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月の蘇る
  5
   それからは襲撃される事も無く、国境近くの町まで辿り着いた。
   街道を堂々と歩いても、指さされる事は無い。兵の姿は見当たらない。ここは貿易の盛んな商人の街だ。
   街道沿いには大きな船が行き来出来るよう、運河が通してある。船は引っ切り無しに行き交い、荷降ろしの人々で賑わう。
「なんか国が違うみたいだな」
   物見遊山気分で朔夜が言う。龍晶も自国内とは言えここまで足を伸ばしたのは初めてで、頷く他は無い。
「ここらは灌に近い分、その影響が大きいだろうな。灌は勿論、苴との貿易の拠点にもなっている。この運河を辿れば国境だ」
   かつてこの地域一帯を統括する役所で働いていた燕雷が二人に説明した。
   船に積み込まれる金塊の輝きに、龍晶は暫し目を留めた。
   ここに来るまでに、あの金は、どれだけの人を蝕んだのだろう。
   その人々とは関係の無い所で、栄華の象徴として持て囃される。
   素知らぬ顔で金塊は異国へと旅立つ。
「どうした?」
   朔夜に問われ、何でもないとまた馬を進める。
   言った所で共感はして貰えぬだろう。
   人々が目の色を変えて欲しがるあの輝きは、自分には災厄の象徴に見える。
   それはそのまま金の装飾を纏い、金の玉座に座る兄や義母に重なるのだと気付いて、結局個人的感情に起因するのかと落胆した。
   矢張り誰にも共感して貰えそうに無い。
「お?龍晶あれ見ろ」
   燕雷が声を出して指差す方へ意識を向ける。
   知った顔が、こちらに気付いて走り寄ってきた。
「黄浜(コウヒン)!」
   先行隊に加わっていた北州の若者だ。
「殿下!お待ちしておりました!」
   龍晶の馬の横へ立って、黄浜は頭を下げた。
「待っていてくれたのか?皆は?」
「先に国境を越えている筈です。交易船に乗り、灌で待つ手筈です」
「成程。ならば我々も急ぎ後を追おう」
「それが…そうはならぬ事情がありまして。宿を取っておるのでお越し頂いて、そこで説明致します」
「分かった。案内を頼む」
   その事情を道々考えながら、そう遠くは無い宿へと入った。
   なかなか大きな宿で、二階の一室に通される。
   その部屋の、街道とは反対側の窓を黄浜は開け放った。
   見えるのは運河と並行して陸路で灌へと続く旧道。そこに。
「軍…?」
   軍勢が粛々と、列を成して進む。
   軍馬や、武器を乗せた荷車の数も多い。
「ここ三日間、この様子です」
   息を飲んでその行列を見下ろしていたが、こちらに気付かれてはまずいと思い直して窓を閉めた。
「まさか…」
   いつか脳裏をよぎった悪い予感が、今現実に目の前に現れている。
   黄浜が言った。
「三日前に灌の国境を越える事は禁止されました。先行隊は何とか間に合ったのですが、殿下にこの事を何としてもお知らせせねばとお待ちしておったのです」
「ああ…それはご苦労だった。恩に着る」
   確かに何も知らないまま進んでいれば、軍の手に落ちていただろう。
「しかし、難しい事になった」
   目下の問題は目的地に辿り着けない事だ。
「本当に戦の相手は灌なのか?戦する理由が無いように思えるけど」
   朔夜の問いに、龍晶は首を振った。
「兄は前から灌を欲しがっていた節がある。戔にはあそこまで肥沃な土地は少ないからな…」
「だけど、俺を取り引きする程だから関係は悪く無かったんだろ?」
「表面上はな。腹の中は分からない。事実、敵国だと思っていた繍ともこの国は繋がりがあった」
「そうなのか…!?」
   朔夜の顔色が変わる。龍晶は無言で頷いた。
「最初から繍を攻めるつもりは無く、お前はここに連れて来られたって事か。本当に嫌な国だ」
   燕雷が吐き捨てる。
   龍晶は何か諦めたように頷いて、面々に問うた。
「どうする?引き返す訳にもいかんだろう」
「迂回路を探すか。一度苴に入り灌を目指す」
   一番妥当だろうと思われる燕雷の提案に面々が頷きかけた時。
「残念ですけどね、苴との国境は援軍に駆け付けた繍軍が抑えてますよ」
   聞き慣れぬ声に朔夜は瞬時に刀を抜いていた。
「待て、朔」
   燕雷の声に止められてそれを振るう事は無かった。
   標的となった相手は、部屋の扉に寄り掛かって微笑んでいる。
「何だよお前!?」
   噛み付きそうな剣幕の朔夜をまあまあ、と往なして男は燕雷に言った。
「こういう時は共通の知人から紹介して貰った方が良いでしょ?頼むよ燕雷さん」
   鋭い目が燕雷に向けられる。彼は苦い顔をして告げた。
「玄の弓の構成員で名は溟琴(メイキン)という。斬り捨てる相手じゃないのは確かだが…」
   今や敵では無いとは言い切れない。
   燕雷は自ら溟琴に問うた。
「いつから後を尾けていたのか知らないが、姿を現したって事は何か言いたい事が有るんだろう?用件は何だ?」
   尾行されていたとは思わず、それに朔夜と龍晶は驚いた顔をしたが、更に驚くべき事を男は言った。
「皓照さんから伝言を頼まれてね。『灌軍の軍備が間に合わないので、代わりに朔夜君に戔軍を蹴散らして欲しいんです。そうしたら、とりあえず灌に入る事は許してあげますよ』ってね」
   わざわざ皓照の声真似をして伝えた溟琴に、渋い顔だけが向けられる。
「うわ、似てるかどうかくらいの評価は貰いたかったなぁ」
「巫山戯てろよ鳥野郎。それを本当に皓照が言ったのか」
「勿論。どうして僕がそんな嘘をつかなきゃいけないんですか。正真正銘の伝言ですよ」
   心外とばかりに反論して、あと、と付け加えた。
「鳥野郎ってのは辞めてくれって前々から言ってるでしょ」
「煩い。そんな一丁前な口叩くなら趣味の悪い尾行なんざやめろ」
「それは僕の仕事だもん。話の分からない人だなぁ」
「お前と俺とは超絶相性悪いんだ。胸糞悪いからさっさと失せてくれ」
「酷いなぁ」
   ここまで言われても笑いながら、溟琴は朔夜に近寄った。
「失せろって言われても、返事を貰わない事には失せられないからね?さてどうする朔夜君?」
「どうする…って…」
   答えなど問う前から決まっているだろうに。
「相手にするな、朔夜」
   きっぱりとした声で否定したのは、龍晶だった。
「その話じゃ一人で戔軍と闘えと言っているようなものだろう?そんな馬鹿な話があるか。もっと現実的に物を考えろよ」
   溟琴が初めて龍晶に目を向けた。何か面白い物でも見るように。
「こちらが戔の王子様?そりゃ、自軍が目の前で壊滅させられちゃ面白く無いでしょうとも」
「は?状況理解してから喋れよ。今の俺にとって戔軍は敵だ」
「本当に?あなたが王権を取った後、頼るのは同じ軍でしょう?」
「…何が言いたい」
「別に、当たり前の事ですよ。自国民は大事にしてあげて下さいね」
   確かに、軍を敵に回しているとは言え、その軍を構成する一人一人もまた守るべきこの国の民なのだ。
   解っている事だが切捨てたかった事実を、赤の他人に指摘されるのは良い気はしない。
   龍晶は舌打ち一つに苛立ちを収めて、話を戻した。
「とにかく、見る限り戔軍は百を下らない数が集まっているだろう?それを本気で朔夜一人に任せる気なのか?そんな事が可能とでも?」
「違いますよ、王子様」
   顔色一つ変えずに溟琴は言った。
「集まっているのは既に千に近い軍勢です。兄君は本気で灌を潰すつもりのようですな」
「ならば尚更だろう!」
   怒鳴って、怒りも隠さず龍晶は続けた。
「多少侵略されてでも、灌に軍備を急がせるのが筋だろう!それだけの軍勢をどうしてこいつ一人に相手させる!?皓照はこいつに死ねと言っているのか!?」
「そういう事だと思うよ?」
   さらっと肯定したのは、朔夜本人。
「だって最初から俺を殺す気だったし。ここまで泳がせたのはそういう意味だった訳だ。少しは物の役に立って死ねってね」
「お前な!」
「怒るなよ、龍晶。それが最善なんだから」
「何だよそれ!?何が良いものか!」
「俺が居なくなる。それが世の中にとって何よりなんだよ。皓照はそれを解ってる」
   淡々と言い切る朔夜に、龍晶は返す言葉を失い、代わりに壁を殴り付けた。
「頭冷やせって。言っとくけど、俺の心配ならするだけ無駄だぞ。こんなのいつもの事だから」
「千の軍勢を相手にする事がか!?」
「そりゃ、ま、ちょっといつもより多いかもだけどさ」
「だから!」
「どーどー。落ち着けって。やりようは有る筈だよ。一人なのはいつもだし、その方が俺もやり易い。何より、今ここで皓照と和解する事が何より重要だろう?俺達三人にとってさ」
   これは皓照から与えられた最初で最後の和解の機会だ。
   これを飲まねば灌に入る事も出来ない。無論、それはこの旅の目的が果たせない事でもあり、龍晶にとっては反乱の失敗を意味する。
   燕雷は皓照という相棒を失えば己の行き場が無くなる訳だし、朔夜とてあの男に命を狙われたままというのは全くもって拙い。
「だけどな…お前を失ってまで皓照と手を組み直すつもりは無いぞ」
   燕雷が龍晶も言いたいであろう事を口にした。
   朔夜は笑って首を振った。
「俺が死ぬ前提にするなって。いや、そもそも死んでも生き返るから大丈夫だってば。皓照は直接死ねって言ってる訳じゃない。ちょっと戔軍を蹴散らしてくれって言ってるだけだ。そんなの、皓照を敵に回すより何倍も容易い事だと思うけどね?」
   明るく言い放つ朔夜を、龍晶は睨み上げながら訊いた。
「…本当に大丈夫なんだな?」
   朔夜は頷く。
   実際、何も大丈夫とは言えないのだが。
「皓照に伝えてくれるか?俺はあんたの望む通りに動くよ、って」
「了解」
   溟琴は返事して、戸口に向かい、その前で回れ右して朔夜に言った。
「幸運を祈る…なんてね」
   するりと姿が消える。
「…いけ好かない野郎だな」
   龍晶が吐き捨てる。
「王子様がそんな汚い言葉使うなよ…とは思うが、その通りだ」
   燕雷が同調して、苦笑いを見せた。
「そうか?面白い奴だと思うけど」
   空気を読まない朔夜の発言に、龍晶は大仰に溜息を吐いて、頭を掻き毟り言った。
「知らねえぞ、どうなっても!」
「…本当に最近言葉遣い悪くなったよな。あれ?俺のせい?」
「朔夜!」
   はいぃっ、と子犬のような返事。
   怒る気が削がれて、また溜息にして吐き出した。
「ま、本当に怒鳴らなきゃならないのは皓照だ」
   燕雷が宥めるように言って、壁に背を預けて座った。
「良いのか朔。このまま奴の言う事を聞き続けていたら、自分の意に反しても逆らえなくなるやも知れん。その前に今ここで離反するのも一つの手だ。俺達の事なんか二の次に考えろ。自分の事は自分でどうにかする」
「それでも俺はこれが最善だと言い切れる」
「何故だ。回り道すればお前が本来立ち向かおうとしていた繍軍と対峙出来る。それでもこの無茶な道を選ぶのか」
「俺が殺したいのは桓梠だけだ」
   その名に龍晶は少し眉を上げたが、今は黙っておいた。
   朔夜が理由を続ける。
「回り道した所に桓梠が居るとしても、俺はそれを選ばない。今はそんな時じゃないから。龍晶、お前言っただろ。俺達は、多くの民を救う為に動いているんだって。お前の為に選ぶなって言われても、お前の背負ってる沢山の人の為に、俺は選ばなきゃならない。否、そうしたいんだ」
「お前には全く関係無い人々の為に?命賭けてまで?」
「お前の夢は命を賭けるだけの価値があると思うから」
   龍晶はふうと長く息を吐き、呟くように告げた。
「俺はお前を失えないよ」
   結局、その一点なのだ。
   その危険が、恐怖が、この話はあまりに大き過ぎる。
「大丈夫だよ。そんな事態にはならない。多分な、死んでもお前が待ってるって分かってたら早めに帰って来れるから」
「そんなもんなのか?」
「いつもは華耶が呼んでくれる。今度はお前が呼んでくれるだろうから」
「お前、本当はその娘に早く会いたくて焦ってるんだろ」
   思わぬ奇襲を受け、朔夜は目と口を開いて硬直した。そして顔を赤くしてぱくぱくと口を開閉させている。
   言った本人は苦笑いして冗談だと取り消した。
「ま、それも少なからず本心だろうよ。それで良いんだよ、俺のような爺いにとっては」
   燕雷が笑いながら言って、やれやれと伸びをした。
「だけどな、華耶ちゃんにはお前の無事の姿を見せてやらなきゃならない。俺はそう彼女に約束してるからな。だからまぁ、千騎に突っ込むのはお前の勝手でも、俺達はお前を死なさないよう連れ戻さなきゃならん」
   うー、と朔夜が言葉にならぬ唸り声を出す。
   そう言われると、自分一人で生きて死ぬのではない責任と、周りを巻き込む罪悪感に気付かされる。
   とにかく、言える案を言ってみる。
「…力尽きないうちに引き返して隠れれば良いだろ?」
「言うのは簡単だが。出来るのか」
「今までやって来なかった事も無い」
   条件が何もかも違うので断言は出来ないが。
   その不確かさを射殺すように、龍晶が睨みながら脅迫した。
「なら、必ず引き返せ。そうしなかったら俺が連れ戻しに行く」
「ええっ…ちょ、それは…」
「問答無用だ!お前が約束を守れば俺もそんな無茶はしない」
「えー…」
   止めてくれと言いたげに燕雷に視線を送るが、肩を竦めて彼は言った。
「仕方ないよな。俺達二人で死体の回収に向かわなきゃ」
「そうだけどぉ…!」
   確かに回収して貰わない事には生き返る事も出来ない。生き返るから大丈夫だなど、偉そうな事も言えない。
   朔夜は萎れた。
「分かったよ…擦り傷一つしないうちに帰れば良いんだろ…」
「擦り傷くらいはどうでも良いが、そういう事だ。生きて戻れ」
   ぴしゃりと龍晶に言われ、更に肩を落として小さくなった。
「黄浜」
   ずっと部屋の片隅に控えていた有能な同志を呼び、龍晶は頼んだ。
「宿の者に早めに飯を運んで貰えないか、頼んでくれるか?」
「畏まりました」
   返事一つで動き出す。どこかの誰かのようにごねないので気分が良い。
「何?疲れたから早く寝たいの?」
「違うわ馬鹿。お前が死なないように準備するんだよ」
「準備?」
   と言われても何が出来るのか、さっぱり見当が付かない。一つ思い付くとすれば。
「まさか、お前が稽古付けてくれる訳じゃないだろ?」
「な訳あるか」
   即座に否定。
「そうだよなぁ。俺が叩きのめす事になるもんなぁ」
   いろいろ言い返したい衝動を抑えて。
「下見だ。日が暮れたら行くぞ」
「へ?…ああ、でも何でお前が?」
   自分だけ見ておけば十分なのだが。
「前に下見と称して無茶をして半死状態で運ばれたのは何処のどいつだ?俺が居ればお前は無茶は出来ないだろう?」
「いや、あれは例外って奴だろ!たまたま力が使えなかったんだし、大体俺から仕掛けた訳じゃないし!」
   壬邑での話だ。あの時は下見に行った所、敵兵に見つかった。だから確かに自分から仕掛けた訳ではない。
   ただ、隙あらば単独で襲撃してやろうと考えてはいたので龍晶の言葉を否定し切れず、やや弱腰だ。
「無茶なんかしないし、馬鹿を二度も繰り返さないから。お前は居なくて大丈夫!って言うか自分の立場分かってんのかよ!?お前も何か言ってやれ燕雷!」
「ん?俺も行こうか?」
「違ーう!!そういう事じゃなくて!!」
「何言っても無駄だ。俺は行く。もう決めた」
「…この頑固者め…!」
   唸るくらいしか反撃出来ず、何も知らない宿の女将が夕食を運んできて、口喧嘩は時間切れにより龍晶の勝利となった。

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