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月の蘇る
  5
 雨上がりの街道を、皓照と二人、馬を駆けさせる。
 雲の合間から時折覗く日差しに、緑多い潅の国土は目映く輝いた。
 結局、華耶とは行ってらっしゃいと行ってきますの挨拶しか交わさなかった。
 母を失って消沈している華耶に何と声をかけて良いのか分からなかったし、出立の意思を曲げられないなら何を言っても言い訳にしかならない。
 側に居なければならない事は、朔夜が一番判っていた。
 なのに、逃げるように出てきてしまった。
 華耶の姿を見ていると、どうしても思い出し、考えてしまう。
 自分が母親を失った時を。
 比べるべくも無いのは重々分かっているのだが。
「ほら、やっぱり晴れましたよ」
 皓照の声に顔を上げる。
 出立時には空の多くを覆っていた雲が、千切れた綿のように、青に浮いている。
「これだけ生きていれば、天気の読みも農夫に劣らない的中率ですよ?これで一商売出来るかも知れませんね」
「…そう言えばあんたはどうやって食ってんだよ?」
「え?普通に口から食べますよ?」
「違うっ!どうやって稼いでるのかって話!」
 お前は宇宙人かと言いたい所だ。更に呆けで返ってくるのは目に見えているが。
「食っていくのは勿論だが、旅費やら隠れ家やら、どこからそんな金が出るんだ?」
「そんなの、私を頼みとする国がいくらでも工面してくれますよ。そもそも我々は傭兵集団ですし」
「あー。そう言えばそんな事言ってたな。全然傭兵の仕事してるようには見えないけど」
「私はそんな木っ端仕事はしませんよ。他の方々が各地で頑張ってくれています。そのうちご紹介出来れば良いですね」
「別に、どうでも良いけど」
 色々と引っ掛かる物言い以前に、どこまでが本当なのかが怪しい。
 燕雷の言う以上にこの男は厄介な気がする。
「俺もあんたの使う傭兵の一人って訳か?」
「いえ?あなたの事は完全に戔に譲り渡すのですから、私の傭兵という訳にはいきません」
「…あんたの物になった覚えは無いけど」
 思わず父親と同じような物言いをして、顔を顰めた。
「じゃあ、もう戔から戻るなって事なのか?」
「あの国も百年もすれば滅びますよ。心配要りません」
「滅びるまで戻るなって事かよ。俺はあんたみたいに爺じゃないから百年がすぅっっごく長いと思われるんですけど」
「大丈夫です。すぐ慣れます」
 全く要領を得ない返答に脱力してしまう。
「…本当に」
 一つ、どうしても真相を聞かねばならない事がある。
「俺達は不死になってしまったのか?」
「達、とは」
「あんたが華耶に言ったんだろ?その事について」
 この男は無駄な嘘はつかないとは思う。だが、根から信じられない。信じたくないだけかも知れないが。
 だが、有り得る話だろうか。人が人に不死の力を与える事など。
「彼女の事ですか。それなら君の方がよく分かるでしょうに」
「は?分からないから訊いてるんだよ。大体、俺に何が分かるって言うんだ」
「何もかもですよ。君が不死の力を与えた当事者なんだから」
「俺が?どうして」
「また惚けて。分かっているのでしょう?」
「あんたと同じにするなよ。惚けてなんかない。本当に分からないんだよ、そんな覚えは無い…」
 言いながら、じんわりと不安が渦巻きだす。
 あの時。城壁から炎に落ちてゆく、あの瞬間。
 何か言いようの無い、今までに感じた事の無い感覚。
「君の意思で起きた事ですよ」
 皓照の一言に、頭が真っ白になった。
 まさか。そんな筈は無い。そんな事、有り得はしない。
 そんな事、あってはならない。
 街道が途切れ、山道に入る。
 不気味な薄暗さを湛えて、木々が迫ってくる。
 ざわざわと。
 聞こえもしない声が、己を責める。
 お前は、人として、してはならない事をしでかした、と。
 あの時、二人で死のうと思った。そして落ちる時、既に意識は無かった。
 それなのに、明白に、二人で生きようという意思を持っていた。
 真っ白な光の中で。
 あとは何が起こっていたのか分からないし思い出せない。
「俺に…不死の力を与える事は出来るのか …?」
 震える声で訊く。
「ええ。出来たのですから、それは可能だという事です」
 あっさりと皓照は答える。
「華耶は…一度死んで生き返ったという事か?俺のように」
「ええ。そうですよ」
「あんたが燕雷にした事と同じように?」
「まぁ、偶然そうなったという事でしょうが」
 当然だ。自分はその術を知らないのだから。
 だが、その術を使えば、自分にも恣意的にそれが出来るという事だ。
 知るべきか。
 訊けばこの男はあっさりと答えるだろう。
 知るべきなのかも知れない。使うか否かはともかく。
 でも。
『恐ろしい事だと思わんか?もしその方法を知ってしまったら、使わない自信は無い』
 以前、燕雷が言っていた。
 あの時、人の命を他人が操作する事を罪だと思った。だから知るべきではないと言う燕雷に素直に頷けた。
 それを知らないままに犯した今は。
 知ってそれを防がねばとも思う。だが、本当に防ぐ為だけになるだろうか。
 分からない。この先、どんな事態が待っているのか。
 それも、何年続くか全く分からない未来なのだ。
「知りたいですか?私が燕雷にした事を」
 心中を読むような問いにどぎりとした。
 ここで頷くだけ。それだけで、人の知ってはならない神の領域に踏み込んでしまう。
「…いや」
 そんなものは、御免だ。
 神の子と呼ばれ続けてきた。それに良い思いをした事は、一度も無い。
 所詮、ただの人間。神と呼ばれる筋合いは無い。
 そう在りたい。
「だけど、元に戻せる方法があるなら、それは知りたい」
「元に戻す?と言うと?」
「普通の人間に戻る方法だよ。不死じゃなくてさ」
「ほう。その発想は無かった」
 心底感心されて呆れてしまう。要するに考えた事も無いのだ。
「しかしその必要性が分かりません。不死である事に何か問題が?」
「多いにあるよ」
 間髪入れず答える。しかし理解させられる気がしない。
「普通の人間として、普通に幸せになって欲しい。華耶には」
「その方法があれば、自分ではなく、彼女に、という事ですか」
「俺のせいで人生狂っちまったから」
 本当に、罪悪感しかない。
 皓照は首を傾げた。
「それは梁巴が戦に巻き込まれた時点で人生が狂ったと言うべきでしょう?それに不死になる事が不幸だとは到底思えませんが」
「不幸だよ。燕雷が楽しそうにしてるから分からないんだろうけど」
「やっぱりあの人は特殊なんですかねぇ?」
「それどういう意味だ。次会った時に告げ口するぞ」
「いえいえ、変な意味じゃなくて。並外れて楽観的と言うか」
「そりゃお前だろ。燕雷はあんたに合わせて何も苦労してない振りしてるんだよ、きっと」
「へぇ。よく見ていますね」
 また感心されて、逆に馬鹿にされている気がしてきた。
「本当は全部分かって言ってるんだろ」
「とんでもない。何年生きても人の心という物は分からないものです」
「ま、何でも出来て苦労知らずの皓照サマには分からないだろうな。無力な俺達の気持ちなんか」
 皮肉を返したつもりだったが、意外な切り返しが来てしまった。
「私は苦労知らずではありませんよ。そう見えるでしょうけど、そこはあなたの言う燕雷と一緒です」
「…やっぱり惚けてるだけじゃんかよ」
 しかしそう言われると、言葉の真相が気になる。
 この男にとっての苦労とは、一体何なのか。
 そう深刻な事でも無い気がする。燕雷の小言が多いとか、燈陰が言う事を聞かない、とか。
 でも。
 もしそうじゃなかったら?
 何百年ぶんの渦巻く想いが溜まった箱を、もし開けてしまったら。
 身震いして、話を逸らした。
「なぁ、もし不死が直る方法が分かったら教えてくれよ。知っておいた方が何かと気が楽だから」
「はぁ。良いですけど」
 煮え切らない返事をして、何かを考えるように視線を宙に浮かせる。
「或いは、あそこなら…」
「何?何か手懸かりがあるのか?」
 馬上から身を乗り出して訊いたが、返答は素っ気なかった。
「いえ。何でもありません」
 その表情が余りに固かったので、それ以上の追求は出来なかった。
 いつも表面上は柔和なこの男が、何を思えばあんな緊迫した顔になるのか。
 訊けない。すっかりあの顔に怯んでしまった。
「そうそう、一つ言い忘れていました」
 元の柔和な皓照に戻って言う。
「戔では勝手な真似をしないで下さいね」
「…と言うと?」
「国に絶対服従して下さい。何が起ころうとも」
「何だよそれ。俺が信用出来ないって事なのか?それとも勝手に何かされたら困るのか?」
「まぁ…困ると言えばそうですが。いえ、あなたは何も考えなくても良いんですよ」
「はぁ?能無しの殺戮人形にでもなれって言うのか」
「ええ、これは兵力と兵器の交換ですからね」
 こうもはっきりと言われては閉口せざるを得ない。
 この先は誰も人として扱ってはくれないのだろう。
 今までもそうだったのは確かだが。
 繍では口だけでもその立場に抗ってきた。今からはそれすらするなと言う事だ。
 何も考えず、ただ与えられた指令だけをこなす兵器になれ、と。
「…分かった」
 考えた末、強い決意の光を眼に宿らせて朔夜は言った。
「それで繍が滅ぶなら、言う通りにしよう」
 考えねばならぬ事は沢山ある。
 だが今は、一つの誓いを果す事だけ。
 あの地に埋められた、言葉にならぬ憎しみの誓いを。


 謁見を済ませて、舎毘那は回廊を歩いていた。
 皓照からの報せを王に伝えただけなのだが、妙に胸騒ぎがする。
 もう数日で皓照はこの王宮に着く。その旨を知らせた時には何の関心も無さそうだった王の顔が、悪魔の存在に触れた時に一変した。
 やっと来るか、そう嬉々として呟いた。
 悪魔という言葉と、王のその表情に恐ろしいものを感じ、早々に退散している。
 今後、この王宮には近寄り難くなるだろう。
 いかに親交のある皓照が連れて来るとは言え、悪魔と呼ばれるような人間に会いたいとは思わない。
 出来れば関わり合わないうちに、田舎の方へ完全に隠居してしまおうかと考えた。
 ふと、中庭に目を下ろす。何か動いたような気がして。
 目を凝らせば気のせいではなく、庭木の根元に何か――否、誰か居る。
 普通は人の入らぬ坪庭だ。そこに入り込むような人物に、大体察しがついて、舎毘那は足を向けた。
「龍晶(リュウショウ)様」
 名を呼ぶと、とろんとした眼が向けられる。
 舎毘那は苦笑して庭に入っていった。
「良いのですか?このような所にいらして」
 近寄ると、昼日中から酒の臭いが鼻を擽る。
「構うな。隠れてんだ」
 ぶっきらぼうに言って少年――まだ十代半ばの子供は、こくりと首を落とした。
 そのまま眠りそうな様子に、老人は苦笑いを深め、身を屈めて視線を探った。
「まだ嗜まれるにはお早いですよ。時間的にも、御年でも」
「構うなと言っているだろう…」
 手前の手に握られている壺は、ほとんど転けて中身が無かった。
 手を掛ければ簡単に取り上げられた。
 ざんばらの黒髪越しに覗く顔色は酷く青白い。
「ご気分を悪くされましたか。そこの部屋で休みましょう」
 飲み馴れぬ酒を一気に飲んだ故の事だと思った。
 だが、その身を動かそうとして、痛がる呻き声を聞き、気付いた。
 瓢を持っていた反対側――舎毘那にとっては見えぬ方だった為に今まで気づかなかったが、肘の下が赤く腫れている。
「龍晶様、これは…」
「だから構うな!自分で歩ける」
 肩を貸そうとしていたが押し返され、龍晶は片手のみを突いて立ち上がった。
 足取りは不確かで、強い語気とは裏腹に、何か怯える様な顔付きで周囲を窺いながら、隠れるように最寄りの部屋に入る。
 まるで捕縛を恐れる罪人のような振舞いに、舎毘那は首を傾げながら続けて部屋に入った。
 とにかく腕の状態を看て、治療をせねばならない。
 患者は長椅子に横たわっていた。もう目は虚ろだ。
 問題の左腕は、一見して只事ではないと判る。骨に異常をきたしている可能性が高い。
「医師は呼ぶな」
 呟きに驚かされる。当然、聞き返した。
「何故ですか?これは放っておいて良い傷ではございますまい」
「煩いな。そんな事が出来るなら、痛み止めにと酒なんか飲まない」
「はぁ…」
 感覚を鈍くする為の酒だったのかと、納得した訳ではないが理解はした。
「もう良い。こんな所に来た俺が馬鹿だった」
 むくりと起き上がり、左腕を庇いながら扉へと向かう。
 困惑を隠せずにいると、意外な言葉を投げられた。
「おい、協力しろ」
「何を…でしょうか?」
「城外に出る。手を貸せ」


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