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月の蘇る
  10

 矢傷の跡形も無くなった足を擦りながら、燈陰は胡座をかいて難しい顔で俯いていた。
 自宅。朔夜は隣の部屋で昏々と眠っている。
 目前には村の男達が自分を囲んで座り込んでいた。
 あの後。
 自分の子供のなりをしたモノは、夜襲の敵を全て片付けた後、ふらふらと近寄ってきた。
 眼は暗く、何を捉えているかも定かではない。顔からは子供らしさが消え、ただただ冷たかった。
 これが本来の姿かと思った。
 化け物であり、同時に神でもあった。どちらにせよ人外の何かだ。そうでなければ、この光景は説明出来ない。
 そして次は自分だと、覚悟した。
 何よりも、誰よりも憎まれている筈だから。
 殺されても仕方ないと思った。
 覚悟しようが諦めようが、恐いものは恐い。
 動かぬ足を引きずって、後退りする。
 無論逃げられる筈は無い。
 もう駄目だと観念せざるを得ない位置まで来たそれは、銀髪を揺らし、態勢を低くして。
 足を掴まれた――そう思った。
 だが朔夜は、否、朔夜のなりをしたものは、自分を殺す気などさらさら無かった。
 諦めと恐怖で目を固く閉じていた次の瞬間には、傷の痛みが消えていた。
 驚きで目を開けた時、倒れてきた小さな身体を受け止めて。
 漸く理解した。
 俺はこの子に助けられた、と。
 あれから朔夜は目覚めていない。
 敵も思いも依らぬ反撃に動揺したのだろう、まだ攻めてくる気配は無い。
 丸一日経った。
 夜になると呼んでもいないのに、今目の前にいる男達が家に押し掛けてきた。
 確かに今後の事は話さねばなるまい。
 燈陰も腹を括って顔を上げた。
「月神様はいつ目覚められる?」
 正面に座る男が口火を切った。
 月神――村の人々は、朔夜の事をそう呼ぶ。
「分かりません。半永久的に目覚めない可能性もある」
 燈陰はわざとそう答えた。
 人々が不安と不審の囁きを漏らす。
「…聞いて下さい」
 さざめく男達に燈陰が言った。
「俺は例え目覚めたとしても…あの子を戦に出すべきではないと考えます」
 場が静まる。
「あの力はあまりにも…。人の都合で使って良いものではない。我々が身の程を弁えず使えば、滅ぶのは我々自身でしょう」
「何を…今更…!」
 当然の反論。燈陰は目を閉じた。
「お前が言い出した事だろう!神の力を使えば勝てると!」
 事実だ。燈陰は数ヶ月前、彼らの前でこう言った。
『月の力には再生と破壊がある。今、朔夜には再生の力しか無いが、破壊の力を目覚めさせれば、この戦、勝てる』
 それはある男に教えられたそのままを村の皆に伝えただけだ。
 あの時は何の考えも無かった。勝てるなら何でもする覚悟だった。
 朔夜を使う事に何の躊躇いも無かった。
 それが、何故だろう。
 自分が口走っている事の理由は自身でも解らなかった。しかし確信は持っていた。
 朔夜を、戦に出してはならない。
「何とか言え!皆、神の力を信じて今まで堪えてきたんだ!この土壇場で、貴様、我々を裏切る気か!?」
 詰め寄られて、燈陰は、苦しく首を横に振った。
「裏切る気は無い…!俺は、あの力は危険だと言っているだけだ…」
「何が危険なものか!月神様は我々の味方だろう!?違うのか!?」
「それは違わない!朔夜も俺も、梁巴の為ならば何でもする!この地を故郷だと思っているから!だが、それとこれとは違う…。朔夜は梁巴を愛しているが、神はどうお考えか、俺には分からない…」
「何を…訳の分からぬ事を」
「ああ、理解してくれとは言いません…。だが、昨日この目で見た…あの力は、危険過ぎる…。あれは、朔夜の意思ではない…」
 朔夜に、あの優しい子供に、あんな残酷なことが出来る訳が無い。
 あれは、まさに、神の力なのだ。
 そして神の意思が、あの子を動かしていたに過ぎないのだ。
 その意思が、必ずしも梁巴に有利に働くとは思えない。
 寧ろ、本当に神の意思だとすれば、それを畏れ多くも利用せんとする自分達に、どんな報いが返ってくるか――
 そうでなくとも、こんな未知の力を利用し、戦の勝敗において当てにし過ぎる事自体、あまりに危険だ。
「話にならん」
 男達が立ち上がる。
 見下す目をすがる様に見上げ、燈陰は緩く首を振った。
「聞いて下さい…」
「所詮お前は余所者だ」
「梁巴の戦に余所者は要らん」
「違う…違います!俺は…!」
「出て行け」
「梁巴から逃げるが良い。貴様も死にたくはないだろう?」
「我々の戦に巻き込まれる必要の無い男だ、お前は」
「だが月神様は我々の神だ。梁巴に居て貰わねばならん」
「そうだ。出て行くのは燈陰、お前だけだ」
「待って下さい!それは …!」
「出て行け」
「行け。もう戻るな」
「戻れば命は無いぞ」
 両腕を捕まれ、無理やり立たされて。
 外へ外へと、押されてゆく。
「俺は…梁巴の……!」
「待って!!」
 突然。
 襖が音を発てて開いた。
 男達の動きが止まる。
 そこに、子供が立っていた。
「おじさん達、燈陰を連れて行かないで!」
 身体の中の掴める所という所に手が伸びている燈陰の前に、走ってきて回り込む。
「燈陰は村を守ってるのに、ひどいよ!」
「朔…」
 大の男達に向けて吠える。男達は我に返った顔で燈陰から手を離した。
「ごめんなさい。燈陰に俺が我儘言っただけなんだ、 もう嫌だって。戦うの恐くなったから…」
 一転、俯いて朔夜は言った。
 燈陰には、嘘だという事はすぐに判った。
 同時に、それが本音である事も知っていた。
「でも、俺、戦うから」
 まっすぐに、村の大人達を見上げて。
 燈陰は唇を噛んでいた。
 もう、止められない。
「だから、燈陰を悪く言わないで…。悪かったのは、俺なんだ」
 男達はいくらか驚いたような、しかし溜飲を下げた顔で、頷き合った。
 そして笑みさえ浮かべて、朔夜に感謝の意を告げ、家を出ていった。
「馬鹿…お前…」
 客が皆出て行き、燈陰が低く呟く。
「これで良いんだよ」
 朔夜が明るい顔で振り向いて言った。
「これで良いんだ」
 もう一度、同じ事を、自分に向けて言って、殊更明るく笑った。
 燈陰は、呆然と、その笑顔を見て。
 振り向いた。後ろからずっと、妻が固唾を飲んで見守っているのは判っていた。
「朔、まだお前は寝てろ」
 妻――祥芳(ショウホウ)の目を見ながら、燈陰は息子に命じた。
 弾かれた様に朔夜が見返す。心外だと言わんばかりに。
「戦うのは、夜が明けてからだ。それまでしっかり休むんだ」
 何となしに納得した様な顔で朔夜は今まで寝ていた布団に帰る。眠気などもう一つも無いのだろう。
 子供が布団に潜り込むのを見届けて、燈陰は部屋を出た。祥芳が黙ってそれに続く。
 小さな家を出る。月明かりが夫婦を照らす。
 ささやかながら、野の花が咲く庭。梁巴の険しい山の中の、ここは理想郷だと、燈陰は信じてきた。
 それは今も変わらない。戦が山の黒い影を濃くしようとも。
「どうしてあいつにあんな事を言わせたんだ、って思ってるんだろ?」
 瞬く星を眺めながら、燈陰は妻に問うた。
 責める視線をずっと感じている。
「…もう、仕方ないのは分かってる」
 言葉だけは割りきって、祥芳はそう返した。
「そうだ…朔夜を差し出さなければ、俺達家族は村に居られない」
「ねぇ、あなたを産み育てた人たちは、今どこに居るか分からないの?」
 唐突に思える質問に、燈陰は驚いて妻の顔を見返した。
 山育ちとは思えない、美しい面立ち。
 それをいつまでも近くで見ていたくて、燈陰は生まれてこの方続けてきた流浪の生活を捨てた。
「それは、お前…。無理だ…。あの生活はとてもお前達にはさせられない」
「厳しい事は分かってる。でも」
「諦めるな。まだお前達が梁巴で暮らす術はある。お前も梁巴を離れたくはないだろう?」
「でも…」
「大事な故郷を捨てる事は無い。そんな場所を持てなかった俺に言わせればな」
「……」
 ついに祥芳は口をつぐんで俯いた。
 生まれ育ったばかりか、他の土地を全く知らない彼女にとって、未知の場所で暮らす事は難しく、また梁巴がかけがえの無い場所であることは確かだろう。
「大丈夫だ。朔夜は戦には出さない。俺が何とかする」
 じっと見つめる、大きな瞳。
「どうやって…?」
 彼女は全てを察していると、はっきり判った。
 それでも燈陰は言った。全てを守る為に。
「俺はしばらく村を離れる」
 追い縋る白く華奢な手。
「村の皆は俺が余所者だから憂さ晴らしがしやすいんだ。俺が居なくなれば、お前達に対する当たり方も変わってくるだろ」
「そんなこと…」
 違う。自分が居ようが居なかろうが、朔夜を神と信じる村の人々は変わらない。そんな事は燈陰とて充分判っている。
 だが何でも良い、建前が居る。
 自分が、彼女から離れる為の建前が。
「朔夜には俺が村の人達の言う通りに逃げたと言えば良い」
「そんな事言ったらあの子は絶望するわ!あなたを一番強い人だと思っているのよ!?」
「良い。情けない父親である事は事実なんだ。恨ませておけ。怒りの捌け口は、肝心な時に消えた弱い父親で調度良いだろう」
「そんな…」
 言葉を失って、祥芳は夫に身体を寄せた。
 胸の中に、顔を埋めて。
「本当は、戦いに行くんでしょう?」
 燈陰は口を閉ざす。何も言えなかった。
「行かないで、お願い」
 震える背中に腕を回して抱き寄せる。
 もう、これで最後であろう温もりを抱き締めて。
 誓った。この温度を、冷たくする事があってはならない。
 この身に代えてでも。
「生きろ、祥芳」
 離れようとした腕を掴む弱い力。
「必ず帰る」
 力で引き離す事は簡単だが、そうしたくなくて、そんな陳腐な嘘が滑り出た。
 そう、嘘だ。判りきっている。生きてここに戻る事はまず無い。
「…必ず、だよ?」
 おずおずと彼女は言った。
 その可能性の低さなど、とうに知っているのだろうに。
 するりと、腕から手が離れる。
 そんな筈はないのに、掴まれていた箇所が痛い。
 まるで身を風が吹き抜ける様に。
「じゃあ」
 踵を返そうとした時、背後、祥芳の後ろから声がした。
「燈陰!」
 家の扉を開けて、そこに朔夜が立っていた。
 ただならぬ気配を察したのだろう。心配そうな顔つきをしている。
「朔夜、お父さんは…」
 祥芳が言いかねた言葉を拐って、燈陰は吐き捨てる様に息子に告げた。
「俺は村を出て行く。逃げるんだ」
 大きな瞳が、さらに見開かれる。
「こんな所で俺は死ねないからな。お前も聞いてたんだろう?村の奴等もそれを望んでいる様だし」
「駄目だよ…そんな…燈陰」
「お前に名を呼ばれる筋合は無い」
 高圧的な声音に小さな背が震えた。
「お前は化物だ。俺の子なんかじゃない」
 祥芳が鋭く非難の意で名を呼んだ。
 構わず燈陰は捨て台詞を吐いた。
「せいぜい…大切な母さんを守り通す事だな。その力とやらで」
 大切な人の呼び止める声も振り切って、燈陰は走り去った。
 我が子の表情を、ついに確かめないまま。

 燈陰が刀一つ持って向かった先は、敵の陣中だった。

「完全な言い訳だがな…それでお前達二人を守れると、俺は思った。代償としてお前に憎まれる事になるなら、それは当然の報いだろう?」
 高くなる陽に照らされる窓の外の世界を眺めながら、燈陰は言った。
「…馬鹿だよ」
 布団の中から朔夜は呟く。
「馬鹿か?」
「ああ。馬鹿だ。敵陣に一人乗り込んで、何が出来ると思ったんだよ?あんたが勝手に一人で死ぬだけだろ」
 燈陰は微苦笑を浮かべて頷いた。
「そうだな。ご尤もだ。そんな事は判っていた。判っていたが行かずにはいられなかった」
「何で」
「お前達を守る最大限の努力をしたと、自分で思いたかったんだろうな」
「なんだよそれ…」
 ただの自己満足だと、小さく罵る。
「だから言ったろう、なんの言い訳にもならないと」
「なら話さない方がまだ良かった。どうして…全てあんたが悪いと思わせてくれない…。憎まれるつもりだったんだろ!?ならそれを貫けよ…。今更…」
「今更、お前を守りたかったなんて言うべきじゃなかったか。そうだな。悪かった」
 淡々と、冷静に詫びる燈陰に、朔夜の方が冷静ではいられなくなる。
 怒りが胸の内に渦巻く。
 言葉にならず、しかし納める事など出来る筈もなく。
 ふらつきながら立ち上がって、数歩離れただけの父親の元まで時間をかけて詰め寄った。
 拳を握る。
 燈陰はじっとそれを見ている。
 殴るつもりで振り上げた手を、
 降ろすことはできなかった。
「…なんでだよ…」
 己へと向けて絞り出す声。
 だらりと力なく下げられた腕。
 ただ、言葉の代わりに涙だけ。
 ぽろぽろと、溢れる気持ち。
「なんで…」
 燈陰は、そっと立ち上がって、朔夜の隣をすり抜け、扉へと向かった。
「なんであんたと俺が生き残ったんだよ…!?」
 苦渋の問い掛けに、燈陰は一瞬動きを止めて。
 そうだな、と聞こえるかどうかの声で返して、部屋を出て行った。



 




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