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小説 3
29・5
 阿部君は、オレが知らないって思ってんのかな? それとも、わざと言わそうとしてる?
 現実を見せるため? 自慢? それとも……何だろう? 頭がうまく回転しなくて、何が正しいのか分かんない。
「お前、何が言いてぇの?」
 不機嫌そうに訊かれ、お腹の底が熱くなる。
 悔しいのか、悲しいのか、怒りなのか、それもよく分かんない。平衡感覚すら怪しいのに、思考がまっすぐになるハズもない。
「だ、だって……」
 言葉に詰まって、おろおろと視線が揺れる。阿部君の怖い顔が見られない。
 だって、こんな外泊は不本意でしょ? 阿部君がよくたって、あの人に悪いでしょ? だって、よく分かんないけど、妊娠中って大変、でしょ?
 そんなとき、もしオレなら、側にいて欲しいだろうなって思う。例えトモダチの家だとしても、簡単に外泊して欲しくない。無理してでも帰って来て欲しい。
 あの「マキちゃん」って人だって、そうなんじゃないのかな?

 ホントのホントの本音では、オレ以外の誰かを優先する阿部君なんて、見たくない。
 「嫁さんいるから、帰るわ」なんて言われたらきっと、ショックだと思う。そんなの聞きたくないし、考えるのもイヤ、だ。
 けど今、あの人のことをちっとも考えてない阿部君を見て、それもイヤだなって思った。
 ここにいるのは、オレの阿部君じゃない。阿部君は、オレのものじゃない。
 こんなキモチワルイ独占欲、迷惑だろうし、オレだって早くなくしたい。もうこれ以上、引きずっていたくない。
「や、やっぱり阿部君、帰って」
 ふらつく体にムチ打って、ベッドからそっと足を下ろす。
 トランクス1枚なのは気恥ずかしいけど、男同士、だし、気にしない。
 財布を探すべく、脱ぎ捨てたデニムのポケットを探ろうとすると、阿部君が不機嫌そうに「何だ、それ?」って声を上げた。

「こんな時間に帰れって? 終電ねぇっつっただろ!」
「た、タクシー代、出す、よ」
 取り出した財布を突き出すと、「ふざけんなっ」って叩き落とされた。
「そんなにオレに帰って欲しいのかよ? なんで? 女でも来んの? こんな散らかった部屋に、誰が来るんだよ?」
 雑然とした部屋をざっと見回し、あざけるように言われて、カーッと顔に血が上る。
 どんなに頑張って格好つけても、モテないんだって見透かされた気がした。
「違っ、誰も来ない、よ! そ、そうじゃなく、て」
「そうじゃなくて、何? さっきから何言ってんの?」
 畳みかけるような問い。ぽんぽんと早口で責められて、頭の回転が追いつかない。

 言い返したいのに上手く言い返せないの、もどかしいなって思った。
 悪い癖だなって思うのに、涙がにじんで来て止まらない。酔ってるせいもあるかも知れない。冷静に話せない。
「オレじゃなくて。阿部君、帰んなきゃいけない、でしょ?」
 手の甲で涙をぬぐいながら言うと、「なんで?」って食い気味に訊き返された。
「い、家で、待ってる人……」
「いねぇって」
 言い終わらないうちに、重ねられる言葉。苛立ってる風な彼が悲しい。どうしてちゃんと言ってくれないんだろうって、聞きたくないくせにもどかしい。
「だって、奥さんは?」

 自分の言葉に、ぐさっと胸をえぐられながら阿部君を見返す。
 そしたら阿部君は、ますます怒って「何言ってんだ!?」って大声を上げた。
「てめぇの頭ん中は、女のことしかねーのかよ? 自分が結婚願望あるからって、オレまで一緒だとか思うんじゃねぇ! 見合いだとか、結婚だとか浮かれて! よかったな、清楚で可愛い女が見つかってさ!」
 ぐいっと胸倉を掴まれて、ドンとベッドに突き飛ばされる。
 阿部君は大股で部屋の隅まで行き、ダンボールから見合い写真を取り出した。
「こういうのがお前の好みか」
 責めるように言われ、ふん、と鼻を鳴らされる。
 白いワンピースのあの写真だと、すぐに分かった。ぽいっと床に捨てられて、そんな仕打ちにもぐさっと来た。
 オレに結婚願望なんてない。見合いを受ける気になったのも、阿部君のせいだ。阿部君の側にあの人がいるなら、オレだって、って思っただけだ。
 それを、どういえば分って貰えるんだろう?

 出会ってから10数年、ずっと阿部君だけを一途に想い続けてた訳じゃない。オレだって、オトナだし。30歳目前、かなわない恋に憧れる程コドモじゃない。
 なのになんで、こんなに気持ちが乱れるんだろう?
 酔ってるせい? それとも、いろんなことがショックだから? 滲むだけだった涙がこぼれて、ひくっと嗚咽が混じってくる。
「オレが好きなのは、阿部君、だよ。でも、す、好きだからって、どうしようもないじゃない、か。阿部君には、もう、大事な人、いる、じゃないか」
 突き飛ばされたベッドから、腕を突いて起き上がる。
 トランクス1枚で、半泣きで、酔っ払ってて、格好つかなくてミジメだ。どさくさに紛れた告白に、阿部君がきょとんと眼を見張る。
「何言ってんの、お前?」
 静かな問いに、ぐさっと胸が切り裂かれる。

 痛い。痛い。胸が痛い。失恋なんてハジメテじゃないって思うのに、涙があふれて止まらない。
 その人の名前を、口にするのも痛かった。
「マキちゃん、って?」
「はあ?」
 怒り混じりの声も痛い。あの人には優しい顔で笑ってたのに。
『タカヤさん』
 弾んだ声で阿部君の名前を呼んだ、あの人の後ろ姿が目に浮かぶ。
 どんな顔してたか、髪形も服装も覚えてない。ただ、お腹が大きくて、一目で妊婦さんだって分かって。そんだけで頭が真っ白になった。

「え……マキちゃんって……マキナ?」
 阿部君が、意外そうに彼女の名前を口にした。
 考え込むような一瞬の沈黙。そして――。

「ああ、もしかしてお前、見てたのか?」
 見透かしたような言葉と共に、納得したように笑われて、それにもまた胸が痛んだ。

(続く)

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あきゅろす。
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