小説 3
こわばる笑顔・6 (終)
オレの予想通り、三橋は先発じゃなかった。1回の裏、チェンジで出てきてマウンドに立ったのは、2年生投手だ。見る限り、本格派の速球投手みてーで、それもオレの予想した通りだった。
実力は拮抗してるみてーで、1回2回は得点のねぇままあっけなく終わる。チェンジする度に水谷が「花井ぃーっ!」と声をかけたけど、元・キャプテンがこっちを向くことはなかった。
「えーっ、聞こえないのかなぁ?」
「さーな」
水谷の言葉を適当に流しながら、ちょっとだけホッとする。
たった200席余りっつっても、やっぱ多いし。こん中に誰がいるかなんて、しかも試合中に、気にするハズもねぇ。
……谷嶋も三橋も、きっとオレに気付かねぇ。そう思うと、少し気が楽になった。
「1、2年生だけの練習試合なんだってね」
そんなどうでもいい話題に、「ふーん」と相槌を打ちながら、グラウンドに視線を落とす。
3回裏、花井らの攻撃。
打者1順して、2順目。そろそろ速球に目が慣れて来たんだろう。1番打者が、初球打ちでヒットを飛ばした。
カン、と響く木製バットの音は、馴染みが薄くて少し遠い。
2番打者はセオリー通りに送りバント、1アウト2塁で次のバッターは花井だ。
「はーないー! 打てーっ!」
水谷が立ち上がって、大声で声援を送った。
「座れ、って」
小声でたしなめると素直に座ったけど、水谷は笑顔だ。打ち気で初球を空振りする花井に、ははは、と陽気に笑ってる。
たかが練習試合、旧友が出るってだけなのに、なんでこんなテンション高ぇんだろう。
「いやー、練習試合、午後になってよかったよね!」
トーンの上がった声で言われ、「あー、そう」と適当に返す。
「最初、朝9時って聞いた時は、ちょっと見に来るの無理かなぁと思ったけどさ。見に来てよかった……おおーっ!」
カン、と乾いた音を立て、花井がセンター前に打球を飛ばした。ツーベースヒット。
点が入ったことに周りの見学者もドットわき、パチパチと拍手があちこちで鳴る。水谷がまた立ち上がり、歓声を上げた。
けど、今度はうるさいと思わなかった。周りの音が少し遠い。
「9時?」
9時――。
そんなことを聞いたような、聞いてねぇような、曖昧な記憶にドキッとする。やっぱ午前中だったんじゃねーか。いや、最初から見に来る気なんてなかったし、ちゃんとは聞いてねぇ。
正直、どうでもいい。どうでもいい、けど。
「そう、9時。あれっ、三橋から聞いてなかった? ねぇ、変更になってよかったよね〜」
裏のなさそうな水谷の言葉に、じわじわとモヤモヤが募ってく。
三橋のあん時の顔を見るに、多分オレが来るつもりねぇって、アイツにも分かったんだろうと思う。
何言っても無駄だ、って。
実際、そう、無駄だった。三橋に言われようが谷嶋に言われようが、来る気なんてなかった。水谷さえいなけりゃ、今すぐにだって帰ってもいい。
だから、三橋がオレに時間変更を伝えなかったのも、無理はねぇ。
言われたって、「分かった」って精一杯の笑顔で答えて、そんできっと終わりだった。
三橋に「聞いてねーぞ」って文句言うのは間違ってる。ムカつくのも、傷つくのも、自分勝手だ。オレのせいだ。分かってる。分かってるけど。
――三橋はやっぱ、ホントはオレに興味がねーんだな。そんな思いが後から後から湧き出て来て、なかなか消えてくれそうになかった。
大好きな野球に夢中になってる時、三橋はオレのこと、すっかり頭から消してんだろう。ちらっと思い出したりもしねーんだろう。
思い出しても、またすぐに忘れる。その程度の興味しかねーんだろう。
三橋の野球人生に、もうオレは必要ねぇ。
オレ程度の捕手なんていくらでもいる。それは三橋にも、そろそろ分かって来てんだろうな。
ドウッと、また周りの客席がわいた。
「2点目ぇーっ!」
水谷の陽気な声に、ハッとして目を向ける。
ホームベースを踏んだ花井が、ベンチに戻ってチームメイトに迎えられ、ハイタッチを繰り返す。
うちの大学チームはっつーと、捕手がマウンドに走り寄り、何やら投手と話をしてた。
マウンドに立つのは三橋じゃねーし、防具着けてんのもオレじゃねーけど。
『焦んな、1つ1つアウト取るぞ』
『うん、アウト、取る』
いつかのそんなやり取りがふっと脳裏に思い浮かび、たまんなく胸が苦しくなった。
「そろそろピッチャー交代かなぁ?」
水谷が、弾んだ声で言った。
「まだだろ」
短く答え、ホームに戻ってくる捕手をじっと見る。
もうこの回、これ以上の点は入らねぇだろう。そんなことを思わせる背中だ。予想通り、その後は連続の空振り三振で、ランナーを残したままチェンジになった。
三橋がブルペンに向かうのが見える。
気合の入ってそうな顔が脳裏に浮かぶ。
うちの大学も、1番からの攻撃。見知らぬ打者がバットを振りながらボックスに向かった。
どんな選手で、どんな打者なのか、さっぱり分かんなくてもどかしい。
なんで――もどかしいなんて感じてんだろう? どうでもいい試合の、どうでもいい打順なハズなのに。なんで、三橋のために打って欲しいって思ってんだろう?
自分で自分の気持ちが訳わかんなくて、顔がこわばる。
「来てよかったでしょー?」
水谷の問いかけに、「いや」とは言えなかった。
「帰る」とも言えなかった。「見たくねぇ」とも言えなかった。
「こういうの見てると、いいなーって思うよねぇ」
しみじみと呟かれる思いを、否定することもできなかった。
「野球やりたくなっちゃうなぁ」
「じゃあ、やれよ」
能天気な声に冷たく答え、目前の試合をぼんやりと見る。
1球目空振り、2球目ファール……。相手投手がこくりとうなずき、ノーワインドアップで3球目を投げる。
「阿部こそやりなよ」
水谷がそんなことを言ったのと、カン、と音がしたのは同時だった。
答える代わりに打球を目で追い、ファールになるのを無感動に眺める。
「さーな」と流すことも、ふん、と鼻を鳴らすことも、何もできないまま全身がフリーズした。
わあっ、と響く歓声。パチパチと鳴る拍手。
いつの間に誰が打ったのか、どんくらい呆然としたのか、試合についていけなくて、えっ、と思った。
水谷は、とうにオレから目を離し、グラウンドに向かって両手をぶんぶん振り回してる。
「みはしーっ! ガンバレーっ!」
そんな声援を、「やめろ」って止めることもできなかった。
ブルペンからベンチに戻る三橋が、ふっと顔を上げてこっちを見る。
200席少々のスタンドはほとんどが埋まってて、黙って座ってりゃオレらの顔なんて、見分けがつかねぇだろうって思ってた。
オレがいることも、水谷がいることも、三橋にも谷嶋にも見えねぇだろうと思ってた。
来てることを知られたくなかった。
目が合うなんて思ってなかった。
デカい目を見開いて、三橋がひゅっと息を呑む。
その顔が見る見るうちにくしゃっと歪んでくのを、オレはスタンドから眺めるしかできなくて――。
三橋の肩をミットで叩き、側に立って声を掛けるのは、三橋と同じユニフォームを着て、防具をつけた谷嶋だった。
(終)
※ニコル様:フリリクへのご参加、ありがとうございました。「笑顔の返事」の続編、阿部視点になります。この時点ではまだハピエンは遠そうですが、とりあえずはここで一区切りとさせていただきます。また何か細かなご要望がありましたら、修正しますのでお知らせください。ご本人様に限り、お持ち帰りOKです。
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