小説 3 信号は青だった・3 ぐるぐると目が回る。 目を閉じてても目が回るって、どういう状態なんだろう? 阿部君は? オレは? どうなったんだろう? みんなは? 「三橋さん、三橋さーん? 目を開けられますか、三橋さん?」 サイレンの音に混じって、耳元で知らない人の声がする。 「三橋、起きろ、三橋!」 一緒になって呼んでるのは、泉君の声だ。 泉君……あれ、一緒だったっけ? 一緒になって走ってたの、田島君じゃなかったかな? もうよく分かんない。 「痛、い」 頭が痛い。 背中も痛い。 胸も……痛い。ズキンと心臓に痛みが走る。 「痛い? どこが痛ぇーんだ、三橋っ?」 泉君の問いに答えられず、オレは小さくわなないた。 22歳にもなって「胸が痛い」なんて言いたくない。失恋して泣きそうだとかも、認めたくなかった。 オレがみんなといる時、阿部君はあの子とホテルにいたんだね。 だからケータイも留守電にしてて、メールの返事も来なかったんだ? オレより、みんなより、あの子が大事? みんなとの写メを送った時、何してた? さっき電話した時は? シャワーでも浴びてたの? ラブホテルで何してたか、なんて、考えるだけでキモチワルイ。 心が急激に冷えていく。 あの子を抱いた腕にもっかい抱かれるのは、ムリだ。 おしまいだって言ってやったら、後悔くらいするだろうか? 今日は大学の野球部の祝賀会なんじゃなかったの? それとも、マネジと祝賀会? なんでウソつくの? ねぇ、ウソついたの、今日が初めてじゃないよね? 「いた、い……」 じわっと目頭が熱くなって、ああ涙が出そうだな、と思った。 反射的に目をぬぐおうとしたけど、右腕が重くて持ち上がらない。 「手……」 オレの右手、どうなった? 肩は? ヒジ、は? ちゃんと動くのかな? ぞーっと鳥肌が立って来る。今すぐ確かめたいのに、まぶたが重い。 ドラフト決まったばかりなの、に。春からプロになれるのに。取り消しになったりしないよね、阿部君? 「手がどうした、三橋? 三橋!?」 泉君が叫ぶのが聞こえる。 鳴り響くサイレンの音。横になってるのに体が時々左右に振れて、車に乗ってるみたいだなと思った。 運転してんのは誰だろう? 阿部君? じゃないよね。阿部君はもういない。 「三橋さん、もうすぐ着きますよ」 誰かの声がするけど、誰だろう? どうしてサイレン、鳴りっぱなしなんだろう? 着くってどこに着くの? 家? 家まで送って貰えるの? 家に帰ったら、すぐに寝たい。体がだるくて、重くて――。 ああ、でも、荷造りしないと。 家を出よう。だって、もうおしまいなのに一緒になんて住んでられない。 大学の寮に、転がり込むことできるかな? ウィークリーマンションとか? どうせ元々、同棲は解消する予定だった。それが少し早まるだけだ。寂しくない。寂しくない。 阿部君にも前に言われた。 「いつまでも学生気分じゃいられねーぞ」 あの時は、言葉通りに受け取ったけど……もしかして同棲をやめるの、あの子のためだったのかな? オレとの同棲を解消して、あの子と一緒に住み始めるの? ドラフトで指名してくれた球団と契約が無事済めば、オレは球団の寮に移り住むことになっていた。 新人はみんな、寮暮らしするのが普通なんだって。 分かってたし、仕方ないし、勿論寮に入るつもりだった。「寂しいな」ってぼやいたのも、駄々をこねたかった訳じゃない。 ただ、阿部君にもそう言って欲しかっただけなんだ。「そうだな、オレも寂しいよ」って。 それ、怒られるほど悪いコト? 「お前なー、甘えんのもいい加減にしろよな」 同意が欲しかったのに、逆に厳しい言葉でなじられて、とっさに「ごめん」しか言えなかった。 「プロになるってのは、甘いもんじゃねーんだよ」 「そんなんでやっていけんのか」 「もっとストイックになったらどうだ」 「オレのコト捨てるぐらいの勢いでやれよ」 元々、口ゲンカで勝てたことないし、阿部君の言うことも、もっともだと思ったから、言い返すことはしなかった。 阿部君は正しい。 阿部君はスゴイ。 頭良くて、冷静で、いつもオレのコト考えてくれる。オレを正しい方向に導いてくれる。 オレが甘えそうになった時も、こうして叱って背中を叩いてくれるんだ。 そう思ったら、涙だって我慢できた。 けど――。 あの時、ああ言ったのは――オレのためってだけじゃなかったのかも知れない、な。 オレ、同棲を解消しても、付き合いは続くだろうって疑ったことなかったけけど。考えてみれば、そんな約束はしてない。 卒業するまでのつもりだった? その後は、あの子と付き合うの? もう付き合ってるの? 料理、美味いって言ってたね。ギョーザの皮も、自分で作っちゃうんだって? 食べたの、この間のギョーザだけ? もっと作って貰ったの? 「外でメシ食う事増えそうだから、当分晩メシ、作んなくていーぞ」 この間そう言われて、てっきり野球部のみんなと食べるんだと思ってたけど。あの子と一緒だったんだね? ガクガクンと衝撃が来て、ハッと思考が途切れた。 あんだけうるさかったサイレンが鳴りやんで、また違う人の呼び声がする。 「三橋さん、着きましたよ、三橋さん。意識はありますか? 目は開けられますか? 手を握ってみてください……」 女の人の声がして、温かい手がオレの右手を軽く握った。 『手ェかせ。おもっきし握ってみろ』 昔、阿部君に同じこと言われたの思い出す。 ああ、もう、なんであんな人のこと、考えてばっかなんだろう? 「痛い……」 目が熱い。 「どこが痛いですか、三橋さん?」 キビキビと尋ねる、女の人の声。 涙がこぼれ落ちるのが分かったけど、それはすぐに優しい指先にぬぐわれて、「男のくせに」なんて笑われたりすることも、なかった。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |