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八月と向日葵(高銀)

*高誕記念(フリー配布)


外から子供達の声が響いている。きゃっきゃっという笑い声は、彼の耳にサラリと入り、スッと抜けていった。ジリジリと暑い日だ。高杉の額から汗が一筋流れ落ちた。
「暑ィな…」
先程まで瞼に覆われていた翡翠の瞳が僅かに覗く。高杉は襖の隙間から漏れる光に眉を寄せながら呟いた。
「もっと氷いるか?」
高杉から少し離れたところで、壁にもたれながら団扇をあおぐ銀時が言った。
「いや、いい」
彼は熱の篭った息を吐き、怠そうに寝返りを打った。汗に濡れた黒髪が艶めいている。銀時は団扇を持つ手を止め、のそのそと高杉に近付いた。額に手をあてると、やはりまだ熱を持っている。夏風邪は馬鹿しかひかないんだっけか。ふと思い出して、銀時は鼻で笑った。
「なんだ」
「あ?別に」
銀時がいやらしく笑ってみせると、不機嫌そうな翡翠の目は再び閉じられた。

「おい、そっち行くなって先生に言われただろ!」
「うっせぇ!ばれなきゃいいんだよ!」
「やめなってば!」
「あっ!」

小鳥の囀りのように。木々のさざめきのように。高杉はまどろみに沈みかけていた。銀時は外に通じる襖を少し開け、団扇で涼みながら、下を眺める。少年が木によじ登り、垣根を飛び越えようとしていた。周りの子供達は上を見上げながら、声をあげている。銀時はただ静かに団扇をあおいでいた。

銀時と高杉は、この村塾の塾頭だ。彼らの恩師が亡くなった時、せめてこの村塾だけでも、と彼らは引き継いだ。最初はただの喧嘩道場に過ぎなかったが、次第に学び舎へと近付いていき、今では塾生こそ少ないが、立派な教育の場となっている。
重ねていた。あの頃の自分たちに。彼らが欲しかったのは、いつまでも過去だった。

「いってぇ!」
木に登っていた少年の悲鳴が響く。垣根を飛び越える時に、擦りむいたらしい。
「あーあ」
銀時は苦笑した。
「あーあ、じゃねェだろ」
銀時が振り向くと、高杉が頭を抑えながら体を起こしていた。少年の悲鳴で目が覚めたようだ。銀時は、今にも現場に向かいかねない高杉の胸を足で押し、無理矢理寝かせた。今の高杉は軽く力を入れれば簡単に倒れてしまう。ここ数日、ずっと彼は体調を崩していた。
「何すんだ、てめェ」
「お前こそ何してんだ。病人は寝てろって」
高杉は苦虫を潰したような顔で、横を向いた。
「アイツ、どうすんだ?」
「放っときゃいいだろ。痛い目見たからもう二度とやらねぇだろうし。あれぐらいなら大した怪我してねーよ」
ちらりと外に視線をやり、銀時は高杉から足を退けた。
「……暑ィ」
高杉はぼやきながら、布団を頭まで被った。
「言ってることとやってることが矛盾してますけど?」
「うるせェ」
今日はいつにも増して暑い日だった。威勢のよい蝉が喚くように鳴いている。しかし、部屋の中は不思議と静かで、何も届かないような、それでいて孤独感を感じさせない、ぶっきらぼうな空間だった。居心地は悪くない。ただ自分がここにいることに微かな違和感を感じていた。むしろ滲まないと言うべきか。色が、違うのだ。
「銀時」
布団から頭を出し、高杉は銀時を呼ぶが、返事はない。いつの間にか一人になっていた。まあいいか、と欠伸を噛み殺し、再び眠りにつこうとしたが中々寝付けない。気が付けば、外から聞こえていた音が消えていた。

「しーんちゃん!」
からかったような声と共に、頬に冷たい何かが当たった。氷か。睨みつけるのも億劫で、高杉は瞼をあげようとしなかった。
「オイ、礼ぐらい言えよ」
「病人は寝てろって言ったのはてめェだろ」
言葉はそれ以上いらなかった。高杉に眠気が訪れる。ひんやりとした氷嚢がゆっくりと熱を溶かしていく。蝉の声が鼓膜を震わせた。子供達の声も小さく聞こえてくる。
銀時は目の前の黒髪を軽く摘まんだ。汗に濡れてぐっしょりとしている。
「あーあ…、女抱いた時も汗かかないって言ってやがったのに」
消え入りそうな声で呟く。高杉は眠ってしまったらしい。そういえば、高杉が寝ている姿は幼少時代以来初めて見たかもしれない。なんだかんだでこの数日は銀時が傍にいる間、高杉はずっと起きていた。それほどまで体力が落ちているのだろうか。
「つか、飯ぐらいちゃんと食えっての」
銀時は高杉から目を背けながら呟く。
「馬鹿だろ、ほんと」


バタバタと板の廊下を走る音が響き渡る。
「せんせい取ってきたよ!」
砂にまみれ、膝を擦りむきながらも少年は気丈に銀時に笑いかける。
「おー、お疲れさん。痛かっただろ?」
「べっつに!これくらい平気だし!」
そっか、と銀時は少年の頭を撫で、用意しておいた薬箱を開ける。少年は満足気に歯を見せた。その手にはしっかりと向日葵が握られている。
「でも先生、そいつ、先生が行くなって言ったとこに行ったんだぜ?」
「俺が頼んだんだよ。こいつはあそこにしかないからな」
手当てを終えた銀時は向日葵を見つめる。そしてもう一度少年の頭を撫でると、懐から茶封筒を取り出し、少年に渡した。少年は不思議そうに目を丸くし、銀時の視線に促されて封筒の中身を覗く。
「あっ!」
「かき氷でも買ってこい。一人占めすんじゃねーぞ?みんなにちゃんと分けろよ」
子供達は少年の周りにわっと集まり、歓声をあげる。たちまち忙しなく玄関を飛び出していった。

「わたし、イチゴがいい!」
「ぼくはメロン!」
「おれもメロン!」
「おれにかけっこで勝ったらな!」
「えー!」
「待てって!」

「あー…財布やべぇ…」
銀時はくたびれた財布を見つめて項垂れた。頭を掻くが、どうしようもない。
「で、銀時。粥はいいとして、この向日葵はなんだァ?」
「え?…いや、別に…」
怪訝な顔をした高杉が銀時お手製の粥を啜りながら、向日葵を指さす。慌てたように視線を泳がせる銀時に眉を寄せた。
「言え」
「言わねぇ」
「…銀時」
「………」
昔から銀時はいつもそうだった。勝手に行動し、その真相を話そうとしない。自分の中に押し隠し黙り続ける。
「…今日は」
耳を澄ませていないと聞き逃しそうな声だ。高杉は粥を食べる手を止め、耳をそばだてる。銀時はあーと言ってみたり、んーと言ってみたりして、後頭部を掻きむしった。
「誕生日、だから」
小さな声でそれだけ言うと、銀時は部屋を出て行ってしまった。高杉は銀時を目で追いながら、匙で粥を掬う。彼はゆっくりと咀嚼しながら頭を巡らせてみるが、一向に答えに辿り着かない。誕生日?誰の誕生日だというのだ。銀時の誕生日は十月だ。塾生にも確か八月生まれはいなかったはず。
しかし向日葵には記憶がある。昔、銀時が恩師に渡していた。毎年、毎年。恩師の誕生日が来ると、行ってはいけない危険な場所に侵入し、傷だらけになって向日葵を摘んできた。
「…俺の、誕生日…?」
いや、まさか。あの銀時が。
『向日葵の花言葉は――』
恩師の言葉が脳裏をよぎる。向日葵の花言葉は確か――。恩師が向日葵を大事そうに持って嬉しそうに言っていた姿は鮮明で、思考を止めようとしても蘇ってくる。ああ、そうだ。
カチャンと椀を置き、高杉は額を抑えた。
「畜生、暑ィ…」
今日のなんと暑さの酷いことか。外で鳴く蝉は喧しいというのに、部屋の中は無音で満たされている。指一本動かすのも面倒で、人々を怠惰にさせる。動かなければよかったのだ。眠り続けていればよかったのだ。音のある世界は、不安定で。


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