小説 3 アフター9の恋人・4 三橋と話がしたかったけど、残業もできなかった。 午後6時になる前には、そのフロアで働く全員が帰らされたんだ。 今更ながら、メアドも訊いてなかった事に愕然とする。 待ち合わせしようにも、連絡すら取れねーじゃねーか。 結局、オレら末端の社員には、何の説明もなかった。 三橋がどうなったとか、どうだったとか。オレには知る術もなかった。 翌日。 「失礼しまーす」 ゴミカートを押して、畠と一緒に現れたのは、三橋じゃなかった。 そいつは三橋と違って、素早く手際よく、ゴミ箱のゴミを集めていく。 それを見ると、ゴミ集めにも要領とか手際とかがあるって分かる。ただ……三橋の方が、丁寧ではあったけど。 そいつがオレの側まで来たとき、オレは小声でそっと尋ねた。 「あの、三橋は?」 するとそいつは、猫のようにくっきりとした黒目でジロジロとオレを見た。オレの首に掛かったネームホルダーを見て、ちょっと目を見張る。けど。 「知りません」 そいつは冷たくそう言って、さっさと作業に戻ってった。 そりゃそうか、三橋の代わりに来た奴が、三橋のこと知ってる訳ねーか。畠って奴に聞くべきだったか。 でも、あいつに聞いても「知らねー」って言われそうな気がする。 顔見れねー、声も聞けねーじゃ、安心もできねーよ、三橋……。 何か食欲もわかなくて、昼休み、いつもは社食なんだけど、久し振りに外に出た。 オフィス街だから、周りには安いランチの店が結構あって、どこに入るか結構悩む。看板やメニュー表なんかをちらちら眺めながら歩いてると、後ろから声を掛けられた。 「阿部君じゃないか、珍しいな」 うちの課長だった。 「社食派じゃなかったっけ?」 「はあ、何か、気分転換したくて」 そういうと、課長は「分かるよー、あるある。そういう日」とオレの肩を叩いた。 「オレの行きつけの店、行く? 奢らないけど」 「ははっ」 うちの課長の、こういうとこ、オレは好きだ。 1課の課長みてーに切れ者じゃねーけど、でもやっぱり同じように「デキル人」なんだなと、時々思う。 課長の半歩後ろを歩きながら、訊くのは今かな、とちょっと迷う。 けど、昨日からずっと誰かに訊きたかった。 訊くんなら……よその人間より、やっぱうちの課長とかが筋なんじゃねーか? 「あの、課長」 ごくり、と生唾を飲み込んで、どう切り出すべきか、ちょっと考える。 「昨日、1課さんが言ってた、噂、ってホントにあるんスか?」 「……あー、気になるかー」 課長はガリガリと頭をかいて、「内緒な」と教えてくれた。 ……機密漏えいの噂ってのは、半年前くらいからあるんだと。 半年前ったら、オレ達が付き合いだした頃、じゃねぇ? オフィスで一人、残業する事がたまにあったオレに、あいつがコーヒー持ってきてくれるようになった頃、じゃねぇ? オレ達がオフィスで……いや、深い中になったのは、もっと後だけど。でも二人っきりで、頻繁に会うようになったの、その頃じゃなかったか? 「キミもねぇ、当初は怪しいって思われてたみたいだよ」 定食を食べながら、課長がさらっとそんな事を言った。 「……はあ?」 何でオレが? 心外だ、と思うより、まずはギョッとした。 「キミ、サービス残業多かったでしょ。皆が帰っても、もうちょっとやりますっつってさ」 「そりゃ……」 仕事覚えたかったら、それくらい別に苦じゃねーし。 三橋に注意されてからは、サービス残業自体やってねーし。 それに最近は、純粋に仕事の為に残ってるわけじゃなかったし……。 そんなこと考えてたら、課長がまた、さらっと言った。 「まあ、誤解だって知れたみたいだな。はは、キミ、残業しながら彼女と待ち合わせしてただけなんだって?」 色男はやるねー、とからかわれても、驚きすぎて、言葉にもならなかった。 だって、オレ、彼女……っていうか男だけど……誰かと待ち合わせしてるとか、会ってるとか、誰にも喋ってねーぞ? オレじゃなかったら、三橋か? それとも、誰かにオレ達のこと、ばれてたんか? けど、その話を誰から聞いたのか尋ねても、課長もはっきりとは知らないらしかった。ただ、「上から聞いた」と――課長が語ったのはそれだけだった。 夕方のゴミ集めに来た清掃員も、また三橋じゃなかった。 頭の中では分かってたけど、やっぱちょっと、がっかりした。 一体いつ、三橋に会えるんだろう。 夜……いつものように残業してみたけど、9時を過ぎても、10時を過ぎても、三橋はとうとう現れなかった。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |