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小説 3
まなざしの行方・5
 三橋さんの口から隆也さんの話をもっと聞きたくて、私は翌日も彼の元を訪れた。
 昨日と同じ女性スタッフに案内されて、選手の方々の練習風景を見学する。
 三橋さんは他の選手の方々と一緒に、コーチがバットで打った球をグラウンドの片端から走って捕り、投げ返して反対側の端に走り去る……そんな練習を、何度も繰り返していらっしゃった。
 私など、あの広いグラウンドを端から端まで走ることさえ、きっと満足にはできそうにない。
 改めて、プロのスポーツ選手の方々の素晴らしさに感心した。
「三橋投手のお邪魔にならない時間に、お話しできますかしら?」
 スタッフにそうお願いして、しばらく黙って見学を続けた。
 ここで夜になればまた、たくさんの観客が集い、彼らのプレイに歓声をあげるのだろう。
 試合の始まる数時間前から、並んだり見学する人もいるらしい。

 隆也さんの真似をして空を見上げれば、切り立った囲いの上に青空が見えた。
 あの人がいつも遠い目をして想っていたのは、この空なのだろうか?
 個室から見た試合の時のように、色とりどりの風船が、一斉に飛び立っていく様子が目に浮かぶ。
 あれは夜だけ? 昼間に試合がある時は、青空にも風船が舞うの? 考えてみればそんなことも定かではなくて、自分の知識の無さに呆れた。
 これでは野球を見る資格がないと言われるのも当たり前か。
 いつか隆也さんと2人で、三橋さんの試合を観戦したいのだけど。もっともっと野球のことを勉強しなければ、いつまで経っても無理だろうか?

「私、恥ずかしながら野球を9人で行うことすら、最近まで存知ませんでしたの」
 正直にそう言うと、三橋さんは困ったように眉を下げて、「そう、ですか」って笑った。
「野球、お嫌い、ですか?」
「いいえ、とても興味深いと思っておりますわ」
 彼の問いににっこり笑って答えると、三橋さんがギクシャクとうなずく。表情がくるくる動いて、戸惑ったり驚いたりされているのが、よく分かる。
 今日も、私の顔を見てひどく驚かれていた。
 2日連続で押し掛けて、ご迷惑だっただろうか? こわばった顔を見て少し心配したけれど、彼の方から優しく挨拶をしてくださって、安心した。
 その笑顔が今にも泣きそうに見えるのは、眉が下がっているからなのかも。背も体格も大きい、立派な大人の男性なのに、どこか不安定で、魅力的だ。
 素晴らしい投手であるのは勿論だけれど、素直そうで、嘘がつけそうになくて、人間的にもとても好ましい方だと思う。

 けれど、だからこそ、彼の憂いが気になった。
 どうして三橋さんは私を見て、泣きそうに笑うのだろう?
 隆也さんと疎遠になったこと、もしかして後悔してるとか? だから、婚約者である私を見れば、彼のことを思い出してお辛くなるのだろうか?
「阿部君は高校時代、いつもオレの……投手の体調のこと、一番に考えてくれて、て……」
 遠い目をして過去を語る、三橋さんの顔をそっと見る。
 エースと正捕手、その絆がどのようなものか、観客席から見るしかない私のような者には、想像もつかない。
 一番の理解者? 一番の親友? 一番の……味方、だったのだろうか?
 それがどうして、疎遠になってしまったのだろう?

「阿部君は数学が得意だった、から、数学が苦手な仲間は、みんな阿部君、に、教えて貰ったん、です、よ」
「まあ、私も数学は苦手ですわ」
 私の言葉に、三橋さんがふふっと笑う。
 数学が得意な隆也さん、国語が苦手な隆也さん、スポーツ万能な隆也さん、お習字がダイナミックな隆也さん――。
 三橋さんの語る過去の隆也さんの話は、どれもキラキラしていて綺麗だった。
 まるで、大事にしまっていた宝石を、1つ1つそっと見せてくださったようにも思える。
「阿部と仲が良ろしかったのですね?」
 微笑みながら訊くと、三橋さんはなぜだかギクリと固まったけれど、それも一瞬のことだった。

「はい、多分」
 ぽつりと呟くような肯定。
 三橋さんの大きな目が潤んで、ドキッとする。
「いつも、オレを助けてくれまし、た」
 ほろ苦い笑みを浮かべて、三橋さんは空を見上げた。
「オレが2軍に落とされた時も……阿部君は、励ましてくれて。1軍に復帰できるまで、支えて、くれて……」

 その話を聞いて、ああ、と思った。
 入団2年目でオールスターに選ばれるくらい、人気も実力もあった三橋さん。その彼が、突然2軍落ちしたという記録は、少し調べれば分かることだ。
 それはちょうど、私が隆也さんに交際を願った頃と重なっていて、不思議なご縁だなぁと思う。
 もう3年ほど前のことになるけれど、あの頃確かに彼は、とてもお忙しそうだった。ではその当時、隆也さんは三橋さんを支える為に、多忙でいらしたのだろうか?
 ならば、そう言って下さればよかったのに。会いたい、声が聞きたい、と、随分ワガママを押し付けてしまったような気がする。

「……今は、阿部とは?」
 静かに訊くと、三橋さんは小さく首を振った。やはり疎遠なのか。
 寂しそうな笑みを見て、じわっと胸が痛む。
「どうしてですの?」
 私の不躾な問いに、三橋さんは首を傾げて綺麗に笑った。
「阿部君を、よろしくお願いします」
 答えの代わりにぺこりと頭を下げられて、とっさに言葉に詰まってしまう。
 三橋さんはキャップを目深にかぶり、もう一度私に礼をして、足早にグラウンドに戻って行った。

(続く)

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