小説 3
ガーディアン・2
担任に、三橋の隣に座るよう促された阿部は、まっすぐ三橋を見つめて横に立った。そして、右手を差し出した。
「よろしくな」
「う……ん」
のろのろと差し出した三橋の右手を、阿部がしっかりと握りしめる。一瞬、お、とでも言うように阿部の口が開いたが、すぐに消えて笑顔だけが残った。
作り笑いだな、と本能的に悟った。だって……後輩たちと一緒だ。
こんな自分にもちゃんと挨拶して、ちゃんと敬語も使ってくれてた後輩たちが、陰で自分を何と呼んでたのか知ってから、まだ1週間も経ってない。
期待するから心にヒビが入るんだ。期待しなければ、痛くないだろう。
「悪ぃ、教科書見してくれ」
ためらいもなく机を寄せて来る阿部に、ぐいっと教科書を押しやりながら、世話係はどのくらいでお役御免になるのかと……三橋は、ぼんやり考えた。
理科室や技術室、図書室や購買なんかの場所を、一応教えた方がいいのだろうか?
三橋はそう思って、昼休み、おずおずと阿部に話しかけた。
「あ、の、学校の中、案内す、る?」
しかし、阿部はあっさりと断った。
「いや、いーよ。つか、お前あんま、フラフラすんな。大人しく教室で勉強してろ」
それはどういう断り方だろう、とちらっと思ったけれど、食い下がる勇気は三橋にはなかった。そうだよね、オレなんかと一緒に校内歩きたくないよね、と――ネガティブ思考で自己完結してしまう。
けれど意外なことに、移動教室の時にも、掃除の時にも、そしてまさかのトイレまでにも、阿部は三橋についてきた。
三橋の斜め後ろにぴったりくっつき、ずっと側から離れない。三橋が止まれば阿部も止まるし、三橋が走れば、阿部も走った。
……意味が分からなかった。
そして、放課後も。
「ほら、帰るぞ」
もたもたと支度する三橋の横で、仁王立ちになりながら、阿部はじっと待っていた。
「な、な、……何で、オレなんか待ってる、の?」
三橋がキョドリながら尋ねると、阿部は少し考えて、「方向が一緒だからかなー?」と言った。
何で初対面なのに、方向が一緒だと分かるんだ?
疑問に思ったけれど、それを口に出す勇気も、三橋にはなかった。
支度の終わったカバンと、阿部と、教室の出口をキョドキョドと見比べていると、阿部が口を開いた。
「終わった? じゃ、帰るか」
「う、うん」
三橋は素直に阿部に従い、一緒に教室を出た。
誰かと一緒に帰るなんて……どのくらい振りだろうと、ちょっと思った。
校門を出て、すぐの事だった。
「Son of a Bitch、報いを受けろ!」
女の声と共に、何かが三橋に向けて投げられた。
わ、と思うと同時にぐいっと腕を引っ張られ、誰かの胸に護られる。ネクタイ、制服。阿部のようだ。
ガシャン、と小さな音がして地面を見ると、小さな金色の物がたくさん散らばっていた。
「あっぶねぇな!」
阿部が三橋の体を離し、吐き捨てるように言った。
周りにいた下校途中の生徒たちも、ざわざわと何か話している。
三橋は地面にしゃがみこみ、投げつけられ、地面に散らばった物を拾い上げた。
画鋲、だ。
近くには透明のプラスティックケースも転がっているから、多分ケースごと投げたのだろう。
「怪我ねぇか?」
阿部が、気遣うように声をかけた。
「う、平気、だ。か……」
庇ってくれた? と、訊こうとして、口ごもる。
勘違いだったら恥ずかしいし……そんな理由もないだろうし。
代わりに、ぽつんと言った。
「さのばびっち、って……」
阿部が、「ああ」と応えた。
「あんま上品な言葉じゃねーよな。つかオレ、女がそんなこと言うの、初めて聞いたぜ」
「お、オレは2回目、だ」
さっきの女子高生に、この間も罵倒された。確か、万引き事件の翌々日頃だったと思う。
Son of a Bitch、報いを受けろ
それは、ただの下品な悪口なのか?
「Fuck You」でも「Mother Fucker」でも「Go to the Hell」でもなくて……その言葉ばかり繰り返すことに、何か意味でも?
「はあ? 2回目!? 聞いてねぇけど!?」
阿部が、じろりと三橋を睨んだ。
何故睨まれなきゃいけないのか、よく分からなくて、三橋はキョドリながら「ごめん」と一応謝った。
「いーけどさ、次からは絶対オレに言えよ?」
阿部の言葉に、「う、え」と即答できないでいたら、「言えよ!?」ともう一度凄まれた。
たれ目のくせに、すごく怖い。
迫力に負けてこくこくこく、とうなずき従順を示すと、阿部は満足そうにニヤリと笑った。
三橋は、ごくりと生唾を呑んだ。
さっき胸に護られた感じがしたのに、何でだろう? 何だかとっても不吉な気がした。
やっぱり、万引きを見て見ぬ振りしたあの夜から……不運はずっと続いてるのかも知れない。
今日はまた、見知らぬ女子高生に罵倒された。
家に帰れば門の前に、ネズミの死体が置いてあった。
けれど、今日一番の不運と言えば……。
「あー、これ、蛇とかの餌だぜ。ペットショップに売ってるヤツな」
三橋の家までついて来た阿部が、当たり前の顔して門をくぐり、当たり前の顔して玄関で靴を脱ぎ、当たり前の顔して……三橋の祖父母に挨拶していることかも知れない。
(続く)
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