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月の蘇る
  9
   出立した時は秋の装いだった街は、今や青葉の繁る夏となった。
   宗温は北州に戻ってきた。
   国中を巡り、同志を集め、自分達の暮らしを守る為に都に攻め上る事を約束して回った。
   国への怒りに我慢ならず暴発する地方も多々あったが、余りに同時多発的に暴動が起こるので国軍と言えど鎮火し切れていない。お陰で刻々と国力は削られている。
   おまけに、戔にとって最大の財源であるのがこの北州だ。この街を反乱軍が本拠とし、守りを固めているのは国にとって大きな痛手だろう。
   北州へ入るのはもっと手間取るかと思っていたが、もう回せる兵が居ないのだろう。喧嘩程度に歩哨を斬るだけですんなりと入れた。
   逆に不気味でもあった。王は何を考えているのだろう。
   例の屋敷へと足を踏み入れる。
   扉を開けた瞬間、屋敷中に響き渡る金切り声に肝を潰した。
「なに考えてるのよ!!」
   姿を見ずとも判る。この声は於兎だ。
   扉を開けたままの格好で、このまま入るかどうしようか悩んでみる。
   彼女が何に対して怒っているのかは分からないが。
「あんたが死んで何になるのよ!?それで王子様が納得する訳ないでしょ!?」
   ちょっと話が穏やかではない。
   宗温は意を決して中へ入った。
   声は正面の階段を突き当たった部屋から聞こえてくる。
「殿下の事なら俺の方がよく知っている。お前にとやかく言われる事じゃない」
   もう一方の声は桧釐だ。
「言うわよ!それなら尚更、あの子が悲しむだけだもの!」
「悲しむ?あの人が?それなら嬉しいね。だが己のした事の報いだろうよ」
「こんな時に捻くれてる場合!?呆れた!もう好きにしなさいよ!一人で勝手に焼かれるなり煮られるなりしてきなさい!!」
   宗温は頬を掻いて間を稼ぎつつ、仕方ないから部屋の扉を開けた。
   白熱していた二人は驚いた顔で久々の顔を迎えた。
「お久しぶりです。帰ってきました」
   間が抜けざるを得ない挨拶である。
「…あ、宗温」
   こちらも間が抜けた桧釐の反応。
「無事の帰還は何よりだ。成果も上々だろ?毎日のように反乱の報告が来る」
   半分は皮肉なのだが、宗温はそれが皮肉になる訳を知らない。
「ええ。各地で反乱の気運は高まっています。その先駆けとなるべきこの北州が余りに静かなので何事かと思ってきたのですが…」
「静かか?ここに煩い女が一人居るだけで充分だろ?」
「はあっ!?何それ!?誰が煩くさせてると思ってるの!?私だってこんな事言いたかないわよ!」
「何が貴女にそれを言わせているのか、教えてくださいますか?」
   宗温は怒り心頭の神経を逆撫でしないように、柔らかく笑みながら丁重に問う。
   於兎はすぐさま、びしりと桧釐を指差した。
「この人の馬鹿な考えをどうにかして!」
   実に迷惑そうな顔をしながら桧釐は他所を向いている。
「と、言いますと」
   当然だが宗温には分からない。
「勝手に死ぬとか言っちゃってる意気地無しをどうにかしてよ!そんな人じゃ無かった筈でしょ!?」
「お前に俺の何が分かるんだよ?」
「ほら!それよそれ!それは王子様の台詞であって、それを叱咤するのがあなたでしょ!?」
   流石に桧釐は苦い顔で黙った。
   龍晶の甘ったれた考えに今まで散々手を焼いてきた自分が、同じ言葉を吐いている。
「事の発端は何なのです?」
   宗温が知りたいのはそこのみなのだが、なかなか辿り着けない。
「哥が攻めてくる」
   桧釐は端的に説明した。
   その一言で充分だった。
「そんな」
   嘘でしょう、と口走ってしまいそうになるのを何とか飲み込む。
   嘘ならどんなに良いか。
「お前ならどうする」
   ぶっきらぼうに桧釐は問うた。
   宗温は言い澱む。答えの出せる問いではない。
   蔑むような溜息で桧釐は背を向けた。答えが出る事は期待していない。
「一度この街を出ましょう」
   宗温は言った。咄嗟に答えを出していた。
   そうでなければ、彼は本当に自ら命を捨ててしまう。
「哥軍は壬邑から北州、そして都へと侵攻するつもりなのでしょう。ならば、通してしまえば良いのです。この街の人々を他の地方へ移し、我々も本拠を変え、待つべきです。哥と都が干戈を交え、互いに弱るのを」
「この街を捨てろと言うのか」
「いえ、一度離れるというだけの話です。必ず取り戻し帰ってくる」
「哥に好きなだけ荒らされた街を?それも取り戻せれば御の字だ。下手をすればここが戦場になる」
「それでも優先すべきは人命です!」
「今から何人死ぬと思ってんだよ!?戦を始めようっていうその口でよくそんな綺麗事吐かせるよな!」
   宗温が言葉に詰まった隙に、桧釐は扉に向かった。もう誰と何を話しても無駄だった。
「ちょっと待ちなさいよ!」
   於兎が一声叫んで駆け寄る。
   桧釐は足を止めようともしなかった。その腕を捕まえて。
「何言っても分からないお馬鹿さんなら単刀直入に言うわよ!王子様の代わりだとかそんなんじゃなく、私にとってあなた自身が大切だし、この人にとってもそうなの!だから死なせられない。あなた一人を犠牲にするような事なんて出来ない!」
   指さされた宗温は、一瞬きょとんとしたが、何とか同意している顔を保った。尤も桧釐の視界の外の事ではあるが。
   その桧釐は、足を止めていた。
   しかし咄嗟に言い返すべき言葉は奪われていた。
   於兎は更に言い募った。
「この人の言う通り、街はいつか取り戻せるわよ。あなたに戦う意志のある限り。だけど、あなたが都に行ってしまったら、私達はもうあなたを取り戻す事は出来ない。それは全ての終わりよ。多くの人が殺され、国は滅びていくだけ。違う?」
   本当は分かっているのだ。
   自分一人、下げた頭を斬られたところで何も変わらない。
   祖父の時とは状況が違う。一族数人の助命嘆願などではない。
   追い詰められたこの国をどうするかという問題なのだ。
「…殿下が無事なら良いが」
   桧釐は呟いていた。
   国の行末を考えるのは自分の柄ではない。それこそ、彼にやって貰わねば。
   しかし、哥に行っている筈なのにこの出兵だ。状況は厳しく、考えれば考えるほどに悪い予感しかない。
「そんなの…決まってるじゃない。朔夜が居るんだから」
   於兎の言葉に二人は俯く。
   悪魔となった姿を知っている者にとっては、朔夜が居るから不安が増すのだ。
「間に合わなかったのでしょうか。それとも、説得が無駄になった?」
「それなら最初からこんな無謀な事しなきゃ良かったのに」
   投槍気味な桧釐の言葉に於兎が眦を上げる。
「そんなのやってみないと分からないじゃない」
「ああ。賭けだったよ。多くの人命と国の命運を賭けた博打だ。そいつに負けたんだ、俺達は」
「まだ決まってないでしょう…!」
   怒る於兎が知れ切った続きを言う前に、桧釐はその手で彼女の口を塞いだ。
「俺はもう博打はしない。あんたの言う通り堅実な方を選ぶ事にした。一旦この街を離れて殿下の帰りを待つよ。あの人が生きてさえすれば、反撃はまだ出来る筈だ」
   口元に添えられた手を取り、於兎は頷いた。
「そうね。それが良いと思う」
   桧釐は於兎の手を両手に挟み、頷き返した。
   死をもって状況を打開する事など出来ない。生きてこそ、だ。
「問題は殿下の行方ですね…。我々では探す事も出来ぬしどうしたものか…」
   腕を組んで宗温が項垂れた時。
「そのことなんですけどね」
   突然聞き慣れた声と共に扉が開いた。
   一同が驚く間も無く皓照は彼らの中心に割って入り、また驚くべき事を告げ出した。
「龍晶殿下は哥軍と共にこちらにお帰りになっているそうですよ。今から迎えに行けば丁度良い頃合いですけどどうします?」
   三人共、咄嗟に言われた意味が分からず妙な間が空いた。
「藪から棒に何なんだ…。悪いがこっちは何も把握してない。もっと詳しく聞かせてくれ」
   桧釐が額を押さえながらぼやく。
   あぁ、と皓照は納得顔になって、どこかとぼけた苦笑いを浮かべた。
「こういう時に燕雷が居ないのは不便ですねえ。良いでしょう、何から話しますか?」
「哥の国境前から殿下に何があった」
「ああ、あなたの部下に置いてきぼりにされた後からですね」
   言い返したい事は色々あるがとりあえず頷く。
「あの後、哥に無事入れたようですよ。で、国王のお招きもあり交渉は成立したようです。それで今、軍の撤退命令を出す王直属の軍と共にこちらへ向かっています。詳しくは本人から聞いて下さいね」
   ざっくりとした説明過ぎるが事のあらましは理解した。
「哥軍は撤退するのか?」
   今一番重要なのはそこだ。
「ええ。嘘ではありませんよ?哥ではもう全国に国王名義のお触れが出ています」
「俺達は哥と戦わなくて良いのか…!?」
「え?戦うつもりでした?」
「いや…」
   そんな無茶なとばかりの小馬鹿にした笑みも気に触らない。
   嘘でも良い。誰かに言って欲しかった報せだ。
   あとはこの目で真実を見定めるだけ。
「桧釐殿」
   宗温が目に力を取り戻して頷きかけた。
   笑い返して桧釐はいつもの気楽さで言った。
「行くか、俺達の王子様を迎えに」

「俺が帰っても良い事無いだろ」
   ぽつりと溢れた呟きに周囲がぎょっとした。
   いよいよ翌朝には故国への道に通じる、そんな時に。
「またいきなりそんな爆弾発言を…。そんな訳無いだろ。って言うか帰らなくてどうする」
「知らねえよ。お前には関係ないだろ。放っておいてくれ」
   燕雷に反抗期真っ只中のような三段返しをした龍晶に、今度は黄浜がおずおずと進言する。
「しかし、北州では皆、殿下のお帰りを今や遅しと待っていますよ」
「役立たずだと見限ったのにか?そもそも、もう死んだと思われてるんじゃないか?彼らの報告によって」
   哥の手前で袂を分かった彼らは、恐らく龍晶は死んだものと考え北州に報告しているだろう。
   そんな彼らの待つ街へ戻るなど、幽鬼のように扱われるだけだ。
「でもさ、桧釐はお前のこと待ってるよな?」
   何の気なしに言った朔夜は、まじまじと顔を見られる。
「え?何?俺なんか変な事言った?」
「お前、あいつの事覚えてるのか?」
   龍晶の問いの意味が分からず、へ?と間抜けな声を出して口を開けたまま説明を待つ。
「あいつが北州に居る事、何故知っている?お前は出立した時まだ目覚めて無かったんだろ?」
「え、あ、そっか。でもほら、誰かが話してるのを聞いてそうなんだと思ってたし…桧釐がお前の側に居ないなら北州しか居所無いだろ」
「じゃあ、あいつがお前を歓迎しない事は?それどころか危険因子だと見做されている事、知っているのか」
「それはまあ、俺が力使えなくて役立たずの嘘つきで嫌われてはいたと思うけど」
「そうじゃない。それは記憶を無くす前の話だろ。桧釐と宗温はその後のお前をずっと見ていた。お前の危険さを骨身に染みて分かっている二人だ」
「あ…」
   龍晶の言わんとしている事が解り、朔夜は言葉を失った。
   悪魔と化したその過程を見ている二人。
   この帰還は、それ以来の再会という事になる。
   悪魔の再来とも言うべきか。
「だけどな、元に戻った事を知ればそいつらだって安心するだろ。そう深刻にならなくて良いんじゃないか?」
  燕雷の助け船に朔夜は顔を上げた。が、龍晶は険しい顔を崩さなかった。
「楽観なんか出来ないだろ。それに俺は、桧釐を騙してお前を連れて来た。お前を北州に置いて行ったら皓照に殺されるかも知れない、だけどあいつはそれも仕方ない…寧ろそうすべきと考えていたから」
「それは…」
   胸を抉る痛みは顔に出さぬように。
「俺自身、それが正解だって思う。だけど、そこまでして俺を連れ出してくれたお前には感謝してる。だから俺はお前の思うように動くよ。俺が北州に帰らない方が良いなら、このまま姿を消すから」
「それをしたいのは俺の方だな」
   疲れた、哀しい顔で笑って龍晶は言った。
「判断を任されても困る。俺はもう何も考えたくない。今から起こり得る事全て、何も見たくもないのに」
「龍晶…」
「俺は哥に行く事で現実逃避してたんだ。それは間違いない。どうして生きて戻れちまったかなって…本音はそうだよ。愚かだろ」
「それって…」
   皆の前で言っても良いものか迷ったが。
「王を…兄貴を敵にしたくないから?」
   龍晶は視線だけをくれてすぐに逸らし、また黙り込んだ。
   理由はそれ一つではない。有りすぎてそれを一つ一つ考えるのも嫌だった。
   漠然とした大きな不安と、理解される筈も無い絶望。
「でもお前は逃げ出す事もせず北州へ戻るんだろ?首根っこを掴まれた猫のようにさ」
   燕雷の言葉には苦さを噛み潰して頷くしかない。
「そんな士気も糞も無い状態で北州に戻るのは役立たず認定を助長させるだけで嫌だって事なんだろ?要は」
   過ぎる言葉に最早苦笑いを禁じ得ないが、胸中は見事に言い当てられた。
「しかし、殿下」
   黄浜が必死の顔付きで口を開いた。
   今聞いた事を咎められるに違いないと、龍晶は顔を見る事も出来なかった。
「殿下は既に大仕事を成し遂げられているではありませんか」
   予想と全く違う言葉に思わず見れなかった顔を見返す。
「哥との国交回復…それも、進軍を止めさせての和平交渉など、大手柄以外の何物でも無いでしょう?これで北州は命を繋いだのですよ。これで士気も上がりましょうし、勝利も同然ではないですか!」
「でも別に…俺の力で成した訳じゃ…」
「いいえ!間違いなく殿下のお力です!もっと胸を張って下さい!北州の皆はそんな殿下を心待ちにしているのですよ!」
   何も言えない主人の手を取り、黄浜は跪いて問うた。
「龍晶殿下、我々の民草の為に、戔へお帰り下さいますね?」
   薄く目を閉じ暫し逡巡し、開いた目を細め微笑して、龍晶は頷いた。

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