小説 3
Only・6
彼女と一緒にいる男子にも、やっぱり見覚えがあった。
目の下に目立つほくろがあって、ああ、この顔知ってる、っていう感じ。ドイツ語か何か、小講義室での授業で一緒だった、かな? とにかく、同じ2年生だと思う。
「何がムカついた訳?」
もう1人の男子が言った。こっちは黒縁メガネで、知らない顔、だ。
でも、あまりじろじろは見れなかった。それに反応した彼女が、「えー?」って顔を上げそうになったから、慌ててパッと前を向いた。
箸を動かして、ゆっくり定食を食べながら、耳だけを斜め後ろに向ける。
阿部君のことは、もう自分でもほとんど吹っ切れたと思ってた。まだ好きだけど、それは未練とは違う、って。
でも――。
「それがさぁ、ホント失礼なの。『鏡見て出直せ』って!」
後ろの彼女の言葉を聞いて、ホッとしてしまう自分がいて、複雑、だ。
振り向きたいけど振り向けなくて、こっそり話を聞くことしかできない。
「ヒドくない? 私結構可愛いよね? っていうか、誰よ、来る者拒まずとか言ってたの? 思いっ切り拒まれてるんですけど!?」
女の子は甲高い声で叫んで、それから「あーあ」とため息をついた。
それに「阿部なぁ……」と口を挟んだのは、どっちかの男子だ。
「TR大のヤツだろ? いや、あいつはさぁ、パンダみてーなもんらしーぞ」
って。
「パンダ? 太ったたれ目?」
もう1人の男子が茶化したように言って、3人で一斉にげらげら笑う。
「違うってぇ、ちょー格好イイんだよ、たれ目だけど」
「太ってはねーな、腹筋ガチガチだし。つーか、そういう意味じゃねーっつの」
女の子と一緒に笑いながら、男子が言った。
「あいつは乱パの客寄せだ」
って。
乱パって、乱交パーティのことだ。
たくさんの男女がそういう目的で集まって、みんなで楽しく遊ぶところ。阿部君がよく行くらしいところ。
つまりパンダっていうのは、パーティの目玉とかそういう意味、で。
「あいついるとさー、女子の集まりが違うらしーんだわ」
その話は何となく納得できて、でもやっぱり愉快な気分じゃなくて、ジリッと胸が焦げた。
聞かなきゃよかった、と思った。
自分から関係を断ち切ったハズなのに、そういう話を聞くとムカムカする。
「そりゃそーでしょ、私もちょっと考えてるもん」
女の子の言葉に、鳥肌が立った。
と、それに「へーぇ」って相槌を打って、もう1人の男子が言った。
「何、そいつそんなモテんの? 調子乗ってんじゃねーの?」
その声がいきなり剣呑になったから、ドキッとした。
「調子乗ってるんだってー、だから」
女の子が不服そうに肯定する。
反対意見はない。阿部君の知り合いらしい、もう1人の男子は黙ってる。
剣呑な声が、更に言った。
「オレもいっぺん、そのパーティ連れてけよ。ご自慢のツラ拝んだ後、鼻っ柱へし折ってやる」
阿部君の評判がよくないっていうのは、前からオレも知ってたことだ。
遊び人だってことを隠してないし、開き直って堂々としてる。
不特定多数の女の子と関係を持って、来る者拒まず去る者追わず、誰の手も取らず、誰にも愛を囁かない。誰も特別扱いしないし、誰の家にも泊まらない。
……それはやっぱ、誉められたことじゃないの、かも。
大学が違うのに、悪口や陰口を聞くこともたまにある。
写真の流出とかは聞いてないけど、情報は簡単に共有される、し。マイナスイメージの広がるのも多分、早い。
それでも大したトラブルを聞かないのは、持ち前の頭の良さで、うまく回避してるんだろうと思ってた。
この先も大丈夫だろうと思ってた。
けど。
「鼻っ柱へし折るって、もちろん物理だろ? いーねぇ。じゃあ来週のパーティ、メリケンサック持参で行くか?」
そんな話を聞いて、とても聞かなかったコトにはできなかった。
冗談なのか本気なのか、その辺は分かんない。もしかしたら、ただ「いーねぇ」って話して終わるのかも。
でも、もし本気だったら?
「やぁだぁ、顔に傷はつけないでよー」
女の子が不満そうに言ったけど、結局2人とも「冗談だって」とは言わなかった。
どのくらい固まってたんだろう?
「三橋? もう昼休み終わるぞー」
野球部の仲間に肩をぽんと叩かれて、ハッと我に返った。
ぐるぐる考え込んじゃってたみたい。いつの間にか、周りのみんなは食べ終えて、トレーを片付け始めてる。
「予鈴まで、あと10分」
時計を見せられ、「うおっ」っと慌てて食べ始めると、「しっかりしろよー」って笑われた。
冷えた定食を大急ぎで食べながら、さり気なく後ろを振り向いてみたけど、もうあの3人組はいなかった。
「あ、のさ、さっきあそこに座ってたの、って……」
仲間にそう訊いてみたけど、誰もそんな、斜め後ろのテーブルのことなんか気にしてなかったみたい。
「えー? 可愛い子でもいたかー?」
って、笑われて終わった。
「物理」って何だろう? ホントに暴力振るうって意味?
メリケンサックって……確か、拳にはめる金属の武器、だよね? 素手ならともかく、そんなの使って、もしケガしたらどうなるの?
結局、ほくろとメガネと、どっちの男子が剣呑だったのか分かんないままだ。
っていうか、そもそも名前知らない、し。
またどこかの講義で、気を付けてれば見付けられるかな? でも、もし見付けたとして……どうすればいいんだろう?
「阿部君に手を出さないでください」って、頭を下げてお願いする?
どういう関係かって訊かれたら、何て言うべき?
けど、どの授業でよくよく周りを見回してみても、あの男子はおろか、女の子まで、見つけることはできなかった。
パーティがいつなのかも分かんないまま、週末が来る。イヤな予感がどんどん募って、居ても立ってもいられない。
阿部君に「気を付けて」って警告した方がいいのかな?
でもそんなの、関係ないって言われない?
っていうか、阿部君、連絡先変えてるかも?
確かめたいけど確かめるのが怖くて、それにもし、着信拒否されてたらどうしようって、それも怖くて。阿部君に連絡はできなかった。
でも、黙ってることもできなくて。どうしようって思った時、ふと思い出したのは――。
『何かあったら、連絡して』
1ヶ月前にそう言って渡された、シンプルな名刺のことだった。
(続く)
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