隼が忠告した。 「そいつ、甘い優男に見えて本当は情の無い奴だから。でなくてどうしてこんな奴が将軍になれるって言うんだよ?…その刀向けるなら、死ぬぞ、お前」 「死ぬのが何だと言う…?そんな事はどうでもいいんだ…!」 「こんな事で命落とすなって言ってんだよ。ま、何言っても無駄だろうから、これが最後の忠告。お前、本当に斬られるぞ」 自分なら絶対にこのくらいの言葉など届かないだろうと思いつつも、隼は言う。 分かっている。十分に。 大事な人を不当に奪われた無念さは。 「…斬れるものなら、斬って下さいよ」 呟いて、緑葉は斬りかかった。 縷紅は間髪入れる事なく抜刀し、緑葉の刀を受けた。 「緑葉」 俯いていた縷紅が、剣ごしの緑葉を見る。 ――冷たい目が、緑葉を映す。 「姶良が斬れて、貴方が斬れないとでも?」 血の色。 緑葉には、縷紅の瞳の色がそう映った。 今まで幾人が、その無情な瞳に殺されてきたか。 やっと忠告が飲み込めた。 殺気が消えそうな程に、怖い。 ――人じゃ、ない… 「…もう、遅い」 瞳が自分を見透かして、そう呟いた。 剣が払いのけられ、次の手を出す間も無かった。 …本当にもう遅かったな。 緑葉は一瞬のうちに自覚する。 このまま死んだって、意味は無いのに。 ならば、せめて。 相打ちに。 迫る剣を避けず、自らの刀を突き出した。 これで少しは浮ばれるだろう、と。 死ぬまでは出来ないにしろ、再起不能の傷くらいは。 だが、その期待は裏切られた。 予想していた物と正反対の感触と音によって。 その代わり、覚悟していた痛みもなく。 「隼ッ!!」 縷紅のものとは思えない怒鳴り声で、緑葉ははっとした。 自分の刀と隼の刀が交わっている。 その一方で、縷紅の剣が隼の腕の寸前で止まっていた。否、無謀にも腕で止めたのだろう、血が滴っている。 「てめぇも望んじゃねぇだろうが!こんな事!」 縷紅の声を上回る大きさで、隼が怒鳴った。 「誰も望んでねーよ!!アンタが後悔するだけだろ!?」 言ってから隼は、片手に持った刀で緑葉の刀を薙ぎ払った。 力の込められていなかった刀は、からんと音を発てて地に落ちた。 「もう頭冷えただろ」 隼は無感情に言って、落ちた刀を拾い上げる。 緑葉は力が抜けた様に座り込んでいた。 縷紅は俯いたまま立っている。 「…復讐なんざ、虚しいだけだ」 いつか姶良に言われた言葉を、そのまま緑葉に言った。 隼は自分の刀を鞘に納めながら、続けた。 「俺もあの時死に掛けて…それで助けられて知った事だ。偉そうに言える立場じゃないけどな。姶良が教えてくれた事だ」 「姉貴が…」 緑葉が名に反応して顔を起こす。 隼は頷いて、言った。 「俺はあの人の死を無駄にしたくない。だから、お前を助ける。俺がそうして貰ったように」 「…?」 隼は、緑葉の不思議そうな顔を見て、ふっと笑った。 「あの時…黒鷹と姶良に助けられたんだ。あの人は直接口には出さなかったけどな…俺を殺す事を迷ってくれたから、俺は今ここに居れる」 「…でも…」 「皮肉だよな。死んだのは俺のせいなのに。俺が居なければアンタもそんな思いせずに済んだのに」 「…ああ」 「恨むなら俺を恨め。縷紅は本当に殺したくて殺したんじゃない」 「隼、貴方が恨まれるのも筋違いでしょう?」 縷紅は、顔を上げ、静かに微笑している。 先刻までとは違う、いつもの彼がそこに居る。 「じゃ、何を恨めって?」 「…運命ってヤツか…」 縷紅の代わりに、緑葉が呟く。 「事を始めた天の王か」 「オイオイ、お前も裏切る気か?」 「じゃあ、このやり場の無い怒りをどうしろと?」 「…」 「何でこんな思いしてまで戦わなきゃならない…。全てあの国の欲のせいじゃないか…」 「…そうだな」 「そんな所で今まで…」 怒りと悲しみで、緑葉は唇を噛む。 「緑葉」 ふいに、縷紅が声をかけた。 「貴方を捕虜として地の軍に連行します」 「…殺さないのか?」 「だから、アンタ殺しても剣の錆にしかならねーっての」 隼の尤もな意見を聞いて、緑葉は立ち上がった。 「あなたの気持ちが…天を脱した理由が、少しだけ分かった気がします。将軍…いえ、縷紅様」 「よして下さい」 縷紅は照れた様に笑って、来た道を歩き始めた。 「捕虜に様付けされる覚えはありませんよ。むしろ、タメでどうぞ」 「?」 「私も黒鷹や貴方達を見習おうと思いまして」 「…の割には自分が敬語…」 「似合いませんからねぇ」 隼のツッコミをさらりと言い訳する。 「ところで傷は大丈夫ですか?隼」 縷紅が先程斬りかけた腕の傷だ。そう深く無かったらしく、血も止まろうとしている。 「大丈夫も何も、損害賠償くらいは欲しいな」 「それは駄目ですよ。自業自得ですから」 「なっ!?やった本人が言うかぁ!?」 「だって、あのまま勢いで止まらなかったらどうするんですか。少しは後先考えて行動して下さいよ」 「…てめぇのせいだろこのヤロウ…」 隼の地の底からの唸り声も、天然的に罪悪感の無い人物には届かなかった。 その様子を見ていた緑葉が、ふっと微笑した。 「変わられましたね、縷紅様」 「…そうですか?」 「ええ。俺の知っている貴方より、何か人間らしい気がします」 「――」 「何だ、アンタも多重人格?」 黒鷹参照。 「本当に変わった…いえ、元に戻れたんだと思います。周りの人たちのお陰で…東軍にいた頃の、人であった私に」 「…でしょうね。何か分かる気がします」 言って、緑葉は空を仰ぐ。 東の空が白みかけていた。 「天と違って…地は、暖かい。初めて来たんですけど…来れて、良かった」 「ええ。私もそう思います。この先、どんな事があろうと」 夜を溶かす光に、復讐心によって凍てついていた心が溶けていくのを、緑葉は感じていた。 [次へ#] [戻る] |