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月の蘇る
  5
   王宮の奥。王家の血を持つ者と女しか入る事の出来ない秘された空間、後宮。
   その中心とも言える部屋。王の寝殿。
   幾重にも張り巡らされた壁と、厳重な警備のその奥にあるこの一室に足を踏み入れる。
   折り重なる色取り取りの几帳。その向こうで母子が話している。
   気怠く寝台に腰掛けているのは王、硫季。
   対面して立っているのは皇太后、鈴螺。
   他に人影は無い。人払いしてあるのだろう。
「妃は要らぬとはどういう事です」
   鈴螺が甲高い声で王を問い詰める。既にかなり怒っている。
「言った通りの意味です。要らぬものは要らぬ。故に不要なものを押し付ける事はやめて頂きたい」
   硫季は面倒臭いとばかりに、しかしきっぱりと母へ言い切った。
   言われた方はますます取り乱す。
「何を馬鹿な事を!聞いた事もありません、王が妃を取らぬなど!世継ぎは!?世継ぎはどうなされるのです!?」
   問いながら、ああ、と何やら納得した顔を見せる。
「もしや下賤の者に産ませるおつもりか。それ故、妃には出来ぬと仰るか。ならばそれでも良いのです、陛下。世継ぎさえ居れば、妃は飾り物でも良い。気に入らぬ妃の子が邪魔ならば消せばよろしい」
「それは本気で仰せなのか、母上」
   心底うんざりとした口調で硫季は母を見下し、そして理由を言った。
「女など不要と申しておるのです。況してや子など。考えただけで虫酸が走る」
「妾も母として陛下の趣向は存じておるつもりです。しかしそれはそれ。妃を娶り世継ぎを成す事は王の務めと心得なされよ」
「その後、妃に殺される事も王の務めか。ご立派過ぎて笑いが出るな」
「陛下…それは」
   歪んだ笑みを口元に浮かべ、硫季は母の目前へ立ちはだかった。
「俺は幼少の砌よりあなた方に学びました。誰も信じてはならぬ、と。血を分け合う者は殺し合うべき存在です。そんなものをわざわざ好き好んで作り出す必要は無い。妃など不要です」
「母の言う事が聞けぬと仰せか」
   鈴螺が震える唇で詰った。
   息子を睨み上げながら、その威圧に足は後ろへ下がる。
「俺は今まであなたの操るままに動いて来ましたよ?立派な王子になれと言うから文武に勤しみ、父の信頼を得ろと言うから彼を慕う振りをし、その父を殺せと言うから毒の入った茶を贈った。あなたが消せと言った邪魔者は全て消してきた。そして俺は王となり、あなたは晴れて王の母となった。これ以上何を望むのです?俺がまだあなたの操り人形を続けるとでも?」
   噛んで含めるような言い方で鈴螺へ詰め寄ってゆく。
   皇太后は後ずさり、壁に背を付け、これ以上の逃げ場を無くした。
   そこへ、氷の刃を突き付けるように、王は留めを刺す言葉を母親の耳へ落とした。
「血を分け合う者は殺し合うのです。例え母子でも」
   完全に怯えきった目が息子を見上げる。
   残酷な微笑がそこにはある。
「ならば…陛下はこの国を何とするおつもりで…?」
   怖々、尋ねられた問いに王は笑みを深くした。
「ご心配無く。この私が、この国に未来永劫、君臨するつもりです」
「なんと…!?」
「私は不死となり、この国の神となる」
   追い詰めていた母親から離れ、視線をこちらに向けた。
   少し目を見開いたが、すぐに哄笑へと変わった。
「こんな所で盗み聞きとは、悪魔殿も趣味が悪い」
   既に存在を隠す事をやめた月は、並ぶ几帳を潜り抜け王の前に進み出た。
「こっちは良い報告を持って来てやったのに、随分な言い様だな」
「これは失礼。だが報告ならば藩庸なぞを通して貰えれば事足りるのだが」
   余裕を崩さぬ王とは対照的に、皇太后の顔色はみるみる赤くなり、月に向け怒鳴り出した。
「無礼者!!ここを何処と心得るか!?即刻縄を打たせる!誰か!!」
   必死に回廊へ向け従者に叫ぶ皇太后を、悪魔はけらけらと声に出して笑った。
「やめときなよ皇太后サマ。後宮を血の海にしたくないだろ?」
「この者の言う通りですぞ母上。血を見たくないなら大人しくここを立ち去って頂きたい。私の悪魔を悪戯に刺激しないで下され」
   悪魔という言に、皇太后はぎょっとして黙り込み、顔色を今度は青くさせた。
「別に後宮を襲いに来た訳じゃない。言った通り王様に報告に来ただけだから安心しなよ。ほら」
   言いながら月はひらひらと皇太后に向けて手を振った。出て行けという動作だ。
   生まれてこの方受けた事の無いような無礼に憤怒と、悪魔への恐怖の表情を綯交ぜにしながら、皇太后は部屋を後にした。
「あの者は悪魔殿の事を知らなかったようだ。お気を悪くされるな」
   まるで他人のように弁明する。
   月は肩を竦めた。
「別に?ぎゃーぎゃー五月蝿いオバさんは嫌いだけどさ」
   王は鼻で笑って、寝台へ足を組んで腰を下ろした。
「それで?報告とは?」
   月ははしゃぐ子供のような笑い顔を王に向けた。
「えーと、あいつ…あのでぶっちょ…何だっけ。あ、そうそう、多禅とか言うやつ。あいつが死んだ。何故だと思う?」
   流石の硫季も突如齎された腹心の訃報に顔色を変えた。
「有り得ぬ!何故だ!?」
「始末したのは俺だ。だがそれを俺にさせたのは、あんたの出来損ないの弟さ」
「何!?」
「俺は選ばせてやったんだぜ?あいつにさ、お前が死ぬか、お前の代わりに多禅を殺すかってさ。そしたら、迷いもせず他人を殺す方を選んだ。どうしょうもない屑野郎だね」
   しかも、と悪魔は続けた。
「事もあろうか奴は、死ぬ間際の哀れな多禅に屁理屈を付けて言い訳した。お前は王の悪政に加担した、死ぬのはその報いだと思えってさ」
   投げつけられた酒杯が、派手な音を発てて粉々に砕け散った。
   王の表情は変わりなかった。が、更にまた別の酒杯を陶片へと化した。
   悪魔が声を上げて笑い出す。
「何?怒ってるの?それ程の事?」
   硫季は悪魔を一瞥して吐き捨てた。
「不快だ。実に不快だ」
「そうだね、屑の癖して一丁前の口を叩くなって話だね。でも王様、俺にはあんたのその不機嫌がさっきのオバさんと重なって見える」
「どういう事だ」
「あんたは自分の操り人形が勝手に動き出した事に腹を立ててるんだ。血は争えないね。龍晶も同じ理由で俺を殴った」
   硫季はじっと、せせら笑う悪魔に目を止めた。
「自覚無かった?お前達の親父も同じだったんじゃない?」
   軽い溜息。
   視線が外れる。何処か遠くへ。
「あんな屑と一緒にされるとは心外だ。俺はあの男を超える事で歴史からも葬り去る」
「不死となって、か」
   王は頷いた。決して戯言ではなく、それが可能だと確信している。
「この世には不死の者が居ると、あの男…前王が口走っていた事は嘘ではないようだ。悪魔殿、教えてくれ。そなたも不死と無関係ではないのだろう?」
   月は試すような笑みで硫季を見上げた。
「ただの人間を不死の神にする方法が知りたいんだな?」
「ああ」
「それを教えてやると言ったら?」
「何でも願いを聞こう。欲しい物があればくれてやる。金でも地位でも、何でも」
「そうか。じゃあ国が欲しい」
   一瞬、王は言葉を詰まらせた。
   それを見て、悪魔はにんまりと笑う。
「考える余地は有りそうだね?冗談だけど」
   その一言で、硫季は夢から醒めたような、はっとした表情を見せ、鼻で笑いながら月に返した。
「悪魔殿も人が悪い」
   ははっ、と笑って悪魔は訊いた。
「王様はほんとは王様が嫌なんだ?」
   口は笑いながらも、冷めた目で硫季は頷いた。
「母親に無理矢理、あの愚かな父の跡を継がされたと思うとな…反吐が出るような思いだ」
「好きで王様やってる訳じゃないってか」
「王という地位が欲しいならくれてやる。俺は更に上の存在となる」
「神…ね」
   含み笑いをしながら月は王の顔をしげしげと眺め、口を開いた。
「俺は別に何も欲しくない。不死になる方法なら只で教えてやる。俺はそれで楽しめれば良いし」
「本当か!?教えてくれ!」
   必死に前のめりになる王を笑って、悪魔は言った。
「龍晶の生き血を呑め」
   意外だとばかりに王は顔を顰める。
「それだけか?」
「ああ。信じてないな?」
「何故、奴の名が出てくる。何の関係が?」
「俺が蘇生させた奴には不死の力が宿る。龍晶はあんたが仕掛けた罠による毒で一度死んだ。それを俺が蘇らせた。よって、奴には不死の血が流れている。それを呑むんだ。生きたまま、その血の気が無くなるまで」
   まだ半信半疑の表情を浮かべる王に、月は微笑んだ。
「簡単な事だろう?試してみるだけの価値は有るんじゃないのか?」
   それでも煮え切らない王に近寄り、その耳元で問うた。
「或いは、奴を殺せない理由が王様にはあるのか?あれだけ殴る蹴るを繰り返しながら、本当は可愛くて仕方ない弟だったりとか?」
   王が横目に悪魔を睨み、すぐに目を逸らした。
「…奴は何処に居る」
   怒りを抑えたような声音で彼は訊いた。
「さてね。あいつ、あんたのやってる事を悪政だって言い切っちゃったから、あんたの優秀な兵隊さんに追いかけられてるよ。今頃どこかで膾にされてないと良いけどね」
「直ぐに探させる」
   言葉通り即刻立ち上がり、側近を呼ぶべく部屋を出ようとして。
   悪魔を振り返った。
「悪魔殿、余計な詮索は不要だ。奴は俺の道具でしかない。俺が神となる為に役立って貰う」
「解ってるよ。生贄だね」
   肩を竦めて笑う。
   その常人から見れば背筋の凍るような笑みを、無感情な目で一瞥して王は去って行った。

   目を閉じた向こう側に、意外な程の穏やかさがあるのを感じる。
   先刻まで見せられていた悪夢に胸は激しく鼓動を打っているが、それは虚構の世界だと現実が優しく教えてくれた。
   薄目を開ける。白い光に溢れている。
   目が慣れてくると、そこにある人影に視線を留めた。
   気付かれて、頬を両手に包まれる。
「おはようございます、殿下」
   龍晶はまだ、とろんとした目で見上げるだけ。
   それで十分満足して、桧釐は笑いながらぽんぽんと頬を叩いて手を離した。
   その手で水に晒した布を絞る。
「随分魘されておいででしたから、眠るのも疲れたでしょう?」
   布を額に当てながら桧釐は訊いた。返答は特に期待していない。
   矢張り何も言葉は返らなかった。しかし幾分かはっきりしてきた目で周囲を見回している。
「ここはね、隠れ里ですよ」
   質問を先回りして桧釐は教えた。
「決して他所者には見つからない里です。殿下が送って下さった捕虜達を匿う為の場所です。今はあの道場に集っていた俺の同志達と共に暮らしています。…ほら」
   窓を開け放すと、二つの言語が混じり合って聞こえてきた。
   どうも田畑を耕しているらしい。言葉が通じないなりに、何とか意思を疎通させようと互いに頑張っている。
   平和を絵に描いたような光景だった。
「ここに居れば何の心配もありません」
   言い切った桧釐を見、そして再び窓の外の光景に目を移した。
   遠い遠い場所の出来事に見える。
   己が手には届かない夢のような現実。
「早く熱を下げて、殿下も手伝ってくださいよ。言葉の通じる人間が一人居れば、どんなに皆助かるか」
   外から響く会話の苦労ぶりを聞いていれば、そうだろうなと龍晶自身そう思うのだが。
「俺は彼らに歓迎されないだろうな」
   呟きに桧釐は驚いた目を向ける。
「そんな事は無いでしょう」
「自分達の自由を奪い、殺そうとした人間が、のうのうと現れてもか?」
「殿下は彼らの命を救った恩人ではないですか」
   いや、と小さく返す。
   憎まれている。敵将であった以上、それ以外など有り得ない。
   否、敵であろうが無かろうがーー己を取り巻く人々の中で、どれだけ敵意の無い人が居るだろう。
   他人から憎まれる、それが当然の世界。
「…俺はここに居るべきではないな」
   呼気だけの独り言。
   それでも桧釐は大声で返してきた。
「何を仰るんです!今ここ以外にあなたが居る事の出来る場所なんて無いですよ!?匿う身にもなって下さいよ」
   予想外に怒られて、決まり悪く相手の顔を見上げた。
「…済まん。そんなつもりじゃ無かった」
「いえ、俺も病人相手に言い過ぎですね」
   少し投げ槍に言って、桧釐は龍晶の額から落ちた布を拾った。
   機械的に水に潜らせ、絞る。数日間これを繰り返している。
「もういい」
   布を額に戻そうとした桧釐を止めて、龍晶は半身起き上がった。
「いいって…。まだ熱が下がったようには見えませんけど」
「お前に看病されるより、もっと良い方法があるって言ってるんだ。ここに竹刀や木刀の類はあるだろう?」
「えっ、…それは無茶ですよ。いくら何でも」
「馬鹿、俺がやるとは言ってない。お前が彼らと試合するのを見せてくれ。ただ寝ておくよりその方が遥かに良い」
「成程、暇潰しですか」
「何でもいいから。やるのか?出来ないのか?」
「そりゃあ、殿下のご命令とあらばやりますとも。ちょいと待って下さいよ」
   先刻までとは打って変わって生き生きした表情になった桧釐が、浮き浮きと出て行こうとするのを龍晶は呼び止めた。
「くれぐれも俺が見たいからやるなんて言うなよ。あと、今後一切は殿下なんて呼ぶな。その呼称はもう無意味だ」
   はたと見返して。
   王家の血筋がいよいよ重たくなったのだと、桧釐は理解した。
   確かに元の鞘に収まれるような状況では無くなった。このまま何もかも諦めるつもりなのか。
   それらを今問い詰めても酷だなと思い返して、桧釐は問うた。
「では、何と呼びましょう?」
   しばし言い淀んで、ぽつりと答えた。
「追われる身となった以上、名も変えた方が良いだろう」
   父から頂いた龍の字が入った大事な名。それを捨てるのは半身をもぎ取られるような気分だ。
   だが、これを名乗り続けるのは気が重い。その資格すら、もう無い。
「仮の名ですか」
   桧釐の言に思わず頷く。
   仮とすれば、まだ捨てずに置ける。
「名は何と?」
   少し考え、口を開いた。
「母は朱の花なのだ。俺は葉で良かろう。黄葉(オウヨウ)でどうだ」
「畏まりました。そのように周知します」
「あと、それだ。その言葉遣いは止めてくれ。もうお前は俺に仕える者ではない。俺は一人の厄介者に過ぎないんだ。世話も焼かなくて良いし、気を遣ってくれるな」
「それは、殿下…」
   思わず言ってしまって、厳しい目で咎められる。
「ああ全く、長年の慣習を突然変えろと言われても難しいものですよ。暫し猶予を下さい」
「無事逃げ果せる為だと思って協力してくれ」
   ふう、と鼻から息を吐いて。
   ぎこちなく吐き捨ててみた。
「分かった、黄葉」
   久しぶりに龍晶の口元に笑みが灯る。
   対して言った桧釐は口元が薄ら寒い。
   あー、と荒く息を吐きながらその場を後にした。
   歩きながらつらつらと考える。
   要は、自分に世話を焼かれたくないのだ。だからこその試合をしろというこの提案でもある。お前はこんな事をしたい訳じゃ無いだろうと言外に言われているのだ。
   それは尤もなのだ。他人の世話など性に合わぬ。しかも相手はただでさえ他人に世話を焼かれたくない御仁だ。
   その為に、王族という身分も捨てた。その身分が無ければ、自分との主従という関係は成り立たない。
   尤も理由はそれだけではないだろう。反逆者とされた以上、もう城に戻れる事など絶望的だし、王弟である事実も捨ててしまった方が余程気が楽なのは解る。
   しかし、遅過ぎた。同じ事を亜北でやってしまって居れば、もっと状況は楽になっていたものを。
   この隠れ里に留め置いておけば見つからない自信はあるが、それでは幽閉も同じだ。
   下手をすれば何年、何十年、もしかしたら死ぬまでここから動けないとなると、一人の未来ある若者には絶望的な話だろう。
   歩みを止める。
   竹刀の置かれた小屋を前にして、足元の吹き溜まりが目に入った。
   黄葉。秋の日暮に染められた、散りゆく葉。
   生涯隠れ棲む事を覚悟した、それ故の名なのか。
   それとも。
   不穏な胸騒ぎを覚えつつ、竹刀を手に取った。

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