小説 3 ジムランナーV・6 三橋の指導の下、入念にストレッチをやってから、50メートルプールの中ほどにそろそろと入り込む。 「飛び込み禁止」の立札があっちこっちに置かれてたから、プールん中には階段を使って行儀よく入った。 「久々、でしょ? 無理しないように、ね」 三橋にぼそっと注意され、信用ねーなと苦笑する。 プロ相手にムキになったってしょうがねーけど、オレだってガキじゃねーっつの。 けど、引き締まった体に競泳水着とキャップをまとい、ミラーレンズのゴーグルを着けて颯爽と泳ぎだす三橋は、文句なく格好よかった。 今でも時々泳いでるっつーだけあって、フォームもキレイだし結構早い。 ふと、高校ん時のプール練習を思い出して、懐かしさがこみ上げた。 炎天下の25メートルプール、仲間と競争するように泳いだ10代の夏は、もう遠い。 賑やかなレジャープールでデカい浮き輪に捕まり合い、人込みに揉まれながら漂った、学生時代も昔の話だ。 オレの顔を仰ぎ見て、恥ずかしそうに笑う三橋ももういない。 鮮やかなターンを決め、こっちに向かってクロールで泳いで来る三橋を見ながら、泳ぎ出すべく壁を蹴る。 プールに入るのは6年ぶり、本格的に泳ぐのはそれ以上のブランクがあったけど、案外すんなりと泳げてよかった。こういうのは、体が覚えてるモンなんだな。 少し冷たく感じた水温も、泳いでるうちに気にならなくなって来る。 水を切り、足で蹴り、ひたすら無心に泳ぎ進める。50メートル、100メートル、150メートル……。数えてたのはそこまでで、後はひたすら全身を動かし、レーンの間を往復した。 時々三橋とすれ違うのを感じたけど、確かめるまでもなく、一瞬で過ぎ去る。 ゴーグル越しの世界はほんの少し薄暗くて、でもクリアだ。 ゴーグルなんてそんな高いモンでもねぇし、特別なモンでもねぇ。キャップを買った時に言ってくれりゃ、ついでに買っただろう。 けど、このクリアな世界を三橋がくれたんだと思うと、悪くねぇ。今日だけで終わらすのは惜しいと思った。 ひたすらレーンを往復するだけの時間を中断させたのは、三橋だった。 スタート台の下の端壁の前でひらひらと手を振られ、ざばっと顔を上げる。何かと思ったら、「休憩、だ」って。 「まだ30分、だけど、久々だし、ちょっと水温低い、から」 プロのインストラクターに神妙な顔でそう言われれば、素直に水から上がるしかねぇ。 他のレーンで泳いでる客の邪魔になんねぇよう、そろそろと端に移動する。 スタート台にひょいっと飛び上がれそうな気もするけど、失敗したら恥ずかしいなんてもんじゃねーし、そんなバカやる程ガキじゃねぇ。 入った時と同様、出る時も無難に階段で上がった。 プールサイドに並ぶビーチチェアに、2人して横になる。 「涼しくなった?」 ちらっと笑みを見せられて、「まあな」とうなずく。ドッドッドッドッと早鐘を打つ心臓を抱え、むしろ熱くなったんじゃねーかとも思ったけど、笑われそうだから言わなかった。 30分泳いで5分休憩、また30分泳いで5分休憩……ってのを5回繰り返したところで、「次で終わろうか?」って言われた。 確かに次で3時間。レジャープールで漂うならともかく、こんな本格的な泳ぎをするなら、3時間ってのはまあ妥当だ。 しかも、さっきのラスト何本目かは、確実にスピードが落ちて来てた。 もしかして、そういうのもしっかり見られてたんだろうか? 「お前はそれでいーの?」 弾んだ息を整えながら訊くと、「別、に」ってツンと返された。 「一緒に来たんだ、から、一緒に帰るのは、当たり前、だ」 って。 遠回しの気遣いが照れ隠しにしか思えなくて、ふふっと笑える。 ホントは三橋だけなら1時間泳いで10分休憩リズムで泳ぐらしい。 「だったら、オレに合わせねーで1時間泳いでもよかったのに」 思ったままを告げると、むうっとした顔で睨まれた。 「それじゃ、一緒の意味、ないでしょ」 ご機嫌斜めな様子も、なんつーか可愛い。ツンツンしてんのに、甘えられてる感じする。 それって、一緒にいたかったって意味に取っていい? ビーチデッキに寝そべって、スポドリ飲みながら取り留めもねぇ話して。そんな時間も、貴重だと思ってくれてるんだろうか? 「じゃあ、ラストは競争だな」 ニヤッと笑いながら立ち上がり、貰ったゴーグルを装着する。 「勝負にならない、な」 そんな憎まれ口を、どんな目して言ってんのか、ミラーレンズは覗けねぇ。ただ、笑ってんのは口元を見りゃ明らかで、こんなやり取りもいいなと思った。 プールの後は、予定外だったけど、併設の温泉にちょっとだけ入った。 「体、冷えたでしょ」 ズバッと言い当てられれば、反論もできねぇ。確かに、ちょっと寒かった。 40度の温泉をすげー熱く感じて、冷えてんなって自覚する。 まったく、よく見てるよな。職業柄か? それともやっぱ、オレに信用がねーんだろうか? 体を十分温めてから改めて車に乗り、途中、ファミレスでメシ食って、オレんちに直行。 「家まで送り迎えして貰うって、まんまデートだな」 苦笑しながらそう言うと、「デート、でしょ」って睨まれた。 「もう、誘わない」 ツンと顔を背けられ、「ワリー」って謝る。 「楽しかったぜ、プール。今度はオレが運転すっから、一緒に行かねぇ?」 くくっと笑いながらの誘いに、返事はねぇ。けど、ホントに誘っても、多分律儀に付き合ってくれるんだろうなって分かってた。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |