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月の蘇る
  10
   朝。
   連日の野宿と、予定外の事態が続いた事で、流石に疲れもあり起床は随分遅くなった。
   もしも襲撃を受けていたら危なかったかも知れないが、幸いそういう事も無かった。
「あれだけ繰り返し構ってきてたのにな」
   朔夜がまだ寝床に座りながら欠伸混じりに言うと、先に起き出して朝食を用意していた燕雷が答えを返した。
「この社に居れば向こうも手出し出来ないだろうよ。神を畏れるのは軍人も同じだ」
「そんなものなのか?」
「この国の人間は案外信心深いんだ。俺は昔からどうもそういうのは苦手だが」
「俺も」
   燕雷とは少し意味合いは違うが朔夜も同意して、少し身体を伸ばして龍晶を覗き込んだ。
「具合悪そうだな」
   呼吸は荒く、小さく魘されている。
   手を額に乗せると、熱いのがはっきり分かる。
「無理は出来ないな」
「燕雷」
   改めて姿勢を正して。
「このまま旅を続けても良いんだろうか…と言うか、その意味が俺にはよく分からない」
「え?」
「犠牲者出してまで俺たちは何しに西へ向かっているんだ?次に犠牲が出るとしたら…こいつだと思う。それは避けたい」
   突然の異議に目を丸くしていた燕雷は、次第に納得した顔付きになった。
「ああ、そうか。お前にちゃんと説明してなかったな」
   成り行きでここまで来たが、朔夜は何も知らないままに同道してきただけだ。
「王子様は哥に行きたいそうだ」
「哥?戦をしてた、あの?」
「停戦を頼みに行くらしい。北州の連中が国に対して戦を仕掛けている間、横槍を入れられないように」
「…俺の知らないうちに色々あったんだな。ただ逃げてた訳じゃないんだ」
「追われて逃げてると思ってたのか」
「まあね。だって他に考えられないだろ。逃げてるだけなら逆に返り討ちにしてやろうかと思ったけど」
「残念ながら事態はもうちょっと複雑でな」
「もうちょっとなんてものじゃないよ。こいつが反乱を許すとは思わなかった」
   声色に軽蔑が混じる。
   あれだけ二人で戦にはしないと語り合ったのに。
「皓照の所為だ。あいつがけしかけたようなもんだろ」
「え?龍晶に反乱しろって?皓照は国に味方してるのかと思ってた」
「それは無いだろ。何でまた」
「だって、俺たちを殺そうとしてただろ?」
   目覚めた時の話だ。
   訳の分からないまま、皓照の襲撃を躱して逃げた。
「ああ…そういう訳じゃない」
   燕雷は頭を掻いて言葉を選ぶ。
「あれは、俺があいつの意に逆らったから」
「お前が?皓照に逆らって殺されかけるって…何したんだよ?」
   だから、それが言い辛いのだ。
   そんなもの何も知らない相手に伝わる筈も無く、燕雷は正直に白状した。尤も本人も知っておかねばならぬ話ではある。
「皓照はお前を消すつもりで居る」
   流石にこの告白には朔夜も言葉を失った。
   燕雷は続けた。
「そんな事はさせたくないし、何よりお前を失いたくは無いからな。あいつを騙す形でお前を連れ去った…が、見つかってあの様だ。お前があの瞬間目覚めてくれなきゃ二人揃って今頃あの世で遊んでたよ」
「…俺、お前と別れて地獄行きだと思うけどなぁ」
   取り敢えずすっとぼけて見せて、苦笑しながら腕を組んだ。
「皓照を敵に回しちまったのかよ…。俺の所為とは言え、厄介な事しちまったな」
「全くだ。お前の所為で」
「分かってるよ俺の所為だよ。にしてもさ、お前ほんっと…お人好しにも程があるって」
「お前の所為でお人好しにならざるを得なかったんだよ、悪かったな」
   互いに冗談混じりだが事態は冗談にならない。
   朔夜は顔を引攣らせて頭を抱えた。
「放っておいてくれれば良かったのに」
   悪いとは思いつつも、口に出してしまう。
「俺があいつに殺されても、俺の自業自得だよ。悪魔に憑かれた俺が悪いんだ。それで、このまま生きてても絶対に良い事にはならないんだ…。お前が巻き込まれる必要なんて無かった」
「そんな事は無いだろ!」
   当然だが怒りを込めて燕雷は返した。
「お前は悪魔じゃない!少なくとも、お前自身は!それに、目覚めてからは力を自由に使えるようになってるだろ!?それは良い事じゃないのか?それが出来れば、お前はお前の望むように生きられる、そうだろうが!?」
「…俺はまだ悪魔だよ」
   呟いて、頭に乗せていた手をぱたりと足の上に落として。
「こうしている今も、俺は俺である自信が無い。望むのは力を使える事じゃないんだ。こんな力なんて無い方が良い。誰ももう傷付けずに済むなら、俺自身が居なくなってしまいたい」
「朔」
「この力が有る限り繰り返すんだ。俺ごと消そうとする皓照は正しいよ」
   言い返す言葉を無くして燕雷は項垂れていた。
   当人にしか分からない。軽々しい言葉で踏み込む事は出来ない。
「…飯、焦げてない?」
   いきなり指摘されて、燕雷は我に返って鍋に向き合った。
   底が焦げ付いている。慌てて火から上げた。
「皓照も同じ事を思ってたのかもな」
   焦げていない部分を杓子で攫っていると、思いがけない事を言われた。
「あいつだって最初からあんな心臓に毛の生えたような性格してなかっただろうよ。多分、俺と同じように沢山失って後悔して…今に至ったんだと思う。だからこそ、中途半端で危険な俺が許せないんだろうな。この力は世の中に二つも要らない」
   一つだけでも危険だ。
   焦げの浮く粥の入った椀を朔夜に渡しながら、燕雷は言った。
「あいつは己の事を話す事も訊かれる事も酷く嫌う。そういう事情なんだろうな」
   朔夜は頷いて、椀の中身に苦笑いした。
「大事な食糧が…」
「お前がこんな時に重い話を始めるからだろ。これもお前の所為だ」
「全部俺の所為にされるのかよ」
   掬って口に運ぶとやっぱり苦い。
   文句は言わせて貰えそうにないので我慢して食べる。
「俺たちの事はともかくさ…龍晶はどうする気なんだろう」
「うん?」
「俺たち二人は皓照の敵に回った。でも、龍晶はそういう訳にはいかないだろ。反乱は皓照との協力が不可欠だ」
   反乱の決断に至った経緯は知らないが、それは皓照の力を持ってして為されたのだろう。
   だとすれば、龍晶が今自分たちと行動を共にするのは好ましくないのではないか。
「さてな。悪いが俺は王子様がどうしようが知った事じゃない」
   燕雷はさっぱりと切って捨てた。
   当然、朔夜は納得など出来ない。
「何だよそれ」
「俺はこの国の事に関わりたくは無いんだ。そもそも、ここへ来たのもお前を一刻でも早く灌へ連れ帰りたかったから」
「お前は灌へ帰るだけか」
「お前もだ。待っている人の事を忘れたとは言わせんぞ」
「それは…」
   言葉を濁して椀の中に視線を落とす。
   この椀の中に、いつでも思い出せる味があった。かつては。
「…忘れたのかも知れない」
「は?」
「なんか、変なんだ。昔の記憶がどんどん曖昧になってる…。梁巴の事も、華耶の事も…親の事だって」
「どういう事だ?」
「悪魔に乗っ取られて記憶を奪われちまった…そんな感覚なんだ。だから、悪いけど俺は今灌に収まろうとは思えない。それに、あれだけ皓照の息のかかった国で何事も無く過ごせる訳が無いだろ」
「それは、そうだが…」
「俺は龍晶の為に動くよ。共に行動するかはともかく、今はこいつを助けてやりたい。お前は俺と離れて灌に残った方が良い。皓照に許しを乞うてさ」
「勝手に俺の事まで決めるなよ、餓鬼が偉そうに」
「はあ?何十年と生きても賢明な判断が出来ないのは誰だよ?」
「お前まで皓照と同じ事を言う…」
   苦々しく呟いて、龍晶に視線を落とした。
「正しいかどうかは問題じゃない、そう言って俺は龍晶にお前を救い出す道を選ばせた。間違いだと分かっていても尚、この王子様はお前と共に生きたかったんだ」
「…龍晶が?」
「俺たちはお前を救うって利害が一致したから共に行動している。お前がそれは間違いだと言い張るのなら、この王子様を説得してやれ。絶対に聞き入れはしないだろうがな」
   俺を救う為に皓照を裏切った、そんな事は間違っていると言うのは簡単だ。
   だが、今からそれを正す方法など有るのだろうか。
   龍晶に自分を差し出させる?そんな案を彼が頷くとは思えない。
「なるようにしかならないよ。その上でお前が王子様の為に動くって言うのなら、それも有りだろ」
   事態は思っていた以上に込み入っている。
   ごちゃごちゃとした思考を溜息で一掃し、とにかく目下の心配に視点を戻した。
「食い物、どうにかしなきゃな」
   病人が居る以上、暫しここから動けないだろう。
「ま、まだ売って貰えないと決まった訳でも無いし。ちょっと今から里に行ってみよう」
   楽観的に燕雷が言って立ち上がる。
「お前は王子様の世話をしてやってくれ。どうせ今日中には出立出来ないだろうし、一日頑張ってみるよ。日暮れまでには戻る」
「ああ…うん」
   燕雷が出て行く。
   眠り続ける龍晶と二人取り残されると、この建物がいやにだだっ広く、寂しく感じられた。
   やる事も無いし、まぁいいかと寝そべる。
   目を閉じると、瞼の裏に浮かぶ。
   顔も忘れてしまった母を殺した、自分が。

   酷く喉が渇いて目が覚めた。
   まだ体は怠く、目を開ければ視界が歪むようだったが、寝続ける事も出来ず体を起こした。
   隣で朔夜が寝ている。燕雷は居ないようだ。
   不確かな足取りで立ち上がり、井戸らしきものを覗き込んで柄杓で水を掬い、飲んだ。
   当たり前だが見知らぬ場所だ。ただ、宿のようには見えない。
   手近にあった扉を開ける。予想していた廊下ではなく、広い板敷きの空間が現れた。
   その奥に御簾が掛かり、龍晶は更に奥の物に惹きつけられて足を進めた。
   御簾の前に座り込む。見上げると頭がくらくらとした。それでもやめられなかった。
   人の丈の二倍はあろうかという、神像だ。
   極彩色に彩られた女神は、手に鏡を掲げている。
   美しい顔は、忘れ得ない人に重なって見えた。
   結局、俺は殺してしまうのか。
   もう手遅れだろうか。しかし、何の通知も無く殺しては向こうも人質として今まで生かしてきた意味が無いだろう。
   これから己を制止する為の材料とするのだと考えられる。
   それが無いのなら、恐らく。
   もう既に、この世界には居ない。
   見上げる顔に涙が伝う。
   どの道、母を救える道は無い。
   まだ生かされていたとしても、己が決意したこの戦を止めてまで救う事は出来ないだろう。
   彼女を失えば、もう何を失っても同じだ。
   そして犠牲は増えてゆく。何も出来ないまま。
   丹緋螺のように。
「身体が冷えるぞ、王子様」
   背後から言葉と、毛布が背中に掛けられた。
「さっさと熱下げなきゃならないだろうが?こんな所で道草食らってる場合じゃないだろ」
「…悪かったな」
   精一杯の悪態で返す。
   朔夜は軽く笑って、隣に座った。
「神様なんだな」
   龍晶に倣って女神像を見上げ、朔夜は言った。
「太陽の神様か。俺はここに居るだけでバチが当たりそうだ」
「そんなに狭量じゃないだろ。神様って」
「どうかなあ。俺はそもそも神様って存在がよく分からないけど。俺は悪魔だから神様の慈悲ってものが貰えないのかな」
「貰えて当然だと思うなよ。それなら悪魔じゃない俺だって何も貰えていない」
「…そっか」
「お前自身が神そのものだろ」
   ゆっくりと朔夜は友に視線を落とし、じっと横顔を見つめ、果てに深い溜息を吐いた。
「やめてくれ。お前にはそんな事言われたくなかった」
   龍晶もちらりと横を見る。
   冗談混じりの言葉ではなく、真顔で落胆している。
「悪魔と呼ばれる事には甘んじて、神と称されるのはそんなに嫌か」
「嫌だね。昔っから嫌だった。悪魔と言われるのは実際それだけの罪を犯したから仕方ない。でも俺は、神じゃない。それだけは違う」
「あれだけの力を見せられて、人がお前を神と呼ぶのは当然だと思うが」
「神様は寂しいんだよ」
   神像を再び見上げながら、朔夜はぽつりと言った。
「俺を神と言って、人は俺を腫物にするんだ。俺も同じ人だと、そう思っていたかったのに」
   力を持つ者の孤独。
   それは想像に難くない。
「お前は人間だから良いよ、龍晶。お前の事を誰も知らない場所に行けば、お前は普通の人間として生きていけるもの」
   権力を持つ者の孤独とはまた違う。
   この身に宿る力を棄てる事が出来ない。生きている限り。
「…神とは力だ。人間にはどうする事も出来ない大きな力を神と呼ぶんだと、俺はそう思う」
   龍晶は淡々と説いた。
「お前の持つ力は実際神のような物だと思う。だけど、俺はお前が神だとは言わない。況してや悪魔だなんて思っちゃいない。朔夜という俺の友であるお前は、人間以外の何者でもないんだ。そうだろ?」
「…本当にそう思う?」
「こんなに餓鬼臭い神様なんて居ないだろ」
「おま…餓鬼言うなって何回言わせるんだよ」
   とは言え、それも随分久しぶりの事だ。
   龍晶は鼻で笑って、そして溜息混じりに言った。
「尤も、今俺は本当の神の力が欲しい」
   顔を顰めてこちらを見る朔夜に誤解されぬよう、理由を付け足した。
「もう誰の死も見たくないから」
「それって」
「その癖に俺は無力だ。なら、神に縋るしかない」
「そうと判っていて反乱を許したのかよ!?」
「許した訳じゃない。俺が決めた。そう望んだ事だ。…犠牲を出しても自分の望みを叶える、と。愚かだと罵れば良い。自覚はある」
「何だよそれ…」
   失望した声を出して、龍晶を睨んだ。
「何故だ?反乱にはさせないって話した事、全部嘘だったのか?」
「お前が俺を追い詰めたからだよ。追い詰められた故の暴発だ」
   流石に朔夜はそれについて言い返せない。
   自分が龍晶に何をしたのか記憶が無い中で追い詰められたと言われると、自分には何か言える権利は無い。
「悪い。それは理由にはならないな。お前の所為って訳じゃない。ただ、状況が…俺にそう決めさせる状況が揃ってしまったという事だ。俺は国に背く反逆者とされた上に北州に軍が送り込まれた…そこで皓照の力を目の当たりにし、この力が有れば軍と渡り合えると確信した。そうなるともう、国に噛み付くしか無かったんだよ。皓照という勝算はある。だけど、奴の力の大きさに比例して、犠牲は大きくなるだろう…そして俺は何も出来ない。最悪の指揮者だ」
「…今までのお前なら、それでも反逆者として一人で国に跪いていたと思うんだけど」
   朔夜は言い辛く返して、感情を込めず問うた。
「まだ他に理由は有るんだろ?そうでないと、お前がこんな決断をする筈がない。誰かの為にならない事はお前は絶対にしないから」
   龍晶は口を引き結び、膝を抱える腕の中に顔を落とした。
   そうやって聞こえるかどうかの声で答えた。
「俺の望みが皆の望みだと…それを信じて良かったのかどうか…」
   正しい筈だった。確信していた。
   それが、丹緋螺の死で揺らいだ。
   本当に、こうして誰かを死に急がせてまで望んでも良い事か?
   皆の望みだとしても、それは本音なのか?
   誰も、死んでまで望みを叶えたいとは思わない筈だ。
   その命を自分が握って良い筈が無い。寧ろ、自分が皆を冷静にさせねばならなかったのではないか。
   国に楯突いても犠牲を出すだけだと。
「じゃあ、どうしたいんだよお前は」
   責める口調で朔夜は問う。
「北州ではもう反乱の準備は進んでいるんだろう!?もう止められない。お前がいくら後悔したって、もう駄目なんだよ!」
「…どうしたいか?そんなの…俺はお前に殺される気でここまで来た」
「は…!?」
「全部投げ出して北州から逃げてきたんだ。お前を連れて。どの道、自分には先が無いって分かってるから」
   それが真意だったのか。
   全ての責任から逃れたいが為に。
「…最悪だな」
   判っている、頭の中でそう返す。
   だから先刻から自分で言っている。俺は最悪の指揮者だと。
   冷え切った空間に、だんだんと闇が落ち始める。
   燕雷がそろそろ帰る筈だが、と朔夜は思考を切り替えて扉の方を見た。
   その扉が、こんこんと鳴った。
   丁度良く帰ってきたかと、扉を開けるべくそちらへ向かう。
   しかしその向こうからの気配はとても一人のものでは無かった。
   眉を顰める。敵襲だろうか。
   とても敵が襲ってきたという雰囲気ではない。賑やかな話し声がする。
   念の為刀をいつでも抜ける態勢で、注意深く扉を開けた。
   その向こうに居たのは。
「よお、帰ったぞ。予想以上の収穫だ」
   破顔している燕雷と。
   大勢の、村人たち。
「俺たちに食い物は売れないけど、神へのお供えはしなくちゃならないってな」
   それぞれが手に食物を持っている。
   その彼らが社の中へ入り、まずは食物を神に捧げて祈り、それを後ろに居た龍晶の前に置いた。
「龍晶様、どうぞお上がり下さい。神に供えられた物ですから、きっと御加護がありますよ」
   皆がそれに倣う。
   無数の食物が並んでゆく。
   それを捧げられた当人は、信じられない顔で彼らを見るばかりで。
「龍晶」
   燕雷が声を掛けた。
「お前の大切な人達は、お前よりもはっきりと答えを出しているぜ?これがその証だろう」
   皆、彼がその供物を手に取る事を待ってじっと見つめている。
   それに気付けない龍晶の頭を朔夜は小突いて言ってやった。
「ここまで来たら信じろよ。信じてやるしか無いだろ。お前は出来る限りの最善を尽くすべきなんだよ。ほら、食え」
   麦や雑穀で握った飯を掴んで眼前に差し出す。
   空いた手で、もう一つ掴んで自らかぶり付いた。
「美味いぞ。ほら!」
   何を信じるのか。
   皆の望む未来を、この手で作り出せるかどうか。
   己の描く未来と、皆の夢見る未来は一致しているのか。
   否、そうだからこそ決めた。
   信じて良いのだ。
   彼らを。この一人一人を。
   きっと彼らは、己を指差して罪人だと言いはしない。そう、信頼すべきなのだ。
   例え裏切られても。
   恐々、握り飯を取って、口に運んだ。
   美味かった。彼らが汗して日々働き、その結晶として作り出した味だった。
   その暮らしを、絶えてはならぬ営みを、自分は守らねばならない。
「…有難う。皆の思い、受け取った」
   笑顔に囲まれて。
   流れてきた物を誤魔化す為に、握り飯に食らいついた。
   民の為に、そう言いながら、その民を信じていなかった。
   彼らは権力のある者に跪き、それを失った自分達を指差して罵り嘲笑うものだと、幼い頃からの経験の所為で無意識にそう恐れていた。
   そうではないのだと、自分は彼らに生かされ、信じ合って生きるべきなのだと、気付かされて。
   それは、とても温かい。
「お前、知らないうちに随分泣き虫になったな。よしよし」
   朔夜に冷やかされ、頭を手荒く撫でられる。
   だが、その手。
「ちょ…お前!今その手舐めてただろ!?そんな手で触るなよ汚い!!」
「え?あ?そんなとこよく見てるな」
「飯の付いた指を舐めまくってただろうが!!」
「悪い悪い、つい」
   笑いながらの顔は全然反省していない。
   周囲も笑いながら、何人かが動き出した。
「風呂焚きますから、それで洗って下され」
「ああ…悪い。恩に着る」
   村人に謝辞を述べながら悪戯小僧を睨む。
   が、悪戯小僧は全然堪えていなかった。
「洗うならいくら触っても良いな!」
「はっ!?はあぁ!?やめろ馬鹿ーっ!!」
   子供達がどたばたと戯れ合うのを、大人達が笑いながら見ている。
   燕雷も呆れ混じりに笑いながら、己の杞憂をそっと打ち消した。

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