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月の蘇る
  4
   多禅の言った通り、敵軍は真夜中にこの峯旦へと布陣した。
   来ると分かっているならば何か罠でも用いれば良いのではと思うが、自軍は真正面に陣を敷いただけでそれ以上の動きは無い。
   龍晶は朔夜と共に陣の横手へ身を潜めて待てと言われた。朔夜に敵軍の脇を突かせるらしい。
   そして、全てを見渡せる自陣の丘の上に、王が居る。
   着陣したとは聞いたが、顔を見た訳ではない。尤も向こうもこちらもわざわざ会う要は無い。
   そして、もう一人この陣へ着いた人物。
「…桧釐」
   暗い茂みに近寄ってくる人物を見て、龍晶は正直驚いていた。
   本当に戻ってきた。
「どうしたんです、殿下。俺を見て幽霊が出たみたいな顔をしないで下さい」
「その手の話は間に合っている。ちょっと静かに出来ないのかお前は」
   戦前の静けさ。少しの会話もやたらと大きく感じる。
「…それよりですね殿下。俺は何から申し上げれば良いのやら」
   桧釐の目線は座る龍晶の腕の中。
「仕方ないだろ!寝ちまったんだから!」
   朔夜が龍晶に抱えられてすやすやと寝ている。
「お子様の起きられる時間じゃねぇんだよ!文句はこんな時間に来た敵に言え!」
「いや、俺は文句ありませんけど」
「じゃあ何も言うな!」
   この状況に一番文句があるのは龍晶その人で間違いない。
「本当に戦える…いえ、戦わせるおつもりで?」
   龍晶の隣に座りながら桧釐は問う。
   面倒臭いとばかりに息を吐いて、龍晶は言い捨てた。
「言い訳の通じる状況じゃない」
「王が来られたとか」
「ああ」
   頷く顔はこれまでに無く厳しく、険しい。
「馬鹿げていると思いますがね、俺は」
「そんな事は…!」
   言いたい言葉を無理矢理噛み殺して、龍晶は言葉にならぬ声を上げた。
「ほら、殿下だってこんなもの間違いだと分かっていらっしゃる」
「分かっててもやらざるを得ない!それが分からぬ程お前も餓鬼か?!」
「ええ、何とでもどうぞ。俺は間違いは間違いと言いたい男です」
「…そうだな。全くそうだ」
  でなければ反乱など言い出さないだろう。
  遠い松明の群れが揺らめきだす。
  敵が進軍を開始した。
  朔夜を起こさねばならない。
  肩を揺すろうと浮かばせた手が躊躇う。
  迷いは己の中で膨らみ続けている。
  桧釐に言われる間でもないのだ。分かっている。なのに。
  迷う手を差し置いて、横から大きな手が朔夜を揺るがした。
  驚いて隣の男を見遣る。
「貴方だけじゃ済まない、そうなんでしょう?」
  王に背けば自分だけの命じゃ済まないから。
  それすら言い訳かも知れない。だが、それを盾に今まで耐え続けてもきた。
  その事を、桧釐も理解してくれたのだ。そして龍晶の迷いをも。
「朔夜、起きろ。敵が来る」
   薄眼を開けて朔夜は、隣の見知らぬ顔に驚いて飛び起きた。
「大丈夫だ。俺の従兄弟で名は桧釐と言う」
   敵陣で訳も分からぬまま甚振られたせいで、知らぬ顔には皆警戒してしまう。
   とにかくまずは安心させて、敵では無い事を告げねばならない。
   本当の敵は徐々に迫ってくる。
「大丈夫か?行けるか?」
   起きがけにいきなり敵軍に突っ込めと言うのも無茶苦茶だが。
「あ…うん。たぶん」
   何ともあやふやな答え。
   尤も、自信を持って行けるなどと言える筈も無い。
   前回だって殆ど偶然の産物なのだ。
「殿下、やはり…」
   後ろで桧釐が呻いた。
   言葉にされずとも龍晶とて同じ意見だ。
   無茶苦茶にも程がある。これでは死なせに行かせるだけだ。
   王さえ居なければこのまま陣に帰る所だ。だが今はそれも許されない。
   敵軍は目前に迫っている。
「俺も行こう」
   えっ、と二人から声が上がった。
   二人の驚く顔を見ながら、龍晶は続けた。
「俺と二人なら怖くないだろ、朔夜」
「え…あ、…うん…」
「殿下、本気で…!?」
   桧釐を見据えて頷く。止めるなと、言外に。
   賭けだ。
   あの夜と同じ状況を作り出す。
   もし、あの時本当に朔夜が自分を守る為に悪魔に変じたのなら。
   鍵はこの身が握っている事になる。
   だが、この読みが外れたら?
   笑えてくる。こんな所で死ぬのは御免だ。
「桧釐、駄目なら後処理は頼んだ。お前の好きな様に片付けてくれ」
「はぁ!?ちょっと、殿下!」
「行くぞ」
   桧釐の素っ頓狂な叫びに気付いた最寄りの兵がこちらに視線を送った。
   それを合図と龍晶は飛び出る。朔夜も後に続いていた。
   不意を突かれた敵が構える前に、龍晶は先手を繰り出した。
   一人斬って、だがその時には後ろに刃が迫っている。
   何とか躱したが、均衡を崩して地に伏せた。
   と、その瞬間朔夜の小さな身体が割って入り、振りかぶった敵に身体ごと深々と刀を突き刺していた。
「朔夜!」
   横から彼に迫っていた敵の足を斬り払う。
   刀を抜いた朔夜は、敵の血に濡れて。
   確かに、龍晶と目を合わせて笑った。
   そして次の瞬間には身を翻して敵軍の中に突っ込んで行った。
「朔夜!!」
   まずい。
   あれはまだ変じてはいない。
   俺の為に動いているだけ。戦える振りをしているだけ。
   「嫌いな振りしてるだけの時もある」
   父親に怒られたいから。わざと野菜を残す。
   それと同じだ。
   俺に見捨てられたくないから、わざとーー
「駄目だ朔夜!戻って来い!!」
   叫ぶ。届かない。騒音に掻き消される。
   朔夜へ意識がいき過ぎていて、自分の事など何も考えて無かった。無論、それはこの場所では命取りとなる。
   龍晶は迫る刃に余りにも無防備だった。
「殿下!」
   桧釐が走ってくる。間に合わない。
   斬られるという意識も無かった。
   ただ、次の瞬間、目前に敵が倒れてきて龍晶は我に返った。
   桧釐の刃ではない。なのに、背中を深々と斬られている。
   何が起こったか理解するより先に、桧釐に肩を抱えられて騒乱の外へ出された。
   追ってくる敵を桧釐は斬り、しかしこの孤軍で有り得ないほど追い縋る敵は居なかった。
   その場の視線は全て、一点に集まっていたから。
「…確かに…あれがそうですな」
   桧釐が耳元で呟く。
   その一点を中心に、敵が次々と倒れてゆく。
   囲う敵の間から時折見えるその姿。
   あの夜と同じもの。
「殿下、こうなると最初から知って…?」
   桧釐の問いに、龍晶は自嘲気味に頷いた。
「確証は無かったけどな」
   ぎりぎりの賭けに勝った。
   嬉しくなどない。胸をきりきりと締め付けられるだけ。
   桧釐もまた、乾いた笑いを漏らした。
「負けましたよ。貴方を疑っていた俺が間違いでした。まさかこの目であいつが悪魔になる姿を見るとは」
「そんな前の事なんか、もうどうでも良い。それより…俺を罵らねばならぬ事が増えたろ?」
   分からない、と桧釐が見返す。
   自嘲を崩せぬまま、騒乱から目を離さず、龍晶は言った。
「俺があいつを悪魔にした」
   桧釐が短く息を飲む。
   確信。
   俺は悪魔を産み出す事が出来る。
   決して望んではならない望みだった。分かっていたのに。
   敵の動きが鈍りだした。
   子供一人に梃子摺る自分達にやっと気付いたのだろう。
   慎重に朔夜の周囲を囲みだした。だが自ら打って出る者が出て来ない。
   恐怖が足を竦ませる。
   その中心に居る少年は。
   ふっと我に返った顔で、何が起きているのかとばかりに視線を彷徨わせ始めた。
   咄嗟に龍晶は駆け出していた。
   朔夜を囲む輪が一斉に萎むのに紛れて、彼に駆け寄る。
   間一髪で朔夜を斬ろうとした刃を躱し、彼を抱えて共に地面に倒れ込んだ。
   次の刃が迫る。
   覚悟した。これは当然の報いだ。
   ただ、贅沢を言えば、巻き込みたくなかった。
   桧釐が自分達を斬ろうとしていた敵を斬り伏せる。
「立って!」
   言われるがまま、立ち上がろうとしたが。
   朔夜が付いて来ない。見れば、瞼が閉じられている。
   意識が無い。
「おい…!」
   とにかくここから離脱する事が先だった。
   朔夜を抱える。
   少し遠くで、大音声が聞こえた。自軍が攻めだしたのだ。
   お陰で敵は分散された。桧釐が作り出す道を、朔夜を抱えて駆け抜ける。
   元の茂みに戻って、朔夜を投げ出しながら自分もその場に転がった。
   後ろでは敵と味方が交錯し、白刃が交じり合っている。
   龍晶は仰向けのまま、乱れた息を整えていた。
   追ってきた数人の敵を斬って、桧釐が隣に立った。
「大丈夫ですか、殿下」
「桧釐」
「はい?」
「こんなもの許される訳が無いよな…?」
   言葉を失う桧釐を他所に、龍晶は横に寝返りを打って隣に置いた朔夜を窺った。
「朔夜」
   呼び掛けても動かない。
   ただ眠っているだけなのか、気絶しているのか。
   少し身体を起こして、顔を見下ろす。
   元々白い肌をしているが、今はどう見ても蒼白い。
   はっとして顔に触れる。温度が無い。
   龍晶は目を見開いて桧釐を振り返った。
   桧釐も傍らに膝を付いて朔夜の脈を診た。
「弱い…」
   呟いて、龍晶を見る。
「急ぎ陣に帰しましょう。軍医に診せねば」
   桧釐が言いながら自ら朔夜を抱き上げ、茂みを歩き出す。
「無茶をさせた…その反動か」
   急ぎ足の桧釐を追いながら龍晶は呟く。
「前より筋肉も随分落ちていますからね、それであの動きは耐えられないでしょう」
「ああ…。捕虜生活で餓死寸前だったからな、それでいきなりこれじゃ…無理も無い」
   戦の前に寝こけていたのも、体力が落ちている証と見るべきだった。
「本当に、無茶をさせる」
「俺のせいか」
   桧釐が盛大な溜息で会話を切った。
   そんな事を言っている場合じゃない。そう言いたげに。
   陣に着いたのは、戦の勝敗があらかたついた頃だった。

   朝。
   寝台の上の僅かな動きに気付いて、桧釐は目を向けた。
「いっ…」
   小さな悲鳴。上から顔を覗き込む。
「よお、気分はどうだ?」
   戸惑い気味の目線。だがすぐに顰められる。
「どこか痛むか?」
「いろんな所」
   何度も顔を顰めながら朔夜は答えた。
「だろうな。無理な動きに耐え切れなくて、骨も筋肉も随分傷んでいるらしい。暫く辛抱しろよ」
「暫くって…」
「さてな。よく養生するこった」
   諦めたように脱力した側から「いたた…」と呻いている。
「さて、養生の為には先ず食い物だな」
   言って、返そうとした踵を朔夜は止めた。
「えっと…かい…」
「桧釐だよ」
「桧釐…は、前から俺の事を知ってたの?」
「まぁ、付き合いは短いけど」
   何か納得した顔付きになって、更に問いを重ねた。
「俺が化物だって分かっても怖くない?」
   口を閉ざして顎に手を当てて考える。
   どういう心理で訊いているのかを。
「今のお前は怖くないね。寧ろ可愛いもんだ」
「可愛い?」
「猫みたいなもんだ」
   えぇっと小さく嫌そうな声が聞こえる。
   前のように盛大な反論と文句が返らないだけ可愛気が増してしまっている。
   一人ほくそ笑んで天幕を出ようとした。
「あ…待って。龍晶は?」
   また足を止められ、問いの中身に笑みを深くした。
   すっかり懐いている。
「隣、見てみ」
   首を巡らすのも随分痛そうだが、やっとの思いで横へ目を向ける。
   飼い主は横の卓で酔い潰れて寝ていた。
「お酒?」
「そ。ヤケ酒」
   ん?という顔をする。自棄酒など理解するには十年早そうだ。尤も、本当なら酔い潰れている当人と同じ歳なのだが。
「大丈夫?」
「大丈夫、じゃないだろうけど。ま、お前は気にしなくて良いぞ。自業自得だから」
「うーん…」
   自業自得の意味が分かったかどうか、ここは納得しない顔で黙り込んだ。
「貴様に言われる筋合いは無い…蟒蛇野郎が」
   呻き声と共に龍晶がのっそりと顔を起した。
「おや、おはようございます」
「龍晶!大丈夫!?」
「お前より断然マシだ。生憎、毎度二日酔い起こす程馬鹿じゃない」
   前半は動く事すら出来ない朔夜へ、後半はどうせまた二日酔いだろうとタカを括っている桧釐へ。
  ただし、腫ぼったい目で顎を卓に着けたまま顔だけ起こして、身体は動かさない辺り全く説得力が無い。
「吐くなら外にして下さいよ?」
「吐かねぇよ」
   やっと、のろのろと動き始める。
   立ち上がって、下から見上げる目を一瞥して。
「…暫く戦には出さないから安心しろ」
   言い捨てて、さっさと外に出た。
   桧釐が後に続く。
「本当にあれじゃ…幼子ですな」
   声を潜めて、再会して初めてまともに会話した感想を述べた。
「ああ。記憶と共に逆行しているみたいだ」
「見た目が可愛らしくて助かりました。以前との落差に違和感はあるが、まだ見てられる」
「そういう問題かよ」
   鼻で笑って、ちらりと背後を振り返った。
「あれで…生き残れるだろうか?」
   桧釐も表情を難しいものへ変えた。
「殿下次第…でしょう?」
   酒の残る息を吐く。その責任から逃れたいが故の自棄酒だ。
「それより心配は殿下の方ですよ。あんな事を繰り返してたら、命がいくつあっても足りない」
   目を逸らしたまま自嘲するだけ。そのまま歩き出す。
「ちょ…殿下!放っといて良い問題じゃありませんよ!」
   慌てて追いながら。
「まさか彼への出陣命令がこれきりなんて事は無いでしょう!?その度にあの無謀な策を用いるおつもりですか!?今回はたまたま運良く助かっただけです!俺だって毎度救出出来ないし!次は死にますよ!?」
   突如、龍晶が立ち止まったので、桧釐は思わず蹈鞴を踏んだ。
   背を向けたまま、彼は呟いた。
「それで良いだろ」
「…殿下…。もう良い加減に…」
「それとも何か?あいつが無条件で悪魔になる方法を探れと?どうやって?」
   問われると桧釐も答えようが無い。
   言葉に詰まっていると、別の方向から答えが齎された。
「訊いてみれば良いだろう?」
   振り返った龍晶の顔が強張る。
「…兄上」
「え…!?」
   顔を知らぬ桧釐は戸惑いの声を漏らした。
   そこに居たのは若き戔王、硫季。
   桧釐の最大の敵であり、龍晶が最も恐れる王その人であった。

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