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月の蘇る
  9
   飛び交う矢に向かって駆け出す。
   身体を掠め、軽い傷になるものは構わず、ただただその根源へと向かった。
   怒りだろうか。友を傷付け、邪魔をする輩を排除せねばならぬという、義務感にも似た。
   相手にかける情などは一切消えているのは確かだ。
   龍晶を害する者は敵だった。
   矢は上から放たれている。上階へ登れる階段は見当たらない。探す間も無く朔夜は壁を蹴り登った。
   燭台を置く為の突起に掴まる。地面からは大人の身長を二人分合わせた程の高さがある。もう少しで矢の放たれる窓へ手が届く。
   しかしそれは敵にとって的が近付いたという事に過ぎない。目前の鏃がこちらを向いた。
   朔夜もまた敵の姿を目に入れた。それが重要だった。
   矢が放たれると同時だった。
   見えぬ刃は相手の喉元を掻き切り、至近距離から狙われた矢が朔夜の身を裂いた。
   別の箇所からも飛んでくる矢を避ける為にも、窓へと弾みを付けて飛び込む。
   足元には今絶命した屍が血を流している。その横へ倒れ込む。
   矢傷は心臓を何とか外す事は出来た。が、脇腹からどくどくと血が流れる。
   油断すれば意識が飛びそうだ。が、話はここからなのだ。寝る暇は無い。
   敵の足音を聞いて刀を掴み直す。身体を起こせば引き千切れそうな痛みが襲うが、顔を顰め呻きを噛み殺して立ち上がった。
   回廊の先から矢が飛んでくる。咄嗟に手近な柱まで走り身を隠す。傷口からまたどくどくと血が流れる。
   視界が明滅する。呼吸が浅くなり、動く気力が削がれてゆく。
   何かを頭から追い払うように首を振る。
   死ぬ事は問題ではない。敵に死を与えられるか否かしか考えるべき事は無い。
   目を閉じ、息を吸い、吐き出す。
   敵が近付く。
   二度目の呼吸。早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように。
   やるべき事は一つ。
   その為なら、手段は選ばない。
   足音はすぐそこまで来た。動かぬ的を窺っている。
   三度目、息を長く吐き出して。
   銀の刃が翻る。
   吹き出す血潮を浴びながら次の標的へ。
   過たず心臓を貫き、見えぬ刃は首を飛ばし、そうしている間に短刀が静脈を切り裂く。
   瞬く間に廊下は血の川と化す。
   間合いの向こうから弓を番える者もまた、見えぬ刃の餌食となる。
   目的など無い。
   やるべき事をやるだけ。
   それは、闘いではない。殺戮だ。
   全てを滅ぼすまで。

   一点を見詰め、全身を強張らせて、少し離れた物音にじっと耳を傾けている。
   聞きたい音ではない。誰もがそうだろう。人が死にゆく物音など。
「…俺が止めに行ったら聞き入れるだろうか」
   ぽつりと、堪り兼ねたように吐き出す。
「その前に俺は全力でお前を止めるけどな」
   返答に、龍晶は視線を上げ、暫し考え、また俯いた。
   止めても無駄どころか、危険過ぎる。その考え、否、感覚は変わらない。
   例えその相手が朔夜自身の意識であろうと。
   燕雷自身それで死にかけたのだ。不死の力でまだ生は繋げられたから良かったものの、龍晶の身に同じ事が起これば取り返しは付かないだろう。
   とは言え、この状況で何も出来ない辛さも理解出来る。
   傷を舐め合う意味は無いが、燕雷は一応言葉にしておいた。
「別に、お前の所為じゃないからな」
   あいつが悪い。そこまでは言わないが、そう思う。
   守るべき人を傷付けられた怒りに任せて、その本人を苦しめては何の意味も無い。
   あいつはそれがまだ理解出来ていない。
   詰るのは簡単だ。そうやって詰りながら、自分の責任から逃げる事が出来る。
   誰もがそうしてきた。だから悪魔は消えない。
   人間の弱さを嘲笑いながら、虫螻の如く殺してゆく。
   弱い者は消されてゆくのが自然の摂理なのだろう。悪魔はそれに従順なだけなのかもしれない。
   強くならねば、誰よりも危険なのは、朔夜自身だ。
   彼自身が消されない為に、何が出来るのか。
   守る事は出来るのか。
「止まった」
   孟逸が囁いた。
   悲惨な物音が消えた。息詰まる静寂。そして。
「朔夜」
   開かれた扉の向こうに立っている。
   両手に得物を握り、全身を赤く染めて。
   ふらふらと歩み寄ってくる。
   目は焦点を結んでいない。別の何かを見ているような。
   龍晶が立ち上がり、迎えようと近寄った。
「お前、その傷…」
   致命傷にもなり兼ねない矢傷に気付いた時。
「駄目だ!」
   燕雷が一声叫んで跳びかかり、龍晶を押し倒した。
   その場所を刃が走る。倒れた二人が見上げる先に、刀を再び振り上げる朔夜が居る。
   身動きすら出来ず覚悟した。
   が、次の瞬間、刃と刃がぶつかる高い音が響き渡り、二人の側に刀が落ちてきた。
   続いて、倒れてきた朔夜自身も。
「大丈夫ですか」
   朔夜の刀を弾き飛ばした孟逸が、己の刀を持ち替えながら器用に朔夜を支える。
「済まん、助かった」
   やっと座り直しながら燕雷は謝辞を述べた。
   孟逸はその場に朔夜を寝かせる。もう完全に意識が無い。
「かなりの深手に見えますが」
   上から傷口を窺い見ながら孟逸は言葉を途切れさせる。
「それでも無茶出来るのが悪魔たる由縁だ。あれはこいつの意思じゃない」
   説明しながら、半分は龍晶に向けて言っている。
   彼はまだ倒された体勢のまま、動けないでいる。
   きつく目を閉じ、喘ぎ震えながら、己の中の記憶と戦うように。
   殺されかけた恐怖は未だ心を切り裂く。
   忘れたくとも忘れられない、あの時の再来。
「孟逸、頼んでも良いか?」
   燕雷は倒れている二人と外の気配を窺いつつ口を開いた。
「黄浜を呼んで来て欲しい。このまま進んでしまおう」
   黄浜は建物の外で馬を連れて待っている。
「戻らなくとも良いのですか」
「同じ事を繰り返すだけだ。進むより無い」
「分かりました。行ってきます」
   孟逸は出入口の前で敵の有無を確認し、もう生きている者が居ないと見ると、来た道を戻って行った。
   孟逸は一度町に戻って体勢を立て直すべきだと考えたのだろう。それは当然の選択だ。
   だが、今を逃せばまたここに兵が送り込まれる。となると、無駄な犠牲を増やすだけだ。
   どさくさ紛れてという訳ではないが、この際国境を超えて哥の中に紛れてしまった方が、この先の目的を果たし易い。
   尤も、龍晶自身は進む気がまだ有るのか知らないが。
   二人を共に連れて行く事は可能だろうか。
   矢張り無理があったのか。当人達がどんなに望もうと、過去は消えない。
   過去だけならばともかく、悪魔自体もまだ消えてはいない。
   近くの屍に目を移す。
   皆、死なずとも良い命だった。
   それともこれが運命か。
   余計な考えだと気付いて自嘲する。どうも思考回路が龍晶に寄ってしまっている。
   その当人に目をやれば、震えは収まっている。精神の限界で気を失ったらしい。
   眠ってしまった方が幸せだよな、そう思った所へ近付く足音が耳に入った。
   孟逸が戻ってきたかと最初は思った。が、冷静に考えて早過ぎるし、方向が違う。
   足音の主は、哥の側から来る。
   すなわち、敵だ。
   刀を抜く。
   緊張が走る。
   自分一人ならともかく、意識の無い二人を守らねばならない。
   孟逸が戻って来るまで耐えねば。
   出入口まで音を立てず近付き、そっと敵を窺った。
   音が示す通り、一人でこちらに近づいてくる。
   一か八か、寄せ付けて斬りかかろうと決め、じっと待つ。
   が、近寄ってきたその姿を認め、その気が削がれた。
   思わず無防備に姿を晒す。相手も驚いた顔をしている。
   それは、この旅を計らずも同道してきた男だった。
「旦沙那か…?」
   言葉は通じぬし、用も無いのでこれまで話をした事も無かった。が、相手も顔を覚えていたらしい。
   頷くと、燕雷の持つ刀に目を移した。
「一人だな?」
   一応念押しする。裏切りの経緯は聞いているが、血を流し合う様な事態にはならないだろう。
   相手が肯定するのを見、燕雷は刀を収めた。
   旦沙那は室内の様子を目にし、問うた。
『死んでいるのか?』
   燕雷は眉を顰める。言葉が分からない。
   構わず、彼は龍晶へ近寄り、傍らに膝を着いた。
   自ら脈を取り、頷く。
   燕雷が呆気に取られているうちに、後ろから孟逸、そして馬を連れた黄浜がやって来た。
「あ…あの人は!」
   黄浜が驚きと憎悪で声を上げる。
   構わず、旦沙那は龍晶を抱え、彼らに告げた。
『匿ってやる。来い』

   仄暗い天幕の中。
   中央の炉の中で燃える火が唯一の光源であり、暖でもある。
   そして火の爆ぜる音と共に、朔夜が苦しげに魘される声しか音は無い。
   他の者の姿は無い。何処へ行ったのか、そもそも此処は何処なのか。
   時間は夜中だろうという感覚はある。
   それ以外は分からない。関所の中で気を失った事は分かるが、それから何があったのか。
   殺されかけた。
   朔夜に。或いは悪魔に。
   当初、いつかは起こる事だと覚悟していた筈なのに、すっかり忘れていた。
   すっかり元に戻った朔夜に油断していた。否、油断という言葉もおかしいだろう。悪いのは自分だ。
   殺される事が贖罪だと、この口で言っていたのに。
   ふうと息を吐く。己の情けなさは変わりそうに無い。
   ふと、あるべき音が一つ消えているのに気付き、視線を逸らした。
   そこに。
「やあ。久し振りだね王子様」
   目と鼻の先にある刃。
   それを凝視し、動けなくなった。
「って言っても俺はお前の事ずっと見てたけど。お前は俺の事、忘れちゃってたかな?」
   現実を理解し始めた身体が震え始める。
   それでも脳は理解を拒み、言葉が出てこない。
「寂しいねぇ。お互い数少ない友達なのにさ」
   悪魔は笑い混じりに言いながら、刀を持つ手を振り上げた。
   咄嗟に身体を丸め頭を抱える。何の防御にもならない。死ぬと思った。
   降ってきたのは、悪魔の笑い声だけ。
「死にたくない?そりゃそうだよなぁ。そうじゃないと不死になりたいなんざほざかないよなぁ」
   はっと顔を上げる。
   朔夜に語った事は、悪魔も聞いている事。
「馬鹿だなぁ。俺が思ってたよりずっと馬鹿だったよお前は」
   改めて、少し落ち着いて悪魔の姿を目に入れる。
   先刻まで朔夜を苦しめていた傷は消えていた。
「それともあれか。血は争えないって事か。お前の馬鹿な兄貴と一緒なんだな」
「どういう事だ…!?」
   やっと声が出た。
   にやりと悪魔は笑う。
「最愛の兄貴の事は気になるか。面白いなお前ら」
   言いながら、龍晶の寝台へ腰掛ける。
「お前の兄貴が今、一番望むもの、何だと思う?そ、お前と同じ。死にたくないんだって」
「不死を望んでいると…?」
「神様になるんだってさ。馬鹿通り越してるね。うん、呆れた」
   驚きは少なかった。同じ事を父が望んでいたのを知っていたから。
「だからさ、俺ちょっと揶揄ってやろうと思って嘘を教えたんだ」
「嘘?」
「最愛の弟の生き血を吸えば、不死になれるよってね」
   目を見開いて悪魔を直視する。
「信じたよ。お前の兄貴」
   ここまでの道中で引っかかっていた疑問が今初めて晴れた。
「だから…俺を殺さないように…」
「何やかんや丁重に扱って貰ったろ?あれ、俺のお陰」
   そんな嘘を信じたというのは疑わしいが、己が身が証明していたという事だ。
「さて、問題はお前だ」
   はっと、悪魔を見返す。
   殺意が、その目に宿っている。
「本気で不死を望むのか?ずっと死を願っていた、お前が」
   同じ事を、この悪魔も望んでいる、と。
   あの夜、知った。
「そうでもしなきゃ目的は果たせない…。お前には裏切りに聞こえるだろうが」
「裏切り?はぁ?こんな馬鹿と一緒になりたかないね」
「お前が戔を守ってくれるのか?」
「は?」
「俺の目的を、朔夜とお前に託しても良いって言うなら、俺は不死なんか望みはしない」
   まじまじと、悪魔に見返される。
   そして、弾かれたように笑いだした。
「やっぱ、面白いわ、お前」
   笑う余り涙を拭いながら。
「我儘王子様にも程があるだろ。何でだよ、俺ら戔に無関係なのに!」
「…そうだな。そうだよな」
   朔夜なら絶対に言わない事実だが、改めて悪魔に言われるまで忘れていた。
   朔夜は戔の騒動に巻き込んでいるだけだ。
「じゃあさ、王子様。俺がお前を不死にしてやるよ。嘘はお前にはつかない。本当にやってやる」
「…え…?」
「どうだ?お前、悪魔に魂売れるか?」
「それで不死になれると…?」
「そうだよ?お望み通り」
   龍晶は頷きかけた。その瞬間。
   振り下ろされた刃を咄嗟に避けた。
   目前に刃が止まり、すっと引かれた。
「やっぱり」
   悪魔が嘲笑いながら言う。
「死ぬ覚悟も無い癖に大口叩く。お前の悪い癖」
   止まりかけた息を吐き出し、龍晶は呟いた。
「死ななきゃ不死にはなれないって事か」
「お前にゃ一生無理そうだな」
   嬉しそうに言って、少し顔を上げる。
   何か物音を聞きつけたようだ。
   燕雷達が帰ってくる。
「一つだけ良いか?」
   寝台へ踵を返した悪魔に龍晶は問い掛けた。
「お前は皓照に拮抗し得るのか?」
「何言ってんの、お前」
   突かれたくない所を訊かれたのだろう、途端に不機嫌な顔をした。
「悪魔が神を殺す世界を望むのか?お前、俺以上に悪い奴なの?」
   天幕の布が捲り上がり、燕雷らが入ってきた。
   それに振り返って、また悪魔に視線を戻した時には、元通りに眠る朔夜が居るだけだった。

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