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月の蘇る
  8
   翌朝、鵬岷が待ち切れないという様子で龍晶の元に飛び込んできた。
   挨拶も忘れて、話したい事が溢れているとばかりに喋り出した。
「龍晶殿下の仰る通りでした!僕はここに来て本当に良かったです!」
   眉を顰める龍晶の言葉など待たず、少年は勢い込んで話す。
「川が溢れて街中水浸しで、お付きの人たちがみんな止めたんですけど、僕、膝まで浸かって歩いたんです!だって、街の人みんなそうしてるから!それで何してたかって、溺れた子馬をみんなで助けてたんですよ!子馬に、こうやって綱を掛けて、暴れないように支えながら、みんなで綱を引っ張って。僕も一緒に引っ張りました!それで、助かったんです!その子馬!」
   余りも必死に喋る様に、龍晶も苦笑いしながら頷く。
「それは良い事をなされました」
「それで僕気付きました!父上はこういう事が起こらないように、日々苦心していらっしゃるのだと!」
「治水ですか」
「そういう名前なんですか?僕はまだ何も分かってないのです」
   思わず龍晶は笑ってしまって、失礼と謝りながら言った。
「鵬岷様はまだまだ学ぶ事も多いのでしょうが、その為に必要な時もまだまだあるという事です。焦らず、民に目を向けた政を学ばれると良いでしょう。私は母に教えられました。人の上に立ち政をする者は、最も弱き者の為に働くのだと」
「最も弱き者の為に?」
「そうです。それが真の施政者の姿なのだと。尤も、私などがこのような差し出がまし口を利かずとも、貴方様は立派なお父上から学べば良いのですけれども」
「父上は殿下のお話を聞くよう僕に言われました。あと、もう一つ、伝言を頼まれてて」
「陛下から?」
   鵬岷は頷いて、王の伝言を口にした。
「次は暖かな牢を用意しておく故、いつでも参られよ、と言われました。僕は牢というのは悪い人が入れられるものだと思うのですが、違うのでしょうか?」
   龍晶は含み笑いして、幼い王子に教えた。
「私は以前にも牢に入れられた悪者です、王子。しかし再び貴国の牢に入れるのなら、有難い話です。くれぐれも陛下によろしくお伝え頂きたい」
「え?牢に入るのですか?なんで?え?」
   すっかり混乱している。
   流石に少し反省して龍晶は言い方を変えた。
「次は牢に入らずとも良いよう、反逆者ではなく、施政者として貴国に参れるよう精進します」
   やっと少し分かったような、しかしまだよく分からない顔をして、鵬岷は頷いた。
「楽しみにしています!それまで、どうかお気をつけて」
   龍晶は頷く。灌王はつまり、反乱が失敗した時、龍晶を匿う準備はあると伝えたのだ。
   それは皓照の意向だろうか。否、彼の頭には失敗など無いだろう。ならば、この親子が彼にそれを認めさせたと考える方が自然だ。
   全てはこの小さな王子の勇気と優しさから始まった事。
「貴方様を裏切らぬ為にも…必ず」
   固く手を握り合い、未来の王達は別れた。
   来るべき時に、光はあると信じて。

「お宅の殿下は何をお考えなのでしょうか」
   顔馴染みの男に問われて、燕雷は苦笑いするより無い。
「なんか勘違いされても仕方ないけど、俺は殿下なんて奴と家族になった覚えは無いぞ」
   至極尤もだがすっとぼけた返しに、相手は鼻の頭を掻いた。
「私のような若輩者にはあそこまで若い方のお心まで読めませんが、あなたのように老成されれば手に取るように分かるのでしょう」
「言ってる事滅茶苦茶だぞ、それ」
   気安く揶揄い合う事はとりあえず一旦置いておいて、燕雷は真面目に考える。
「哥に行きたいのは本当だろうよ。それは信じてやってくれ」
「体調面に不安があるのは分かりますが」
   孟逸は一度哥行きを断られた後に掌を返された事に不信を抱いたのだろう。それも仕方の無い話だ。
   自国の王の書状を託した以上、その存在が軽んじられているよう感じさせてしまっただろう。
「生きるか死ぬかの宣告をされて、精神的にも不安定になっているって所だ。何せ若いからな、大目に見てやって欲しい」
「齢は…?」
「大体八十くらいで細かい事は忘れた」
「いえ、あなたではなくて」
   失笑を買って、分かってるよと言いつつ燕雷は答える。
「十八になったんだっけか」
   朔夜と同じだから、と考える。
   そして染み染みと、彼らと出会ってからの月日を想う。
   本当に、若者と共に過ごす時は流れが早い。飽きる事が無い。
「先王が崩御して十年ほどでしたか。そう考えると、彼は何も知らないまま育ち、民を率いようとしているのですね」
   孟逸の見解に眉を上げ、柔らな笑いに変えて、燕雷は否定した。
「あいつはあいつなりに物事を見てきたよ。ある意味で、その辺の国の御曹司達よりもよく世の中を見てきた。望まない事もな」
   そしてじっと考え、視線を落としたまま、呟くように言った。
「俺は、あいつが治める戔なら戻っても良いかも知れんな」
   遠く離れた故郷の記憶を手繰り寄せるように。
   帰りたいと思った事は無い。ただ、そろそろ過去を清算し、今在るものの為に生きても良いんじゃないかと、そう思えた。
   龍晶の作る新たな国を見ながら。
「今はそれが可能かどうかという事ですが」
「実現させるさ」
   即答して、孟逸に向けにやりと笑う。
「どうだ?お前も一緒に。夢を見て生きるっていうのは、楽しいぞ」

「偉い人なのに付き合わせて良いのか?」
   歩きながらの朔夜の質問は尤もで、燕雷は肩を竦めて答えた。
「本人が良いって言ってるから良いだろ」
「自分が誘っておいて無責任だなぁ」
   これまた尤もな返しに口を閉ざす。
「良いんですよ。別に急いで帰る必要も無いし、陛下に書状の行方は報告せねばなりませんし」
   本人からの説明で朔夜は納得した。
「そっか。ちゃんと王様の書状が届くかどうかは見とかなきゃならないよな」
「それに、皓照殿にも報告を求められているので丁度良かったのです」
「皓照だと?」
   唯一馬上に在る龍晶が問い返す。
   剣呑な問いに対して、答えは穏やかなものだった。
「皆さんの行方を心配しておられますよ?様子を教えて欲しい、と」
「いつから人の心配するような、お優しい男になったんだあいつは」
   長年側に居た燕雷が苦笑いでぼやく。
「監視したいだけだろ」
   龍晶が吐き捨てた言葉を、燕雷はうーん、と考え言い直した。
「監視なら鳥野郎が居る。孟逸に頼んだのは、お前との関係を穏便に収めたいからじゃないか?」
「は?今更?」
「今更も何も、あいつはお前の事は買ってるだろ。お前もお前で皓照が不可欠だ」
   その点は龍晶も黙らざるを得ない。反乱に不可欠なのは間違いない。
「そんなに敵視しなくても良いと思うけどねえ」
   お前は、と燕雷は意味深に付け足した。
   朔夜と目を合わす。
   自分達は敵に回ったが、龍晶をそこに巻き込む訳にはいかない。
   何より、彼が不死を願う原因が皓照への敵対感情なのだとしたら、それを消さねばならない。
「お前達のような楽天家じゃないんでな、生憎」
   一蹴されてしまったがそれもその筈で、目前にはあの関所が聳え立っている。
「あれか。ご立派なもんだな」
   初見の燕雷は皮肉に口許を歪めて呟いた。
   朔夜は口を開けて巨大な建造物を見上げている。
「田舎者丸出しだな」
   半笑いで龍晶が揶揄うと、やっと自分の口に気付いて慌てて閉じ、言い返した。
「お前ん家よりでかいからだろ!」
「はぁ?人の城をこんな壁と一緒にするな」
   よく分からない言い合いをしながら門を潜り馬を止める。
   以前と同じように兵が出て来た。違うのは、最初から刀を抜いている事だ。
「穏やかじゃないな」
   口元は笑いながら、朔夜は馬を降りた。
『また来るとはな。今度は生きて帰れると思うなよ』
   龍晶に向けてお決まりの脅し文句が告げられる。
『その言葉、そっくりそのままお前達に返そう。刀を収めねば命の保証はし兼ねる』
   淡々と龍晶は兵達に宣言した。
   当然だが彼らは半笑いで聞く耳を持たない。
「朔夜」
   龍晶が呼ぶと同時の出来事だった。
   笑っていた兵達の顔が蒼褪め、持っていた刀が地面に落ちる。腕から流れる血と共に。
   その傍らには動いたとも見えぬのに朔夜の短刀が突き付けられていた。
『警告はした』
   高圧的に龍晶が兵に言う。
『一命が惜ければここで大人しくしていろ。邪魔をすれば容赦はしない』
   兵が必死で頷くのを見て、龍晶は刀を突き付ける朔夜に頷きかけた。
   朔夜も頷き返し、刀を離したが。
   その刃を翻し、鳩尾へとのめり込ませた。
   二人の兵が倒れる。
「おい!」
   驚いた龍晶が声を上げる。しかし朔夜は涼しい顔を崩さない。
「気絶させただけだよ。邪魔しない保証は無いし、ここで寝させてあげてた方がよっぽど親切だと思うよ?」
「…殺した訳じゃないんだな?」
「ないない。無駄な殺生はしませんって」
   手をひらひらさせて朔夜は笑う。
「それがお前だよな」
   龍晶は真顔で言って、先へと進んだ。
   建物の中に入る。今度は皆揃って。
   外の異変を察したのか、問答無用で切り掛かってきた敵を朔夜が一人斬り伏せ、別方向から来た者を孟逸が倒した。
「えっ、おじさん強いじゃん!」
   朔夜が嬉しそうに声を上げながら、また一人を斬る。
「あれ、言ってなかったか?この御方は元軍人だぞ?」
   燕雷の言葉に本人は笑いながら頷く。
「それよりおじさん言うな」
   龍晶が後ろでぼやくが聞かれる筈も無く。
   回廊の先に人の塊が見えた。
   それぞれ手に槍を持ち、切っ先をこちらに向けて構えている。槍衾だ。
   流石に一行は勢いを殺し立ち止まった。
「行けと言われれば行くけど」
   朔夜が誰にともなく問う。
   同じ状況は幾度となく経験している。力を使えば突破は可能だ。
   ただ、躊躇うのは、ここまで人命を奪わず来ているからだ。
   これは相手と和睦を結ぶ為の戦いだ。特に龍晶は何も言わないが、暗黙の了解の如く、相手の息の根を奪わぬ戦いをしてきた。
   力を使えばそれは保証出来ない。暴発し、想像だにしない悲劇を招く可能性もある。
「俺が話そう」
   龍晶が朔夜の真意を察して前に出た。
『俺達はここを通りたいだけだ。戦う事は目的ではない。況してや、諸君の命を奪う事は望外だ。強硬手段は使いたくない。槍を下ろして貰えまいか』
   隣同士で視線を交わし合う。動く気配は無い。
   この状況下で自分達が優勢だと確信しているのだ。当然だろう。
   龍晶は軽く溜息を吐いて朔夜に問うた。
「奴らを脅す事は出来るか?少し力を見せる事は」
   ん、と朔夜は頷く。そして僅かに刀を振った。
   敷き詰められた槍の穂先のうち、一本が急に折れ、地面に転がった。
   何が起きたのか、しかし確実に恐ろしい何かが起きている事は分かったのだろう。槍を持つ兵達はその穂先を息を詰めて見ている。
『これがこいつの力だ。次はお前達自身がそうなるぞ?』
  流石にぎょっとした顔を見せる。
  龍晶は押して告げた。
『俺達はここを通りたいだけだ。そこを空けてくれれば何もしない』
   明らかに動揺し、切っ先が揺れる。
   しかし動こうとはしない。誰かが先に退いてくれれば自分も、という空気。
   朔夜がすっと前に出た。
   槍の前まで歩み寄る。
   じりじりと兵は下がる。
   誰も、腕を伸ばせば突ける敵を攻めようとはしない。
   と、急に朔夜は手を伸ばし、槍の刃を素手で握った。
   咄嗟に突いてきた刃は、届く事なく柄を折られ地に落ち、兵達をまた慄かせた。
   握られた槍もまた柄が折られ、ぐるりと回して朔夜は刃を相手に向けた。
「もう良いだろ。退いてくれ」
   言葉が通じたとは思えないが、誰からともなく槍を捨て、道を空けた。
   朔夜は笑顔で兵らに頷き、堂々と道の真ん中を通る。一行もそれに続いた。
「良かった。無駄に血を流さずに済んで」
   後ろの龍晶へにこにこしながら言う。
「ああ、だが…」
   言いかけた時。
   空気を切る音。それに咄嗟に反応した朔夜が手を伸ばす。
   刀の先に僅かに触れた矢は、龍晶の肩を裂いた。
「大丈夫か!?」
   燕雷が叫び、龍晶を後ろへ押しやる。
   その間にも飛んできた矢を、朔夜は刀で叩き落とした。
「燕雷」
   刀を振りながら呼びかける朔夜の声は、妙に冷めていた。
「あと、頼むわ」
   言って、駆け出す。矢の飛んで来る方向に。
   燕雷は龍晶を抱えながら横にあった部屋の扉を蹴破り、そこへ入った。
   孟逸が朔夜の行方を目で追いながら二人に続く。
「大丈夫でしょうか?」
「あいつは大丈夫だ…と言うよりもう仕方ない」
   心配せねばならないのは敵の方だ。
   何よりも。
「また…こうなるか」
   龍晶が呟く。
   燕雷は黙ったまま、包帯を取り出し血の流れる龍晶の肩へ巻いた。
「俺はあいつを苦しめる事しか出来ないな」
   手早く包帯を縛り終えた燕雷は、一つ溜息を吐いて言った。
「お前の所為じゃない。これが、あいつの宿命だ」
   龍晶は黙って、まるでその宿命という二文字を睨むように。
   通路の向こうで、刀を振るう音、人の倒れる音、そして叫び。
   それらを飲み込み受け入れるように、目を閉じて。
「それでもやっぱりどうにか出来ないか…考えずには居られまいよ」
   燕雷の言葉に、龍晶は一つ、頷いた。

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