小説 3
夜明けの向こう・5
線路は再び向きを変えたみてーで、間もなく眩しい朝日は差し込まなくなった。
周りは山だったり畑だったりで、その合間にちらほらと民家が見えて、のどかな田舎の風景が広がってる。
「……そういや、眠れねぇっつってたっけ」
ぼそりと言うと、三橋が素直に「うん」と答えた。
「緊張、っていうか、落ち着かなくて。き、気が進まない、っていうのもあったと思う」
気が進まねぇ電車旅。それは、松山発券のチケットと関係あるんだろうか?
何て相槌打てばいいかとっさに判断つかなかった。
そろそろ自分の座席に――「サンライズ出雲」の方に戻らねーと。そう思う一方で、ギリギリまで一緒にいてぇって思い始めてる自分もいる。
刻一刻と進む列車に、そわそわしてジリジリした。
旅の途中で出会った、行きずりの相手。個人的な事情に、あんま首を突っ込むべきじゃねぇ。分かってんのに、もうちょっと一緒にいるための理由が欲しくて、黙ったまま三橋の言葉を待った。
「このチケット、送ってきたの、大学時代の友達、なんだ」
三橋はそう言って、特急券と乗車券に視線を落とした。
「卒業してすぐ、突然音信不通になって。仕事も、辞めちゃって。電話しても繋がらない、し、アパートは引き払ってる、し、誰にも何の一言もなかった、から、オレ、すっごく心配、した。なのに突然、チケット送って来て、『会えないか』って……」
じわりと涙があふれる目元を、三橋が手の甲でぐいっとぬぐう。
「勝手、だ」
ぽつりとこぼされる愚痴。
それに「ホントだな」って同意して、目の前の頭をそっと撫でる。オレのとは違う柔らかな髪は、指通りも心地よくて、そのまま遠慮なくわしゃわしゃとかき混ぜた。
相手にどんな事情があったかは分かんねぇ。どんな関係かも知らねぇ。ただ、一般論で言っても非常識には違いなかった。
「そんなの、無視してやりゃよかったのに。チケット送って来ただけ? 連絡先は分かんねーの?」
オレの言葉に、三橋が小さく首を振る」
「ケータイ番号、添えられて来た、けど、気が進まなく、て、連絡してない」
「そうか……」
その心理は、分かんねーでもないような気がした。やっぱ連絡なんて、してやんなくていいと思う。
「し、親友、だと思ってたの、オレだけだった、かな?」
不安げな問いに、応えるべき相手はオレじゃねぇ。オレならコイツのこと、そんな風に泣かせたりしねーのに。
わずかに胸が焦げる気がすんのは、顔も知らねぇ「親友」に嫉妬してんだろうか? けど、別に「親友」になりてぇ訳じゃねぇような気がする。なりてぇのはむしろ――。
――むしろ、何だ?
「さあな」
三橋の言葉に曖昧に応え、その手の中のチケットに目を向ける。
「オレはそいつじゃねーし、そいつの考えなんて分かんねーけどさ。わざわざ平日のチケット送って来たんだろ? それって、平日だからってのを理由に、お前が断りやすいようにしたんじゃねぇ?」
「断、り……?」
遠い目をして車窓の外を眺めてた三橋が、オレの方に視線を向けた。
「そう。『悪いけど会えねぇ』って、電話してくるか。それともホントに会いに来てくれるか。一種の、賭けのつもりなんじゃねーかな?」
それは、オレの勝手な想像に過ぎねぇ。
オレならそんな、ズルイ真似しねぇ。正々堂々、自分からコイツに会いに行く。それができねぇ時点で、雑魚確定だ。
「つまりさ、向こうもきっと今頃、落ち着かねぇ気分でいるに違いねぇってこと」
もっかい頭をわしゃわしゃかき混ぜてながら、ニヤッと笑って見せてやると、三橋はデカい目をパチパチとまばたきさせて、「そう、か……」つって、ため息をついた。
「オレが一緒なら、『甘えんな』つってドカーンと怒鳴ってやんのにな。お前、間違っても涙の再開シーンなんかしてやんなよ? むしろ、グーで殴ってやれ」
そう言いながら、胸倉引っ掴んで殴る真似をしてやると、「ふ、へ」と笑顔を見せられる。
「阿部君は、すごいな……」
しみじみと贈られる、2回目の賞賛。
けど、何より嬉しかったのは、次の言葉だった。
「ホントに一緒だったらいい、のに」
「ああ……」
その呟きは、お世辞には聞こえなかった。頼られると、悪い気はしねぇ。
――だったら、一緒に行ってやろうか? そんな安請け合いの言葉が、胸の中にうずくまる。
けど、ひくりと唇を震わせた時――。ポンポンポロン。スピーカーからそんな音が聞こえて、車内放送が始まった。
『みなさま、おはようございます。ただ今時刻は6時7分。列車は、時刻通り……』
ドキッとして、ざわっと鳥肌が立つのを感じた。
『後20分で、岡山、岡山に着きます……』
岡山に到着の後、この列車は半分ずつに切り離されて、高松と出雲とに行先が分かれる。そんなことは、今更アナウンスされなくても分かってたことだった。
後20分。
ギリギリまで一緒にいてぇと思ってた気持ちが、車内アナウンスにしおれてく。
「岡山、だって」
三橋が、ぽつりと言った。
「ああ」
「徹夜、しちゃった、ね」
ふひっと笑みを見せる三橋の、デカいつり目の目元が赤い。
頼りなげに見えんのは、意外と濃い眉が情けなく垂れてるからだろうか?
「ああ……そーだな」
そんな覇気のねぇ返事しかできねぇオレをよそに、三橋がごそごそとケータイを取り出した。
「よ、よかったら、連絡先、教え、て?」
照れ臭そうに頼まれて、ギクシャクとうなずく。
そんなことも思いつかなかった自分が、我ながら情けなかった。
ポンポンポロン。再びの車内放送に、無言のまま顔を見合わせる。
『ご乗車ありがとうございました。後7分少々で、岡山に着きます……』
聴いてられたのは、そこまでだった。
「じゃあ、そろそろ……」
言い訳するように立ち上がり、狭い寝台から降りて靴を履く。
「メシ、さんきゅな。あ、金払わねーと」
財布を取り出そうとしたら、「いい、よっ」って強く押し留められた。
「阿部君がいなかったら、オレ、食欲も出ないまま、だった。落ち着かなくて、気が進まなくて、電車には乗りこんだものの、逃げたい気持ちでいっぱいだった。と、友達に、会ってみようって思えるようになったの、阿部君のお陰、だよ」
三橋が一気にそう言って、オレの手をぎゅっと握った。
「話、聞いてくれて、ありがとう。い、一緒にいてくれて、ありが、とう。会えて、よかった」
にへっと口元は緩んでるけど、目元はうるうると潤んでて、息が詰まった。
オレなら、泣かせたりしねーのに。そう思ったのはほんの十数分前のことだ。
「……ああ、オレも。会えてよかった」
絞り出すように告げて、筋張った手を握り返す。
全席指定席の寝台特急、サンライズ。
岡山を出た後は、その接続をぷつんと切られ、別々の終点に向かって走る。「出雲号」のチケットを持つオレに、「瀬戸号」での居場所はなくて……。
握ったこの手を、離すしかなかった。
(続く)
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