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月の蘇る
  8
   月の光を頼りに道を進む。
   早く先行隊に追い付きたい。そして何よりこの戔を早く出たかった。
   どこに敵が居るのか分からない。
「国王の放った刺客?」
   燕雷が険しい顔をして聞き返す。
   痛みに顔を顰めつつ、龍晶は答えた。
「刺客と言うのも正確ではないが。敵は俺を無傷のまま捕らえるつもりだったようだ」
「そりゃ、弟を傷つけたりしたくないから」
「そんな訳無い」
   燕雷の口にしたごく一般的な考えを、即座に否定する。
「じゃあ他にどんな理由があるんだよ?」
「それが分からないと言っている。思い当たるとすれば、俺を衆目の前でより残虐な形で処刑する事だろうな。見せしめの為に」
「お前、そういう事ばかり考えなきゃならないのかよ。精神持たないぞ」
「お生憎様だが、既に壊れている自覚はある」
「あらそうかい。俺の前ではまともで居てくれ」
「知るか」
   ぶっきらぼうに断ち切って、ちらりと後ろの朔夜を窺い見る。
   目が合って、はっとした顔をし、逸らされた。
   引っかかる事があって振り返ったのだが、これでは益々引っかかる。
   何故、兄は俺を殺さないのか。
   悪魔が答えを口にしていた。
   ーー愛しているから?
   否。
   それは無い。悪魔の戯言だ。
   もしそうだとしたら、なんと歪みきった愛だろう。
   それを愛だと教えられるのなら、俺は誰にも触れる事は出来ない。
   誰も信じる事は出来ず、ただ独りの世界で死ぬまで過去の傷だけを抱え続けて。
   故に、悪魔の言葉なのだ。
   幸いにも本当の愛を覚えていたから、そこに陥らずに済んでいる。
   しかし、気に掛かるのはそれだけではない。
   『王様に嘘を吹き込んだ』
   悪魔はそう言っていた。
   その嘘が何かは分からない。が、この度重なる襲撃と関係が有りそうな気がする。
   俺を更なる生き地獄へ落とす為の嘘なのだ。
   だから、屍にして捕らえては意味が無い。
   その真相は、王に直接問い質さぬ限り判らぬだろう。朔夜が何も覚えていないのなら。
   だが、真相を知ってもどうなるものでもない。
   悪魔が何と言おうと、結局は兄の欲望に起因するのだ。
   俺を、見る影もなく壊したいという、欲望。
   分かっている。あの人が俺に向ける感情は、ただそれだけ。
   刃を向けねば壊される。
   それでも。
   空の手を延べ続けていたい、自分が居る。
「龍晶!?」
   朔夜の声が遠い。
   暗い道が、更に昏く、歪む。
   揺らいでいるのは世界ではなく、自分だ。
   あの、真っ暗な、嘲笑う眼の中に、
   堕ちるーー
『閣下!しっかり!』
   傾き、落馬しかけた龍晶の身体を丹緋螺が抱き止めた。
「大丈夫か!?」
   燕雷が問い掛けながら、制御の利かぬ龍晶の馬の手綱を取る。
   馬は止まったが、乗り手は完全に丹緋螺の腕の中へ。
「止まれるか?」
   燕雷は己の馬を止め下馬して、丹緋螺に問いながら彼らの許へ走り寄る。
   一旦片手で龍晶を抱え、手綱を引いて、丹緋螺は燕雷に力の無い身体を渡した。
   耳元で小さく、済まんと声がした。
   意識は有るようだ。
「朔、俺の馬を頼む。荷の中に毛布が有るから取ってくれるか」
「あ、うん」
   事態に硬直していた朔夜が呼ばれてやっと動く。止まっている燕雷の馬の手綱を取り引き寄せて、摘まれた荷物を探る。
   毛布と、馬二頭分の手綱を手に、三人の元へ。
「そこの草むらで野宿だな」
   燕雷が指示し、朔夜に毛布を敷かせて龍晶を寝かせる。
「野宿なんか…」
   震えながら龍晶が反論しかけたが、朔夜が持ってきたもう一枚の毛布を手荒く頭から掛けてきてそれは途切れた。
「寒そうだから俺のもやる」
   迷惑げに毛布の下から出てきた顔に言ってやる。
「無理して強行しない方が良い。朝まで休もう」
   笑いながら燕雷が言って、薪を集めに立った。
「違うって燕雷。こいつ王子様だから野宿なんか出来ないんだよ」
   朔夜が軽口を叩きつつ薪集めを手伝う。
   そいつは有り得るな、と燕雷が笑う。その声が離れてゆく。
   龍晶は傍らに留まってくれている丹緋螺を見上げた。
『助かった。礼を言う』
   落馬を防いでくれた礼は、目眩がして相手の影しか見えないまま。
『いえ…。閣下のお役に立てなきゃ、おいらお側に居れなくなっちまう。迷惑ばかりかけてしまって』
『迷惑?何が』
   思い当たらぬし、ただの謙遜だろうと聞き返せば。
『おいらは閣下をお守り出来ないどころか、おいらの為に殴られてしまって…。護衛失格です』
『ああ、あれか』
   襲撃された際、確かに護衛が護衛になっていなかった。そして彼を殺させない為に声を上げて敵に殴られたのも事実で。
   しかし、龍晶にしてみればそんな事で落ち込んでいる丹緋螺が可笑しいだけだ。
『そうだな、確かにお前は護衛にならないな』
『ええっ…!?』
   悲痛な声を上げる彼を笑い、そして済まなく思って、言ってやった。
『だが、そんな役割が無ければ、お前は俺の側に居たくないのか?それなら先に哥に帰ったって良い。俺はお前が居たいと思う場所に居てくれればそれで良いんだ』
   丹緋螺は眉根を寄せ、考え考え返した。
『おいら、賢くないから難しい事を言われると分からないんですけど…それって、おいらは閣下のお側に居ても良いって事ですか?』
『少なくとも、俺はそう望んでいる』
   ぱちくりぱちくりと瞬きを繰り返して。
   その意味を咀嚼し、ようよう飲み込んで、わあっと声を上げた。
   その嬉しそうな顔。
『本当ですか閣下!おいらはてっきり嫌われているとばかり思ってました』
   龍晶は片頬で苦笑した。その呼び名さえ何とかして貰えれば言う事は無い。
   苦情は今は噛み殺して、その笑顔に言ってやった。
『友は居るに越した事は無い。そうだろう?』
『おいらを友達と言ってくれるんですか!?』
『ああ』
   また更にうわぁ、と叫んで、勿体無い、勿体無いと繰り返している。
   喜ぶのは結構だが、そろそろ静かにして貰えないだろうかと龍晶は目を閉じた。瞼が重い。随分疲れている。
   視覚が遮られたぶん、他の感覚が鋭くなって気付いた。
   微かな地面の振動に。
   誰かが近くを歩いている。一人二人ではない。即ち、朔夜達ではない誰かが居る。
   はっと目を開く。
   丹緋螺はまだ気が付いていない。
『刀を』
   鋭く告げて、起き上がろうとしたが無理だった。最早体に力が入らない。
   丹緋螺は言われた意味が分からずきょとんとしている。
   説明する間は無かった。
   自分の守り刀を丹緋螺に押し付け、叫んだ。
『逃げろ!』
   周囲の物陰から、複数の人影が躍り出てこちらに襲いかかる。
   丹緋螺は受け取った刀を抜いた。しかし逃げようとはしなかった。
   敵は多い。咄嗟には数えられない程の数だ。
   丹緋螺は龍晶の前に立ちはだかり、敵を迎え討った。
『いいから逃げろ!』
   守りながら撃退できる敵ではない。丹緋螺が本当に腕の良い兵だったとしても、それは難しいだろう。
   最初の一人二人は何とか攻撃を躱した。が、すぐに増えた敵に囲まれた。
『丹緋螺!俺の事は放って逃げろ!早く!』
   何度も叫ぶ。が、彼は動かない。
   それより先に敵が動いた。
   直視出来なかった。思わず目を固く瞑って。
   嫌な音を聞いた。
   何が起きたのかは判っている、それでも、否だからこそ、目を開けられなかった。
   見てしまったら、それが現実になる。
   しかし見なければ。
   俺がこの現実から逃げてしまったら、誰が彼を救う?
   恐々、目を開けて。
   その思いがけぬ光景に、これが現実である事を疑った。
   夢であれば良かった。
   視界の中に、生ける者は居なかった。
「…朔夜」
   無意識に呟いていた。
   襲撃者全員を一瞬で、音も無く亡き者にした。そんな事が可能なのは一人しか居ない。
   背後で草を踏む音がした。
   体を震わせ、視軸をずらす。
「無事か」
   上から問われ、その声に眉を顰めた。
「お前は…」
   悪魔ではないのか。
   こんな力を、月の夜に。
   悪魔ならば自分も無事では済まない。だが、無事を問うのは間違いなく朔夜だ。
   それらの疑問を見透かしたのか、朔夜は薄く笑って未だ転がっている龍晶を見下ろした。
「俺だよ、龍晶」
   それが何を意味しているのか、それを考えるより先に、確かめねばならぬ事がある。
   痛む体を動かし、這うようにして、それに近寄った。
   朔夜も気付いて傍に跪いた。
   丹緋螺は、全身を血に染めて倒れていた。
   震える手を首筋に当てる。
   頼む、と念じながら。
   弱い脈動を見つけた。
「…生きている」
   朔夜を見上げる。
「生きている…まだ!」
   望みは繋がった。
   ほぼ、もう確信している。
   救える。必ず、生かせると。
「早く、朔夜…治療を!」
   朔夜は頷いて傷に手を当てた。
   目を閉じ、集中する。
   その間に燕雷も戻ってきた。
「一応周囲を探してみたが、もう誰も居ないようだ」
   報告に頷き、すぐに朔夜の手元に向き直る。
   燕雷も事態に気が付いて傍に立った。
   短いが長い沈黙。
   朔夜の手が浮いた。
   何の変化も無いまま。
「何だ…?」
   疑問を含んだ龍晶の目を、開いた目が見返す。
「駄目だ」
   あっさり告げて朔夜は立った。
   龍晶は、動けなかった。
「駄目…?」
   到底、納得など出来ない。
「何だよそれ…!?」
「駄目なんだよ。治せない。力が無くなった」
「は…!?」
   朔夜は荷物から毛布を引っ張り出すと、屍の無い方向へと歩き出した。
「全部力を使い切っちまったって事か?」
   燕雷の問いに、背中を向けたまま肩を竦める。
「だと良いんだけど。取り敢えず、寝なきゃ」
   言うなり、ごろりと横になった。
   龍晶は、丹緋螺の傍らで凍りついたまま。
「仕方無いな。朝まで待つより無い」
   燕雷が告げて、龍晶の肩を軽く叩く。
「俺が看てるから、お前は休め。持たないぞ」
   首を横に振る。視線は寝てしまった朔夜から離せないまま。
   失望と困惑が怒りに変わろうとしていた。
   それが理不尽なのは分かっている。自分勝手に期待していただけで。
「…朝まで持つ傷か?」
   それでも、問わずには居れなかった。
   丹緋螺の傷は深い。即死で無いのが不思議な程に。
「それは分からないな。だが、朝すぐに町に運び医者に診せた方が良いのは確かだ。そうなると、お前さんがせめて馬にしがみつくだけの体力が無いと困る。分かるな?」
   襲撃が龍晶に対してのものである以上、ここに留まらせる訳にはいかない。
   移動するからには、落馬しているようでは話にならない。
「この子の為を考えるのなら、お前は今は身体を休める事だ」
   龍晶は、歯を食い縛って激情に耐えた。
   そして頷いた。多くの抵抗に逆らって。
「よし。寒いがちょっと辛抱しろよ」
   言いながら立ち上がり、周囲から枯れ枝を掻き集め松明の火を移した。
   龍晶は毛布の中に戻り、頭からそれを被って呼吸を繰り返す。
   涙は際限無く頬を伝った。
   今はただ、このまま何事も無く朝が来る事を祈るしか無かった。
   極度の疲労の中で、薄っすらと夢を見た。
   いくつも転がる屍の中で、丹緋螺と共に倒れていた。
   兄の刃に斬り刻まれて。
   あの嘲笑で彼は言う。
   生き地獄を見せてやる、と。

   あまりの寒さで目が覚めた。
   目覚めて尚、強烈な倦怠感とも眠気ともつかない希薄な現実感で動かずに居た。
   目を開ければ、見たくもない光景が待っている。
「…どうだ?」
   声が聞こえてきた。燕雷だ。
「やっぱり駄目だ。…何でだろ」
   朔夜の応答。
「そういう事もあるだろ、仕方無いさ。町に行こう。医者に診せてみよう」
   何が起きているか、否応無く理解した。
   落胆と希望が同時に巻き起こる。その事実を確かめるべく目を開いた。
「…生きているんだな?」
   唐突に問われた二人は驚いた顔で振り向き、頷いた。
   それだけで十分だった。
   あの深手で朝まで持った。それだけでも奇跡なのだ。
   更なる奇跡を当然のように考えてはならない。
   まだ身体は痛むが何とか自力で起き上がって、二人に問う。
「行くんだろう?急ごう」
   また二人共、戸惑った顔をしながら頷いて動き出す。
   互いに問いたい事も言いたい事も飲み込んだまま。
   三人それぞれに騎乗し、丹緋螺は燕雷が抱えて出発した。
   馬上でしがみ付く事は出来た龍晶は、黙々と駒を進めた。
「龍晶」
   朔夜が馬を寄せて話し掛けた。
   実際、手綱にしがみ付いているだけで精一杯な龍晶は、目を合わせるでもなく相手の言葉を待った。
   それでもその次の言葉がなかなか出て来ず並走するばかりで、痺れを切らして言葉だけを向けた。
「何だ?」
   水を向けられて朔夜は歯切れ悪く問うてきた。
「その…何て言うか……怒ってる?」
「は?」
「治せなかった事、怒ってるのかなと思って」
   期待が外れた怒りは無いと言えば嘘になる。
   だがそれを表に出す程、子供ではない。
「俺が怒れば治るのか?無駄だろ。それよりどうして力が使えなくなった」
「…分からない。治癒だけが出来ないのは初めてだし…」
「前とは違うのか」
「うーん…。多分違う」
   壬邑の時は破壊も再生も、どの力も使えなかった。今回は破壊は意のままに出来る。
   子供の頃から治癒の力は自然に身に付いていた。再生可能な怪我ならば、思い通りに出来ないという事は無かった。
   それが、ぱたりと使えなくなった。
   原因も、思い当たる節も無い。
「他に何か以前と違う事は無いのか?」
   燕雷が横から問うてきた。
   少し考え、朔夜は答えた。
「もう分かってるとは思うけど、意識が飛ばなくなった。力を使っている時でも、確実に自分のままっていうのは初めてだと思う」
「ああ…確かに」
   龍晶は昨晩の光景を思い出して頷いた。
   あれは悪魔の所業だと思わされたが、違っていた。
   最初の晩の宿でもそうだった。
   やり口は悪魔のそれだが、そこに居るのは朔夜だ。
   問題は。
「それが何を意味しているかだ」
   龍晶の呟きに、燕雷も頷く。
「偶然そうなった、ってものでも無いだろうからな。何か理由はある気がするが…分からんな」
   朔夜は暫し口を噤み、それを口にすべきか迷い、そして風に攫われそうな声で考えを口にした。
「やっぱり俺は人に死を齎す悪魔なんだって事だよ」
   龍晶は、違うと言おうとして、言葉を喉に詰まらせたまま言う事が出来なかった。
   この傷の痛みは間違いなく、目の前に居る悪魔に死の際まで行かされた証で。
   その台詞は燕雷に任せようと思った。が、彼もまた黙したままだった。
   そのまま妙な間が開いた。
「朔」
   燕雷が明るい声で呼び、しかし有無を言わさぬ口調で告げた。
「この丘を下れば町がある筈だ。先に行って医者を探しておいてくれるか?」
「あ、うん。分かった」
   朔夜が馬を走らせる。
   見えなくなってから、燕雷は言った。
「今のあいつは…完全に元のあいつに戻った訳ではないような気がする」
「…え?」
「どこかが悪魔のままのような…そんな感じがするんだが…」
   慎重に選ばれた言葉に、耳を疑うより無かった。

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