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InuI 夢
溶ける




たっぷりの湯に浸かる。
全身から力が抜け意識がふわりと浮く。
そのまま溶けていくのではないかなと思いながら目を閉じる。



バタバタと音がする。
まだ目は開けたくない。


「陽音々!!」


彼の呼ぶ声が聞こえる。
その声が余りに切羽詰っていたものだから私はゆっくりと目を開けた。

「乾君。」

そこにはやけに焦った顔の乾君が居た。
何をしているのだろうこんな所で。
突然ドアを開けるものだから冷気が入ってきて少し寒い。

「乾君。」
「時計を見たら陽音々が風呂に入ってから2時間も経ってて吃驚した。」

ふと時計を見る。
どうやら湯船に浸かったまま寝ていたらしい。

「それはすまなかったね。吃驚させるつもりは無かったんだが。」
「いや、気付かなかった俺も悪いよ。陽音々が風呂に入って1時間しても出て来ない時は寝てるっての忘れてたんだ。」

心底安心したような顔で乾君はそのまま座り込んだ。

「濡れるよ。」
「平気。」
「じゃあもうあがる事にするから先に出てくれ。」
「了解。」

のろのろと腰を上げ風呂場から出て行く乾君。
湯気で曇った眼鏡でよく見えなかったけれど、なんだか疲れてる顔だった。

「珈琲でも入れてやるか。」

ざばざばと音をたてて風呂からあがりバスタオルで身体を拭く。
ジーパンまで履いたらなんだか暑くなって、タオルを肩に掛けてリビングへ戻った。

「よう。」
「なんて格好してるんだお前は。」
「シャツは着てるじゃないか。」
「じゃあせめて手に持ってるそのトレーナーも着て欲しかったものだな。」
「暑いんだよ。」
「湯当たりか?」
「それは知らん。」
「じゃあそうなんだろう。湯船の中で寝たりするからだ。」

そう言うと乾君がなんだかとても複雑な顔をした。
なんだろうと思っているとすたすたと乾君が歩いてくる。
そんなに広くも無いリビングだからあっと言う間に捕まった。

「大学の課題は終わったのかい?」
「そりゃあ2時間も経てば終わるよ。元々あと少しだったんだ。」

そう言うと、乾君は私を座らせて後ろにまわる。
私の髪から丁寧に水気を取っていく乾君はなんだかお母さんみたいだと思った。

「乾君はお母さんみたいだね。」
「陽音々の母親でもこんな事してくれたのか?」
「そりゃ昔はね。」

乾君は私の家の家族仲が悪い事を良く知っているのだ。



「さっき湯船の中でさ。」
「ん?」
「水に溶ける夢を見たよ。」
「そうか。」
「ふわふわ浮いてるんだけどさ、その内何もかも溶けて無くなっちゃう。そんな夢だったよ。」
「……。」

乾君が答えないから私は続けた。

「最初は何も掴めない感じが不安定で嫌なんだけど、途中からどうでも良くなるんだ。」
「自暴自棄になるんじゃあ無いんだよ。元々水に溶けてるのが当たり前みたいな感覚になるんだ。」
「だからきっとそのまま溶けていけたら、何もかも溶けてしまえば辛い事も悲しい事も無くなってしまうんじゃないかと思ったんだ。」
「陽音々。」

やっと乾君が返事をした。
さっきまで疲れていた顔が今度はやけに悲しそうに見えた。

「そんな事言うな。溶けるなんて言うな。」
「乾君。」
「もしそのまま陽音々が溶けてしまったら、」

乾君は辛そうだった。




「俺は一体どうすればいいんだ。」




珈琲の良い香りがリビングに広がる。
私は砂糖もミルクもたっぷり入っていないと飲めない。
飲めない事は無いけど胃に悪そうだからあんまり好きじゃない。
乾君は完全にブラックじゃないと飲めない。
飲めない事は無いんだろうけど甘ったるすぎるんだと思う。
私は読んでいた小説から顔を上げ、先程の夢の続きを考えた。

「乾君。」
「なんだ。」

パソコンのキーボードを打つ手を休め身体ごと振り向く。

「今思ったんだけど。」
「ああ。」
「溶けてしまえば良いんじゃないかと思ったんだ。」
「ああさっきの夢の話か。それで?」
「でもさ、溶けちゃったら乾君とは一緒には居られないね。」
「そうだろうな。」
「うんだからさ。」


「もし溶けて無くなりそうになったら乾君が網で掬って引き上げてよ。」





「そもそも陽音々の夢にどうやって俺が掬いに行くんだ。」
「それはさ、ほら、エスパー的な何かで。」
「無茶言うな。」

そう言って笑った乾君はやっぱりまだ疲れた顔をしていた。
けれどもう悲しそうな顔はしていなかった。
だから私も一緒に笑った。



きっと君は救ってくれる。



Fin.

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