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月の蘇る
  2
   虚空を切る刃が空気を震わせる。
   一定の間隔で心地良く響くそれを遠目に眺めた後、龍晶は彼に近寄った。
   旦沙那は刀を持つ手を下ろす。
『もう寝てなくて大丈夫なのか?』
   問われた龍晶は肩を竦めて笑う。
『あのくらい日常茶飯事だからな。何て事無い』
   彼の口から以前聞いていた『日常』を思い出して、旦沙那は曖昧に頷いた。
   まだ足を引き摺って歩く龍晶に自分から近寄り、座り易い石段を指差す。
   龍晶は軽く礼を言って座り、立ったままの旦沙那を見上げた。
『こんな所で油を売らせて済まない。哥へ帰るよう言ったのは俺なのに』
『何ヶ月待たされたと思っている?一日くらい何て事は無い。里に居ようがここに居ようが、やる事は同じだ』
『お前、腕が良いんだな。俺はよく分からないけど、動きが良い気がする』
『刀を振る他に出来る事も無いんでね』
   昨日の四面楚歌の乱戦の中で大きな傷一つ負わぬのだから、生半可な腕では無いのだろう。
『そんなに強いのに捕まったのか?』
   つい素朴な疑問を口にして、すぐにその不躾さに気まずく謝った。
『済まん。つい』
『良いさ。当方にも事情はあるからな』
『事情?』
『出来心ではあるが。怪我を負った少年兵を放っておけず、一緒に捕まってしまった』
   弱い者は放っておいて逃げるのが戦の常だが、捨て置け無かった。
   同じ部隊で気心の知れた仲ではあったし、己の子と被せて見ていた所為だ。
   二人で孤立してしまい、何とか血路を開こうとしたが、迫る敵の多さに観念した。
『捕まるなら捕まるで、脱出の機会はあるだろうと考えていた。敵の大将首を手土産にな』
   その首を狙われていた龍晶は爽やかに笑い声を上げて、言い返してやった。
『諦めの悪い奴だな』
   相手も鼻で笑う。それを見、龍晶は重ねて問うた。
『その助けた兵は?』
   ひょっとしたら、己が手で最悪の事態にしているのではないかと、その可能性に顔付きが真剣なものになる。
『あの里に居る。今頃いきなり姿を消した俺を案じているだろうよ』
『ああ、良かった』
   生きているなら一先ず安心だ。
『なら、会いに行こうか』
『何?』
   眉を顰める旦沙那に笑い返して、龍晶は立ち上がった。
『紹介してくれるか?お前も心配させたままじゃまずいだろ?』
『今から里へ戻る気か?』
『皆を呼びに行くんだよ。ちょっと付き合ってくれ』

「え?今から?」
   桧釐にも案の定だが驚かれ、思わず苦笑いして龍晶は取りなした。
「早く行かなきゃ日が暮れるだろ」
「もうそろそろ夕方ですけど。夜にお帰りになる気ですか」
「いや、向こうに泊まる。朝を待って帰る」
「明日じゃ駄目なんですか?」
「何事も早い方が良いだろ」
   もう出て行きそうな龍晶を、ちょっとちょっとと何とか口だけで留めて。
「お一人では危険でしょう!」
「いや、旦沙那と行く。心配は無い」
「だから、明日まで待って下さいよ!俺も行くから!」
「お前は明日も養生だろ?大人しくしとけ」
「殿下ぁっ!」
   言い逃げで扉を閉められた。
   悲しいかな、まだ桧釐には走って追う事が出来ない。
『強引だな』
   外で待っていた旦沙那に肩を竦めて、龍晶は玄関へと向かった。
   出立を急ぐ理由はこの屋敷の中にある。
   正確には、屋上に。
   こうやってまたあいつから逃げる理由を探しているに過ぎないな、そう自覚しながらも屋敷を出た。
   もう一つ理由はある。道中、旦沙那の話を聞きたかった。
『お前に相談がある』
   街中で騒がれぬよう外套を目深に被る。そのくらい、この街に人が戻りつつある。
『哥には、まだこの国を攻める気はあるだろうか?』
『当然だろう』
『金欲しさに?』
『それもある。あと土地。何より、戦わねば気の済まぬ民族でな』
『…まぁ、そうだよな』
   馬の扱いの巧さはそのまま戦での強さと言って良い。ならば、戦をして領土を広げぬ理由は無い。
『また戦をする気なのか?』
   険しい顔で旦沙那は訊いた。
   『戦をしない』事をこの少年に託したばかりだ。
『いや、逆だ。戦を止められないかと思って』
『それは知っているが…』
『これは一時的な話だ。この国ではなく、哥には俺自身と停戦条約を結んで貰いたい。その為の手段を考えている』
   胡乱げに目を細める旦沙那に気付き、龍晶は片頬で笑った。
『大言壮語なのは分かっているさ。だが、そうして貰わねばならぬ事情が出来た』
『国と戦をするのか』
   目の前の会話全てを理解出来なくとも、薄々意味を察していたのだろう。
   龍晶は頷き、足を止めて後ろを振り返った。
   町外れ。山道に入る高台。
   ここから北州の町を望める。
『これは都と地方の戦だと思っている。兄はこの国をその二つに割ってしまった』
   山々に囲まれた街は、枯葉の吹き溜まりのように小さく、身を寄せ合うように。
   その小さな街から、はたまた周囲の山々から、声にならぬ悲鳴を感じている。
   更には、この山々の向こう、まだ見ぬ街や村からも。
『上流階級のほんの一握りの輩の為に、民の多くが僅かな報酬で終わりの無い労働を強いられている。こんな国はいつか疲弊して滅びる。それを黙って見ていられるものか』
   踵を返し、街に背を向けて山道を登り始める。
『俺たちは都に攻め上る。その間に背中を突かれたく無い。内乱に乗じて国を奪われては意味が無いからな』
『哥にとっては絶好の機会だ。止める術はあるのか』
『…あの男…皓照にはお前に交渉して貰えと言われたが…』
『何故俺が。そんな義理は無いぞ』
『分かっている。だから考えている』
   皓照の言葉を鵜呑みに出来なかったのはそれだ。
   旦沙那は偶々過日の騒ぎに手を貸してくれただけに過ぎない。その彼に重い責任を負わすような真似はしたくなかった。
   例え書状を託すだけにしても、それによって彼が故国からどう見られるか予測出来ぬし、効果の程も甚だ疑わしい。
   だが、哥との交渉は絶対に必要だ。
   ならば。
『哥の都はここからどのくらい遠い?』
『都?』
   問われて、旦沙那は暫し考える。
『馬を駆けさせて、ふた月ほど掛かるな。軍として動いてそれだから、単騎ならばもう少し早いかも知れないが』
『そうか。王はどのようなお人だ?』
『何だ難しい事を訊くな。詳しくは知らぬ。話には文武に優れた賢帝であると聞くが』
『話の分かる人物だろうか』
『政治は専ら大臣の仕事だよ。王は最終決定のみだ。話を通したいなら瀉富摩(シャフマ)様に持って行く事だ。相手にされるかは知らぬが』
『その、瀉富摩というのが大臣?』
『ああ。国の舵取りを一手に担っている人物だ。頼み込んで折れる相手では無いのは確かだな』
『まぁ…そうだろうけど』
『よほど口の立つ者か、お前ほどの誠意の塊のような者が行かねば話になるまい』
『じゃあ、話の分かる御仁ではあるんだな?』
『無論、愚者ではないぞ』
『そうか』
   力強く頷いて、少し笑みを浮かべた。
   希望は持てる。
『俺からも質問して良いか?』
   旦沙那に問われ、龍晶は勿論と応じる。
『あの皓照という者は何者だ?信頼出来るのか?』
『ああ…お前も難しい事を訊く』
   それを誰かに問いたいのは龍晶も同じだ。
『お前は今、あの男によって動かされているように見えるが』
   昨日まで空っぽだった自分の変わりようを、そう見られても仕方ないとは思う。
   自覚はあるのだ。自分は今、あの男に全てを賭けてしまっている。
『見ただろう?あの力を。…それが全てだ。彼が俺を王にすると言うのなら、それに逆らう理由も術も無い』
『あの魔術のような力で王を倒すと言うのか?』
『それは無いと思うが、心強い味方ではある』
   味方を集める算段をしているのを見る限り、あの力で国を制圧するつもりは無さそうだ。
   その方が良いと思う。
   朔夜の力もそうだが、あの人外の力は人を惑わせる。余りに強過ぎて。
『お前は王を殺せるのか?』
   え、と声を漏らして思わず立ち止まった。
   先刻からそういう話をしている。が、『殺す』という現実まで思い至っては無かった。
   何所かで考えが途切れているような。
   旦沙那がじっとこちらを見据えている。
   鼓動が早まり、冷たい汗が背を伝った。
『…無理そうだな』
   吐き捨てて、旦沙那が前を行く。
   何も返せず、のろのろとその後を追った。
   身に染みて解らされた。
   まだ俺には、何の覚悟も無い。
   反旗を翻すのなら、彼に刃を向けるのと同義だと言うのに。
   悪魔の言葉が耳元で囁く。
   王様は、お前を殺さないーー
   愛しているから。それはずっと欲していたもの。欲しくて欲しくて、何をされても耐え続けた原因。
   なのに、俺は殺せるのか?
   悪魔の言葉は信じ難い。が、十分な呪縛となって心を絞める。
   俺には無理だ。
『…殺さずに済む方法が有る筈だ』
   呟いていた。
   復讐をすると言った、同じ相手に。
   憎しみなのか、愛なのか、分からない。
『もう、一族の血を見るのは御免だ…』
   肉親を失い過ぎた。
   だからこそ、手を差し伸べてしまった。いつか握り返される事を期待して。
   同じ手で刃を向ける事など、出来ない。
『それは期待出来ないと思う』
   旦沙那が言う事は正しい。
   そんな甘い期待などしてはならない。
   必ず血は流れる。
『…解っている』
   重い沈黙の中、黙々と山を登り続け。
   辺りが紺碧に包まれる頃、漸く目的の隠れ里に着いた。

   あの洞窟以来世話になっていた黄浜に驚いた顔で迎えられ、まずは気まずく言い訳せねばならなかった。
   まだここに居る人々は昨日から何が起きていて、これから何が起きようとしているのか何も知らない。
「俺が勝手にここを抜け出した所為だ。済まん」
   結果がどうあれ原因は自分の勝手な行動の所為なので、とにかく謝る。
「では、桧釐殿は今、北州に?」
「ああ。元の自宅で療養中だ。と言っても明日にも動けるようになるだろう」
   到底全て信じて貰える話ではないが、昨日までの出来事は説明し終えた。
   本題はこれからだ。
「今から皆を集めて貰えるか?北州の皆も、哥の者も、ここに居る全員を」
「はい。しかし、全員が入れる広さの建物が有りませんが」
「ここで良いだろう。焚火を囲んで酒でも飲みながら話をしたい」
「分かりました。すぐに支度を」
   黄浜が仲間に指示を出し、準備が始まる。
   旦沙那が横から訝しげに訊いた。
『何をする気だ?』
『酒宴だよ。皆の本音を聞きたい。それぞれ、何を望むのか』
   里の中心となる広場に火が灯された。
   夜空を燃やすかのように炎となって立ち昇る。
   人々が何事かと集まってくる。
   集まった者から杯が手渡され、酒と肴が徐々に揃えられる。
   その様を、焚火の前で一人眺める。
   旦沙那は仲間達に呼ばれて行ってしまった。彼もまた、この数日の出来事を説明せねばならないだろう。
   集まる人々の中で、独り。
   自問する。
   俺は何処までやれるだろうかと。
   人を動かす力は有るのか。
「殿下、こちらへ」
   黄浜に促され、一段高くした台に置かれた床几に腰掛けた。
   炎を囲んで集まった人々の視線を受ける。
   立ち上がり、持たされた杯を掲げ、龍晶は彼らに告げた。
「我々は自由の為に国と戦う事を決めた」
   同じ事を哥の言葉で繰り返す。
   場が静まり返った後、どよめきが徐々に大きくなった。
   北州の者にとっては待ちに待っていた宣言だ。が、哥の者にとっては寝耳に水の事態だろう。
   龍晶は手を軽く掲げ場を制し、続けた。
「今宵は皆の忌憚の無い意見を聞きたい。それぞれの考えを聞かせてくれ」
   そして言語を変えて続ける。
『我々の戦に加担しろとは言わない。哥に帰りたいのならそれは受け入れる。ここに残る事も出来る。望みを聞かせて欲しい』
   ざわめきの中に歓声が混じる。
   それを聞きながら龍晶は座った。
   いつの間にか横に戻ってきた旦沙那が、耳打ちするように言った。
『嘘を吐いたのか?』
   彼らを哥に帰しては何の意味も無い。
   だが龍晶は迷わず言った。
『嘘じゃない。帰りたいのなら止めない。俺に止める権利は無い』
『だが、戦力は必要だろう』
『…なぁ、旦沙那』
   改めて向き直って、問い掛ける。
『何故お前達は戦に出れる?何の為に命を賭ける?俺は兵になった事が無いから解らないが…』
『お前が命を賭ける理由は有るのだろう?』
   頷く。
   それは、兵達より明確だろう。
   旦沙那は答えた。
『俺たちもお前と大差無いだろうよ。自分か或いは誰かの幸せを願う。お前と違うのはその誰かの人数だ』
『…そうか』
   一人一人が命を懸けて誰かを守ろうとする。
   その力をただ戦力と呼びたくなかった。
   それは、自分が勝手に使えるものではない。
『お前に用があるようだ』
   旦沙那に教えられて、彼の後ろに目をやる。
   数人の哥人がこちらを見ている。
   この宴の目的は彼らの声を聞く事だ。
   龍晶は彼らの発言を促した。
   そして投げ掛けられた言葉は、己の想定より違うものだった。
『お前は故国に我々の首を送り返すのか』
   一瞬何を言われたのか理解しあぐねて、返答までに間が空いた。
   それがまた妙な誤解へと繋がってしまう。
『矢張りそうだ!口では甘い事ばかり言って』
『騙されんぞ。奴は悪党だ!』
『そうだ!神を蔑ろにする悪だ!』
   流石に言葉の理解は出来ずとも、その剣呑な雰囲気は伝わったらしい。
   北州の者達が、騒ぐ哥人を取り囲み手を出そうとした。
「待て!」
   龍晶が一声叫んで双方の動きを止める。
「こんな時に我々が対立している場合では無い。手は出すな。彼らの言い分を俺は聞かねばならぬ」
「しかし、殿下。これでは示しがつきません。言いたい事ばかり言いやがって」
「皆の気持ちは有難い。だが、彼らには彼らの考えがある。それを聞く為にここに来た。どうか言わせてやってくれないか」
   そして今度は騒いでいた哥人達に目を移し、言った。
『俺がお前達の首を取る事は決して無い。生きて故国の地を踏んで欲しいと思っている。それはこの旦沙那にも既に頼んだ事だ。俺は確かに悪人やも知れぬ。だがこの言葉に嘘偽りは無い。信じて欲しい。俺は哥、そして皆と和解する事を願って国に反旗を翻すんだ』
   どの顔も半信半疑という感じで、互いに目を見合わせている。
   その彼らに、同胞である旦沙那が声を上げた。
『嘘では無いと俺が保証する。彼は哥と戔の戦を終結させ、共に歩む仲間となる事を本気で願っている。そんな人間に我々が殺せようものか』
『旦沙那、お前その男を殺そうとしていたのに、どうした』
   仲間からの問いに、彼は苦笑いして返した。
『俺がこいつの値踏みを間違えていただけの事だ。殺すには勿体無い程のとんだ馬鹿者でね』
『はあ?』
   問うた哥人も、龍晶も、同じ返しをしていた。
   旦沙那が笑い出して付け加えた。
『これだけの馬鹿ならば、国も変わるやも知れんと、殺すのを辞めた。俺はこいつが戔と哥を変える瞬間を見たい』
   ぽかんと聞いていた哥の人々が、笑い出した。
   あまりにも現実離れした話を、かつてあれ程殺伐としていた旦沙那が言い出した事がおかしかったのだろう。
   龍晶も苦笑いして、彼らに問うた。
『哥に帰りたいか?』
   意外に反応はまちまちだった。
   当然のように頷く者も居れば、肩を竦める者や首を捻る者も居る。
   旦沙那のように故国で待つ者が居れば帰りたいと思うだろうし、職業柄そんな存在の無い者も多いのだろう。そしてこの地を気に入って貰えたなら幸いだ。
『帰るも残るも好きにすると良い。ただし、それぞれに条件がある。残るのなら、この地を守って欲しい。これからこの地を攻められる可能性は大いにある。ここの者達と共に刀を振るって欲しい』
   頷く顔がある。納得してくれたなら何よりだ。
『哥に帰る者には、協力して欲しい事がある。我々と哥の都まで同道した上で、共に城へ昇って欲しい。俺が国の者達を説得する為の材料となって欲しいんだ。こちらは捕虜を引き渡すその代わり、この国への進軍を控えて貰う。そういう取引で』
『お前』
   驚いた顔で旦沙那が振り向いた。
   頷いて、龍晶は応えた。
『俺が哥に行く』

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