小説 3
彼の気持ち、オレの気持ち・3
大嫌いだ。
大嫌いだ。
大嫌いだ、と――阿部君が言った。
心臓がギュッと縮んで、ギリギリと締め付けられるように痛くて、痛くて、涙が出た。
壊れた蛇口みたいに、ぽたぽたぽたぽた、ぽたぽたぽたぽた、涙がこぼれては落ちて消えた。
阿部君が、ギョッとしたように目を見開いた。
泣くことはないだろ、って思ってる?
呆れてる?
それとも、言い過ぎたって思ってる?
困ってる?
大好きだった切れ長の垂れ目が、戸惑ったように揺れて。大好きだった大きな手が、オレの頬に伸ばされた。
そして、以前のままの優しさで、オレの頬をそっとぬぐう。
「………っ」
オレは一歩下がって、優しい指から逃げた。
だって、もう我慢できなかった。
好きで。
痛くて。
辛くて。
大嫌いって、言われて――。
「オレは」
ぐいっと涙をこぶしでぬぐう。
はあ、と息継ぎをして。そして。
「阿部君が好きだ」
と、ホントの気持ちをぶちまけた。
もういいやって思ったんだ。
言ったら嫌われると思って黙ってたのに。言わなくても嫌われたんなら、もっと早く言っちゃえば良かった。
「好きだった」
でも、もうやめる。やめるから。
この気持ち、頑張って殺すから。
「ごめんな、さ、い」
背中を向けた瞬間、阿部君が息を呑むのが聞こえた。
「え、三橋!?」
心底驚いたみたいな声。
「待っ……」
待て、って言われたような気がする。
でもオレは、ダッと走って、阿部君から逃げた。
グラウンドを飛び出して、ロードに出る道を、ひたすら走って。阿部君から逃げた。
最初は全力で走ってたけど、ダッシュはそう長く続かなくて、足が緩んだ。
息継ぎもうまくいかなくて、苦しい。
けど、立ち止まったら、きっともう走れない。だから立ち止まれなくて、頑張って息をして、ロードの時みたいに走った。そしたら、体が走り方を覚えてた。
阿部君に「野球しろ」なんて言われるまでもなく、結局野球の……なじんだ走り方になってる。
それが全部の答えな気がした。
走ってる内に、だんだん冷静になって来た。
午後練の途中だったことや、荷物も何もかもベンチに置きっぱなしだったこと、色々思い出して、ゆっくりと足を止める。
誰かが追いかけて来てくれてないかって、ちょっぴり期待したけど、振り向いても誰もいなかった。
阿部君も。誰も。
どうしよう。学校、飛び出して来ちゃった。すぐに戻った方がイイかな?
今戻ったら、頭握られるだけで済むかな?
それとも、なんで逃げたか、皆の前で理由を訊かれちゃったりするのかな?
なんで泣いたのか、とか。訊かれたら、何て答えればいい?
阿部君の顔、見たくないな。
オレ、好きって言っちゃったし。
お前に好かれても嬉しくない、とか、言われたらどうしよう?
別に、返事なんていらないけど。ああ、違う。返事は先に貰ったんだった。
大嫌い、って――。
思い出したら、じわっと泣けてきた。
走っても、逃げても、痛いのは痛い。
もうこのまま、帰っちゃおうかな。
荷物、どうしよう?
皆が帰ってから、取りに戻ろうかな?
それとも、明日の朝でイイかな?
あ、家の鍵、は。
親に電話しようと思って、ケータイも持ってなかった事に気付いた。
でも、かえってよかったかも。
だって、ケータイを持ってたら……電話1本で、呼び戻されちゃったかも知れないし。
戻りたいのか、戻りたくないのか、自分でもだんだん分からなくなってきて、オレはとぼとぼ歩いて、自分の家に向かった。
親はまだ帰ってなかった。
仕方なく、庭の投球練習所に向かう。
野球しよう。
『野球しろよな』
野球しよう。
傷の入ったDVDが、また1枚増えた。
聞きたくないセリフを、何度も何度も繰り返し再生して、オレの胸に傷をつける。
『大嫌いだ』
『野球しろよな』
『失恋したんだっけ』
『よそ見していーと思ってんのかよ』
『大嫌いだ』
『野球しろよな』
最初はうるさかった阿部君の声が、的に向かって投げてる内に、だんだん小さくなって行った。
野球してればいいんだ、って、こういうことなのかな。
そうか。そうなんだ。阿部君は正しい。
集中して投げてれば、阿部君の声も聞こえない。
見下したような目も見えない。
的しか見えない。
大丈夫、オレ、投げられる。そう思った。
今みたいに集中すれば、阿部君のコト意識しなくても、阿部君のミットに投げられる。
オレ、投げられる。
バケツ1杯の球を投げ終わって、球を全部拾い集めて、また投げて……。それを3回繰り返した頃、お母さんが帰って来た。
荷物を全部忘れて来たって言ったら、呆れて笑われたけど、何も訊かれなかったから、ほっとした。
そして、夜……。晩ご飯を食べてたら、ピンポン、と呼び鈴が鳴った。
オレの荷物、全部持って。
阿部君が来た。
(続く)
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