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月の蘇る
  10
   自分には絶対に危害を加えない、馴染みの面々を見て安堵した。安堵したと同時に恐怖が襲ってきた。
「おいおい、顔色真っ青だぞ。相当堪えたようだな」
   燕雷が笑う。昼間の一件の事を思っているらしい。
   違う、つい今し方の事。そう言いかけた自分を抑えた。
   言わない方が良い。
   咄嗟に決めていた。朔夜はまだ悪魔になる、それは隠しておいた方が良い。
   何故か。彼らに恐怖を与えてはいけないから。きっと悪魔が現れるのは自分の前だけだ。
   それに、そうと分かったら彼らは朔夜を排除しようとするかも知れない。皓照のように。
    少なくとも、この旅を共にする事は難しくなる。
   そうならないように。
   否。
   そんなものは全て建前の理由だ。
   本当は。
「そんなに震えて。こっち来いよ、暖かいぞ」
   燕雷が炉の傍で手招きする。
   素直にそれに従って、彼の隣に座った。
   炉を挟んだ向かいには孟逸。居るのはそれだけ。
「黄浜は?」
   訊くと、燕雷は肩を竦めて教えた。
「苴に残って貰った。ここから先、何が起こるか分からんからな」
「ここから…って、ここは哥の領内?」
「ああ。関所を越してすぐの村外れだ。旦沙那がここに連れて来てくれた」
「旦沙那!?」
   にやりと燕雷は笑った。
「良かったな。お前、裏切られた訳じゃ無さそうだぞ?」
「本当に…!?」
   信じられない。否、旦沙那が裏切るような男だとは今でも思っていないが。
   そこまで自分達に加担してくれることが信じられないのだ。何せ、彼の目的はもう果たされたのだから。
   故国に帰る。それが叶った以上、もう自由の身である筈なのに。
「彼は今どこに?」
   話がしたい。本意は何なのか。
「さて。言葉が通じないからよく分からんが、家に帰ると片言で言っていた」
「ああ…帰れたのか」
   それを龍晶自身も願っていた。だからこそ、彼らと共にここまで来たのだ。
   関所で別れを告げられた時にあっさり了承したのも、それが目的の一つでもあったから。
   良かったと心底思う。
   そして、家という言葉の暖かさを思い出し、己にとってそれは随分遠くなってしまったとも。
   遥かな旅路の果てに、待っていてくれる人は居るだろうか。
   血の繋がらない家族を想う。
   いつか、また、共に暮らしたい二人を。
「あいつ、いい奴だったんだな。知らなかった」
   燕雷の声に現実へと引き戻される。
「わざわざこの天幕を用意して待っててくれたんだと。本当に来るかも分からないお前を」
「待っていて…?」
   頷いて、炉に薪をくべながら。
「そういうような事を言ってた。詳しくは本人から聞いてくれ。朝には戻るそうだ」
「ああ」
   良い奴なのはよく知っている。だから、再会出来る事が嬉しい。
「お、だいぶ顔色が良くなったな」
   燕雷に言われ、ああ、と思い出す。
   矢張りこの旅の危険を告げねばならぬだろうか。彼らにこんな思いをさせぬ為にも。
   そう思いつつも、口から出たのは全く違う事だった。
「あとは都に向かうだけだが…孟逸はどう思う?哥は俺達の話を聞いてくれるだろうか?」
「さて…」
   突如話を振られて、彼は一度考え、それから応えた。
「一筋縄ではいかぬ事は確かでしょうな」
「まあ…そうだろうな」
「哥の王は己の許した数人としか面会せぬと聞いた事はありますが」
「そうなのか?…ああ、大臣が政を取り仕切っているのはそういう訳なのか」
「ああ、ご存知でしたか。王は人嫌い故とか、病床におられるとか、様々な噂はありますが、国交の無い遠き国の事ゆえ真相は分かりませぬ」
「この国の人でも真相なぞ分からんだろう。旦沙那が言っていた。王はともかく、大臣にさえ話が通れば良いと思うが」
「確かに。問題はどうやってそこに辿り着くかですな」
「何か、つてが有ると良いが…」
   そんなものは望めない。
   その為の鉄鉱石であり、捕虜の解放でもあったのだが。
「ま、何とかなるだろ。とりあえず都まで無事辿り着く事だ」
   燕雷の言葉に無駄に心臓が反応する。
   外見上は平静を装い、頷いた。
「そうだな。都まで、無事に」
   俺は隠そうとしている。
「朝まで時間もあるし、寝るか」
   燕雷が言って、各々が立ち上がった。
   人数分の寝台は用意してある。
「ああ、そうだ」
   燕雷が龍晶に掌に収まる程の包みを差し出した。
「この国の飯だ。小麦を丸めて焼いたものらしい。なかなかいけるぞ」
   受け取って包みを開く。素朴で香ばしい匂い。
「これを調達してたのか?」
「だって、腹は減るだろ?どんな時でもさ」
   笑って、寝台に向かう。
「食ったら寝ろよ?明日の為に」
   二人はさっさと毛布に包まった。
   龍晶もまた寝台に座り、受け取ったものを噛る。
   結局、今起きた事を告げる事は出来なかった。
   まだ悪魔は存在する。
   俺を殺す為に。
   だけど。
   恐々、朔夜の方を窺い見る。
   変わらず、眠っている。
   俺が本当に望むのは、あいつに殺される事じゃない。
   あいつに、不死の力を齎される事。
   死ぬ事は怖い。刃を向けられれば恐怖しかない。体は勝手に逃げてしまう。
   それでも、まだ。
   まだ、諦めてはいない。
   自分の為ではないから。
   諦める事など、出来ない。

   旦沙那は言葉通り、翌朝に現れた。
   信じていなかった訳ではない。ないが、実際その姿を目の当たりにすると、矢張り驚きと嬉しさが込み上げた。
『どうして…!?』
   問いに、彼はいつものように素っ気ない態度で答えた。
『やるべき事をやるだけだ。お前という厄介者に出会ってしまったからにはな』
  言葉には苦笑を返すより無いが、嬉しかった。
  この人は自分の理想を理解してくれている。
『そこだ。それがお前の甘さだ』
  急に叱責されて、きょとんと見返す。
『裏切り者が掌返しただけで嬉しがるんじゃない。子供じゃあるまいし。いや、子供でも普通もっと疑うだろう』
『誰にだってこういう態度を取る訳じゃない。お前だから』
   心底、呆れた顔で見下げられる。
『俺はあのままお前を見捨てても良いと思っていた』
『ああ。そうだろうな』
『故国にさえ戻れば良い、それも同胞をも無事に戻すのが俺の役目だと思っていたからな。その為には手段を選ぶつもりは無かった。…それでも恨むつもりは無いのか』
『無いね。お前の選択は当然だ』
   旦沙那は頭を抱える。
『全く、お前という奴は…』
   変わらない。
   初めて会った時、自分は命を捨てる代わりに、家族に会ってくれと言われたあの時から。
『だって、言ったろ。俺の願いはお前が国に帰る事だって』
   龍晶もまたあの時の事を思い出して言った。
『だから、嬉しいんだ。お前が無事に家に帰れて』
   旦沙那は言わんとした事を全て奪われて、暫く訝しげな顔をしていたが、一言罵った。
『本当に、お前は馬鹿だな。優し過ぎる馬鹿者だ』
   龍晶は鼻で笑い、はにかむような余韻を残した。
『さて、その家にお前を連れて行くとしよう』
   旦沙那が言い出した事は意外だった。
『え?』
『都に行くのだろう?そして城で大臣に直訴するのだろう?』
『そうだが…』
『ならば、都の我が家を拠点にしろと言っている』
『本当に…!?』
『一度裏切った罪滅ぼしにと思ったが、馬鹿者には必要無かったか』
『いや!罪滅ぼしは不要だが、好意には甘えたい!頼む!』
   旦沙那はにやりと笑う。
『簡単に頭を下げるな。足元掬われるぞ』
   燕雷と孟逸にその旨を説明し、残す問題は朔夜が目覚めるか否かのみとなった。
   その朔夜の様子を改めて見た燕雷が目を丸くした。
「傷、無くなってるな」
   龍晶は曖昧な返事を返す。その事は既に知っている。
「無くなるとは?」
   燕雷が龍晶の態度を問う前に、孟逸が興味を持って問うてきた。当然だろう。普通は理解出来ない事だ。
「ああ、こいつは月の光さえあれば一夜で深手も治る。ただ、昨日は月も無ければ、傷を治す力も残っていなかった筈なんだが…」
「月が無かった?」
   思わず問い返していたのは龍晶だった。
「ああ、昨日は曇天だったから治る物も治らんだろうと思ってここに入れていた」
「雲が切れて月が出てたんじゃないか?」
「そうだったかなぁ。覚えてるか?」
   孟逸に問う。彼も首を捻った。
「夜道が暗かったのは確かですが」
「ま、治ったならそれで良いだろ」
「…まぁ、な」
   妙な間が空いてしまう。
   月の効果で傷が治ったかが重要なのではない。
   月が無くとも悪魔は現れ得るのかが引っかかった。
   唯一とも言える、悪魔の回避法すら曖昧なものになってしまう。
「どうした、龍晶」
   燕雷に何か感付かれた。
「いや」
   言葉少なに逃げようとした時。
   むくりと朔夜が起き上がった。
   突然の事に皆が驚いた。
   特に龍晶は過剰なまでに身体が引いていた。
   横に置いていた食器類が派手な音を発てる。
「おい、大丈夫か。驚き過ぎだろ」
   燕雷が笑う。そして向き直って朔夜に問うた。
「おはよう。痛みは無いか?」
   朔夜は暫しぼんやりとした目付きで虚空を眺めていたが、徐々に意識がはっきりしてきたらしく、燕雷を見て大欠伸をかました。
「はは、寝惚け眼も良いところだな」
   笑っていられる燕雷が、龍晶には信じられない。理不尽だとは分かっているが。
「うーん…ここどこ?」
   やっと朔夜は人らしい言葉を発した。
「哥だよ。国境を超えたんだ」
   また妙な間を空けて、ああそっかと呟く。
   燕雷は頷いて続ける。
「今から都へ向かう。動けるか?」
「うん。問題無い」
「よし」
   それを証明するように、朔夜は床から出、身支度を整えだした。
   ふと、龍晶と目が合う。
   ぎくりとした。
   その表情に何かを察したのか、朔夜は訊いた。
「俺…何かした?」
   燕雷が鋭い目を向けた。
   孟逸は不思議そうに見てくる。
   龍晶は即答出来ずに目を背けた。
   傷が疼く。
   過去の傷が。
「何かあっても言わない」
   それは真実だ。
「それでお前がまたあんな顔するって分かりきった事だろ。だから絶対言わない」
   衝撃と罪悪感が綯交ぜになった、『あの顔』に近いそれを直視し、龍晶は告げてやった。
「もう、俺はお前と別れる気は無いから」
   目を見開いて、まるで雷にでも打たれたかのように。
   だが、その顔は今までの絶望感だけのそれではない。
   隠し切れない嬉しさが、口を開かせた。
「本当に良いのか?」
   龍晶は頷き、言った。
「俺の事、信じてくれるなら」
   朔夜が大きく頷いた。
   これまで無条件で人に受け入れられた事など、何度あるだろう。
   自分の命を危険に晒してまでも、共に居てくれる人。
   共に居たい人。
「俺、自分は信じられないけど、お前の事は絶対信じられる」
   朔夜の無垢な笑みと言葉に、龍晶はうっすら罪悪感を覚えた。
   自分の言葉はこんなに純粋ではない。
   利用しようとしている、それは間違いないのだから。
   でも、それは抜きで共に居たいのは確かで。
   そんな二人の関係と感情は、結局変わっていない。
   悪魔が神を殺す世界を望む?
   望んではならぬだろうか。
   例え正しくはなくとも、それで皆が笑って暮らせる未来があるのなら。


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