呼ぶ、名
「ねぇ、右目の旦那?」
「何だ」
小一時間以上変わることない格好で、山積みの書類を片付ける恋人の背に声をかけると、なんの抑揚もない低い返事が返ってきた。
「俺様ったらひ、」
「暇、なんて言いやがったら即刻部屋から叩き出す」
「ひ、ひっで」
「酷い、なんて言いやがっても叩き出す」
「んな!?…じゃあいいよ、俺様もう帰」
「帰る、なんて言ったら…叩っ切る」
「扱い酷!!じゃあ一体どうしろって言うのさ」
「大人しく待ってろ。もう少しで終わる」
それ、半刻前にも聞いたんだけど。
三ヶ月ぶりの逢瀬だってのに、あんまりじゃないの?これ。
そんな書類なんて見ても見なくても一緒じゃないの!!
俺だったら、うん。10分もかからない。
とは言っても、他国所属の忍である俺にはどうすることも出来ないし。
ここは言われた通りに待ってるしかなかった。
…それにしても、暇、だなぁ。
辺りをキョロキョロしてみたり、窓から鳥や雲を眺めたり、忍び道具の点検をしてみたり、
もう出来る限りの暇潰しをやり尽くした俺は途方に暮れて、ゴロリと畳の上に仰向けに寝転んだ。
そのまま首だけを、相も変わらず書類に向かう竜の右目に向けた。
書類に向けられた真剣なまなざしは戦場の彼を思い出し、心臓が高鳴りを上げる。
そういえば、彼を初めて見たのは戦場だった。
戦場に似合いすぎる強面の顔に驚いたのは最初だけ。
次に流れるような美しい太刀筋、翻る衣に目を奪われた。
そのせいで俺様らしくもなく怪我しちゃって、ホントお馬鹿さんだよなぁ…。
あ、思い出したら恥ずかしくなってきた。
その思い出を一蹴するかのように頭を振り、今だ政務を続ける大きな背に視線を移す。
「右目の旦那ー」
「何だ」
「まだー?」
「まだ少しかかる」
ふーん、と素っ気なく返事を返すが、ゆうに数刻は待っている為、内心かなりムカムカしていた。
せっかく久しぶりに右目の旦那に会えたのにさ。
とたんに悲しくなってきた気持ちを誤魔化す為に、色々な事に思案を傾けていると、そういえば、自分は右目の旦那の事を『右目の旦那』としか呼んでいない事に気付く。
なんでか恋人同士になったって言うのに、本名に掠りもしていない名を呼ぶってのは恋人にしては如何なものだろうか?…変、かな?
うん、変だよね。
一人で悶々と悩むと、変な事を考え出してしまうからいけない。
ちらりと右目の旦那を見上げると、やっぱり書類に真剣なまなざしを向けていた。
…気になる。
恋人同士ってどんな風に呼び合うものなのか。
…聞きたい。
でも、聞けない。怒られそうだし。
やっぱり名前?
呼び捨てはマズいよね。
…小声だったらいいかな。
ひと通り考え終えた俺は、普通だったら聞き取れないような本当に小さい声で、
「…小十郎さん?」
と口に出してみた。
刹那、グシャ、バキリ。と紙がひしゃげ、筆が握り潰されたような音が聞こえた。
音の出た方向を見れば、ひしゃげた書類に潰された筆を手に固まっている右目の旦那の姿。
俺の言葉が聞こえたのかもと思ったが、実際にはほとんど声は出ていないし、普通の人には息を吐き出したくらいにしか聞こえないはず。
どうしたの?と聞けば、「いや…気のせいか、疲れたのかもしれんな…」
と、右目の旦那は独り言のようにブツブツと答えた後、新しい筆を取り出して、再び書類に向かう。
気のせいとか疲れだとか言ってたし、大丈夫、かな。
?あれ?
…右目の旦那の耳がほんのり赤く染まっている。
まさか、か、風邪とか?
風邪なんて辛くて苦しいだけなのに。
それに、右目の旦那が風邪なんて、俺様絶対に嫌だ!!
「こ、小十郎さん!?だ大丈…」
バキリ、グシャ、バリ、ドゴンッ
机がヘコみ、筆が潰され、書類が破れ落ち、ヘコんだ机に頭のような固い物を打ち付けたような…、例えるならまるでそんな音がさっきより遥かに派手になって聞こえてきた。
ビックリしながらも目を向けるとそこには、ヘコんだ机と、左手に潰れた筆を握り、周囲には書類のかけらが散らばって、机に頭突きをしてる状態で固まった小十郎さんの姿があった。
一体どうしたのか俺らしくもなくオロオロしていると、固まったままの小十郎さんが俺に声をかける。
「…猿飛」
「へ?な、何?」
「…いや、佐助」
「っ!?な、なな何っ」
恐らく初めて呼ばれたであろう自分の名前。
いつものように名字ではなく、名前。
恋人の口から紡がれた自分の名前を聞いた瞬間、背筋に小さな雷みたいな衝撃が走って身体から力が抜けてしまった。
ちょ、何コレ何コレ何コレぇえ!!
小十郎さん一体何したのさぁ!!
問い詰めてやろうと俺が口を開くよりも早く、小十郎さんがまた佐助、と俺を呼んで、机に突っ伏していた頭を上げた。
「な、何?」
「…名前」
「え?」
訳が分からずにきょとんとしていると、小十郎さんは少しだけ間を置いて、何故いきなり名前を呼んだのか、と俺に尋ねた。
「そ、それは…」
恋人同士の名前の呼び方が気になっただなんて、そんなこと恥ずかしくて言えるわけない。
なんと答えるべきかと思案していると、それに痺れを切らしたのか、小十郎さんは再び言葉を続ける。
「理由は言いたくない、か?まあそれもいいが…佐助」
「は、はひぃ!?」
まただ。
またなんとも言えない衝撃が身体に走る。
「佐助」なんて、真田の旦那や大将に毎日のように呼ばれているのに。
まるで違う響きに聞こえる。
「佐助。これからはこう呼ぶからな」
「な、何をいきなり…」
呼ばれるたびに毎回こんな思いをするなんて冗談じゃない。
「だからお前も俺を名前で呼べ、さっきみたいにな。それと…」
ホントに冗談じゃないよ…全く。
『試しに呼んでみろ』
恋人にそう言われて約半刻。
政務室を兼ねた小十郎さんの私室の中央で二人で向かい合って正座している様子は他人には見られたくない。
「ねえ…やっぱり呼ばないと、駄目?」
「呼びたくないのか?」
「いや、そのなんていうか…。あ、仕事はしなくていいの?」
「もう終わった」
「あ、そう…」
さっきから何回こんな会話を繰り返しただろうか。
ふいに伏せた目線を上げると、俺を見続けていたであろう切れ長で鋭い目と目が合った。
慌てて自分の膝に置いた手に視線をずらしたが、心臓が高鳴るのは抑えられない。
…それよりも問題なのは。
ふいに上げた視線が合うなんて、相手が目を逸らすことなく自分を見つめていたということで。
…うわ、どーしよ、俺様ったら今、絶対に顔赤い。
これではますます名前を呼ぶどころでは無い。
さっき呼んだのだって、小十郎さんが風邪なんて大変だと思って、思わず呼んでしまっただけなのに。
どうしようもなくなって拳を固く握り、目を固く閉じていると、
「…佐助」
と、今まで以上に優しく自分の名を呼ぶ声に、赤くなっているであろう顔を小十郎さんに向けてしまった。
「あ…」
「…俺だってな」
恥ずかしいんだぞ。と言う強面の男は、いつもより顔をほんのり赤く染めて、ポツリとそう言った。
「…そう、だよね」
「ああ…」
自分がこんなに恥ずかしいなら、小十郎さんだって少なからず恥ずかしいのかも。
自分の事ばかり考え、ようやくそれが分かった俺は、意を決して口を開いた。
end.
2009.9.20 柑奈
→後書き・オマケ
初、小十佐小説はいかがだったでしょうか?
…聞かなくても分かります。完全な駄作になってしまいました…。
違いの名前を呼んで恥ずかしがる二人が書きたかっただけなのに無駄に長いし!!表現ヘンテコだし!!
力不足ですね…。次は頑張ります!
→オマケ
「Hey,小十郎ー、ちょっといい…」
適当に声をかけて返答も聞かずにふすまを開ける。
そこで、しまった、また小十郎に礼儀がなってないだのうるさい小言を聞かされると考えたのは一瞬だった。
最初に目に入ったのは天井に向かって物凄い早さで移動する迷彩柄らしき緑色の人影と、部屋の中央で微動だにせず正座した小十郎だった。
「今の…真田の忍か?名は確か猿飛…、Hey,小十郎、なにstopしてんだよ」
「…もう少しだったんだ…」
「あ?」
「…政宗様、この小十郎の至福の時間をあと一歩という所で邪魔をなさるという事は、もちろん覚悟は出来てるんでしょうね…?」
そう言われて訳も分からず部下にボコボコにされ、今度からは返答を聞いてから部屋に入ろうと心に誓ったのだった。
「小言のほうが、マシ、だった、ぜ…」
そう言って力尽きた竜が居たことを、逃げ去るように甲斐に戻る忍は知るよしもない。
オマケend.
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