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花泥棒と龍の笛4
飛影が音楽と縁遠いことを差し引いても、それはおよそ聞いたことのない類のものだった。
時に飛翔し、時にたゆたうようなメロディーは、口ずさめるようなキャッチーさを持ち合わせていない代わりに妙に耳に残る。
蔵馬は何かと対話をするかのように笛を歌わせ、空に放たれるような高音が長く伸びたその時――
花が、降り出した。
一度花を落とした梢も、後から後から蕾をつけてはまた花開き、地へと舞い落ちる。
花は全ての木から止めどなく零れ、二人の花泥棒たちの周りには瞬く間に桃色の芳香が満ちた。
曲が一区切りついたところで、蔵馬がそっと目を開けて笛を口から離す。
そして、まだはらはらと花を落としている木々を見上げるとゆっくりと微笑み、
「ありがとう…」
と囁いた。
花が降り止んだのを見届けると、もうひとつ笑顔になって飛影を振り返る。
蔵馬の佇まいに、紡がれた音色に、降り注ぐ花に、柄にもなく心を奪われていた飛影は、少々ばつの悪そうな顔で口を開いた。
「今のは何て曲なんだ」
「陵王。王らしからぬ美貌に生まれついてしまって、奇怪な仮面を着けて戦ったという人なんだって」
それを聞き、彼は地面へ敷き詰められた花を片手で弄びながら僅かに笑う。
「お前に誂え向きだな。見習うといい」
「嫌ですよ仮面なんて」
蔵馬は苦笑いと共に言うと、再び笛を口元へ運ぼうとする。
「おい」
咎めるように口を挟んだ飛影は、
「そいつにばかり口をつけるな」
そう言って笛を奪うと、あっと言う間に蔵馬を花の中へ沈める。
苦しいくらいの口付けと共に。
――……一曲聴かせろって、自分で言ったくせに。
熱く長い口付けを与えられながら、飛影のことが好きだ、と心底思う。
「…まだ王の登場シーンしか吹いてませんよ?」
尚も繰り返し降りてくる飛影の唇を、蔵馬はくすくす笑いながら迎える。
「これだけ手土産ができればもう十分だ。それに…」
飛影は取り上げた笛をちらと持ち上げ、拗ねたような顔になる。
「こいつにお前を盗られたような気がして、癪だ」
――笛相手に、何てことを言うんですか?
いつものように不器用な恋人をからかおうとして、蔵馬はあることに思い当たった。
――そうか…オレが何故この笛に興味を持ったか、飛影は知らない。
蔵馬は何度目かのキスをそっと人差し指で止めると言った。
「ね、この笛、龍笛っていうんですよ」
「龍?」
「そう。天と地上の間を游ぐ龍の鳴き声を表した楽器なんだって」
そうして、20センチほどの距離から自分を見下ろしている愛しい人の頬を両手で挟んで引き寄せ、ゆっくりと口付けた。
「二つの世界を往き来する龍って…まるであなたみたいでしょう?」
深い色の瞳を細め、にっこりとしながらそんなことを言う。
「…馬鹿だな、お前は」
飛影は身体を反転させて蔵馬の下に回り込むと、その頭をぐいと胸に抱える。
自分の顔が見えない位置に蔵馬をしまい込むのは、照れた時の飛影の癖だった。
「少し昼寝でもしたら、帰るか」
顔を埋め慣れた胸板に向かって、蔵馬はもぐもぐと答える。
「そうですよ、あなたは早めに戻った方が…」
「そうじゃない、"地上"へ帰ると言ったんだ」
その意外な一言を聞いて、弾かれたように蔵馬の首が持ち上がる。
「だって、まだ用は済んでないんでしょう?」
「いいさ。オレに花摘みなんぞさせるのが悪い」
そして、蔵馬の頭をぎゅっと元の位置に戻すと、独り言のように言った。
「…それに、三日ぶりにお前に会ったら、もっと触れていたくなった」
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