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いちばん近い平行線上に立っているのでした(ヒル魔さんとお姉ちゃん)





帰ったら姉がソファにもたれて本を読んでいた。この女はテレビが嫌いなので、余程のことがない限りリビングのテレビの電源は入らない。ゲームするときぐらいだ。


「おかえり」
「おー」
「ごはんは?」
「食ってきた」
「あっそ」

絨毯に直接座り込んでる横に立って、手元の本を覗き込んだ。なにかの小説のようだった。コーヒーいれるから着替えてきな、と姉が言った。俺は姉の言うことはわりと聞き入れる。




部屋着に着替えてリビングに戻ると、湯気の立つマグが二つテーブルに並んでいた。ひとつは俺のコーヒー、ひとつは姉の紅茶だ。それ以外は俺が帰ってきたときと全部一緒で、姉は相変わらず本を読んでいた。


「なんの本」
「人が死ぬ本」
「そうならねえ小説のが少ねえだろ」
「うん、私も言ってから思った」

姉はくつくつ笑った。横に座って少し考えたあと、やわらかい身体に手を伸ばした。肩と腕に手を回してぎゅうと抱きしめる。姉はくぐもった声で俺の名前を呼んだ。

「よーくん、」
「あんだよ」
「いっかい離して。一瞬」

言われた通りに力を緩めると、姉は本をテーブルに置いて、改めて俺に正面から向かって、腕を開いた。さあどうぞ、と言わんばかりだ。遠慮なく抱きしめた。今度は腕を拘束してないので、俺の背中にも腕がまわった。あまえるように胸にすりよられる。俺があまえにきたはずなのになあと思うと少し笑える。


「相変わらずあまったれてんな」
「うん」

どっちがだよ、とか追及しないのがこいつのやさしさだ。

「よーくんさあ」
「ん」
「かたくなったよねえ」
「………は?」
「胸とか背中とか。まえよりしっかりしてるよね」
「そーゆうことか」


鍛えてっからな、と返すとそうだね、と背中を撫でて返事をする。あんなにぴったりくっついて、俺の心音をうるさく思ったりしないんだろうか。


「どんどんかっこよくなるね」
「……………俺の話?」
「他にいないでしょ」
「………………」
「どんどん男前になっちゃうね」


お姉ちゃんは不安だよって、一体なにを不安に思うというのか、こんなに近くにいるのに。っていうか不安なのはこっちだ。ただでさえ縮まらない年齢の差を抱えてるってのに、姉はどんどん大人になる。いつもいつも、そんなにマスカラ塗りたくらなくたっていいのに、と思う。やっぱりいまみたいなすっぴんの姉の顔がいちばん落ち着くのだ。


「それでもこうやってあまやかしてくれるからすきだよ」
「………あっそ」
「余計離せなくなっちゃうよ」

姉は事も無げに笑った。弟離れしなきゃなあっていうのは姉の口癖で、俺は精々努力しやがれとか笑いつつそんなもんぜってえさせっかと思っている。こいつだって、俺に姉離れしろって言うことはない。俺もする気はない。つまりはそういうことだ。


ただまあひとつ言えるのは、周りの影響を受けずにずっと二人でいられるわけはないということだ。俺より大人で、俺が唯一あまえられる存在である姉でさえ不安になることはある。勿論。



「てめーこそ」
「ん?」
「いつの間にかこんなふにゃふにゃになりやがって」
「ふにゃ………」
「俺の許可なく女になってんじゃねーよ」


よーくん、と俺の名前を呼ぶ姉の顔を、今度はみれなかった。姉の、いっかい染めたのをそのまんまにしてるからほとんど地毛の色になってる頭のてっぺんに顎を乗せて、俺をみようとするのを阻止した。姉はしばらく身じろぎしたあと、諦めたように力を抜いて俺に凭れかかった。それを確認してから目の前の茶色い髪に鼻面をすりよせると、シャンプーのあまい匂いがした。姉はいつも同じシャンプーを使うので、俺としてはこの匂いが姉の匂いとニアリーイコールだ。次点、香水の匂い。姉はためいきをついた。


「これだから離せないよ」
「………離すなよ」
「……え、」
「離すなよ。俺も離さねえ」


姉はぐっと腕を突っ張った。すっぴんだからいつもよりはっきりしない(それでも俺にとってはなによりいとおしい)目がぱちぱち忙しなく動いている。心底驚いた様子の姉をみて、そういえば明確に言葉にしたのは初めてだったかも知れないと思い当たった。まあ別に構わねーけど。


「………よーくん」
「なに」
「ほんと?」
「こんな嘘つくわきゃねーだろ」

俺はメリットがねえ嘘はつかねえ。

「じゃあやっぱりほんと」
「そーだっつってんだろ」


姉はじっと俺をみた。
俺もじっと姉をみた。



「……よーくん、お風呂入る?」
「入る」
「じゃあわかしてくる」


姉は俺の手をそっと外して立ち上がった。行き場のない両手をみつめる。手持ちぶさたにまだ一口も飲んでなかったコーヒーに口をつけた。すっかり冷めてまずいコーヒーに知らず知らず眉をしかめていると、風呂場から戻ってきた姉が横に立って俺を見下ろしていた。部屋着用に格下げされたくたくたのパーカの裾をきゅ、と握りしめている。


「……どーかしたのか」
「あのね、」
「ん」
「今日、………一緒に、」


一緒に寝ようって言ったら嫌かな、と姉は言った。そう言われた俺がそれを断ったことがいままでにあるだろうか。俺が首肯すると姉はぱっと微笑んだ。


「……先寝ててもいーから」
「起きてるよ」
「………………」
「起きてる」


姉はうれしくてたまらない、というようにお気に入りの抱きまくらを抱えている。俺は風呂がわくまでにかかる時間と、それから風呂に入るのにかかる時間を軽く計算してみた。もう夜はだいぶ深い。俺は風呂場へ向かった。


「よーくん?」
「とめてくる」
「へ」
「明日入る。シャワーは浴びたしな」
「………じゃあ、先にベッド行ってる」


姉は携帯と抱きまくらを持って俺の部屋に走っていった。それを見届けてから湯沸かしのスイッチを切る。暗いバスルームで、姉の笑顔を思い出した。微かに姉のシャンプーの匂いが漂っている。


(先にベッド行ってるってなんだよ……)


キスでもしてやろうかと思った。っていうか、実際してもおかしくない空気だった。ただの男と女だったら。まあしねーけど。姉弟だから。




俺のベッドをあたためてるだろう姉を抱きしめて眠るために、俺は自分の部屋に向けて一歩を踏み出した。



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