小説 3
まなざしの行方・3
気になって調べてみると、三橋廉という人は、父の持つプロ野球球団の選手だった。
隆也さんと同じ27歳で、ポジションは投手。
入団2年目でオールスター戦に選ばれるくらい、人気の高い選手だったのに、その翌年いきなり2群落ちして、ケガか故障かって大騒ぎになったらしい。
結局、数ヶ月後には1群に復帰。奮起したのか通算15勝を上げ、今では球団を代表する投手の1人なんだとか。
なるほど、熱愛の噂がメディアで話題になるくらい、人気も実力もあるみたい。
父の持つチームの主力選手だというのに、恥ずかしながら、名前も顔もよく知らなかった。
熱愛報道のお相手はとても綺麗なタレントさんで、彼女が始球式をした時に知り合ったとか。
取材陣と揉み合いになった映像の中で、タレントさんは「ただの友人です」っておっしゃっていたけれど、どうなのだろう?
大人同士の世界ならば、交際をされていなくても、お食事に行かれるものなのだろうか?
同い年だし、隆也さんの知り合い?
知り合いがスクープされたから、彼はあんなに驚いたのかな?
あのアイスクリームショップで、いつまでも呆然とTV画面を見つめていた隆也さん。
「あ、の……?」
呼びかけて腕に触れると、彼はひゅっと息を呑み、私の手を振り払った。
ビックリして悲鳴を上げると、ようやく我に返ったみたいで、「ああ……ワリー」って。でも、様子がおかしいのは明らかだった。
「食った? なら出るぞ」
一方的にそう言われ、慌てて彼の後を追う。
歩幅を合わせてくれなかったのは、数年ぶりのことで。私を気遣う余裕すら失くす程の、彼の動揺に驚いた。
その後はデートの予定も全部キャンセルになって、私は早々に家まで送り返された。
「せめてお茶でもいかがですか?」
物足りなくて、家に寄るようにせがんではみたけれど、あっさりと断られてしまった。
「1人にしてくれ」
眉を寄せ、低い声でそう言われては、あまり食い下がってワガママも言えない。
初めて見る表情にドキドキしつつ、私は「分かりました」とうなずいた。
そんなことがあったから、私が三橋廉という人に興味を持つのは、当然のことだろう。
隆也さんにとってはタブーにあたるハズの、野球選手。
彼みたいな大人の魅力には欠けるけれど、色白でどこか育ちの良さそうな品があって、人気があるのもうなずける。
それによくよく考えてみれば、彼が2年目にして選ばれたというオールスター戦は、私と隆也さんの出会いのきっかけにもなった試合だ。
何となく、ご縁があるような気がして仕方なかった。
彼は、隆也さんとどんな知り合いなのだろう? プロフィールを見ると出身大学は違うようだから、対戦相手だろうか? ライバルだったとか?
学生時代の隆也さんのこと、彼に訊けば分かるだろうか?
隆也さんが――野球観戦を嫌う理由、どうして「資格がない」と思うのか、その理由に、心当たりはないだろうか?
選手名鑑の顔写真に写る、控えめな笑顔をじっと見る。
彼に会うには、どうしたらいいのだろう? 父の持つ球団の選手なのだから、父に言えばいいだろうか?
ああ、でも、なぜ会いたいのか、理由を訊かれたら困ってしまう。
婚約者のある身で、面識のない男性に会おうだなんて、きっといい顔はされないだろう。
父に頼らずに会うには……? そう思ったところで、世間を知らない私に、伝手を頼る以外の方法など浮かばない。
結局、球場の関係者に知り合いを探して、選手の練習を見学させて頂くことにした。
「両親には内緒にして下さい」
そう言って頭を下げると、「大人におなりですねぇ」と笑われた。
確かに、こんな風に秘密を作るのは初めてだったかも知れない。
小さい頃から、なに不自由なく育てられた。周りの人々はみんな私に親切で、どんなささいな頼みごとも、大抵すんなり叶えられた。
誰かに……家族に、秘密を作る必要性など、1つもなかった。
初恋の相手すら、そう、私は父に隠さなかった。
今まで特に気にしていなかったけれど、もしかして私は色んなことを、両親に頼り過ぎていただろうか?
『大丈夫、お父様に任せなさい』
そう言って、いつも私のささやかな願いを叶えてくれた父。
逆に、もし父に頼まなければ、叶わなかったこともあったのかな……?
球場の関係者出入り口に向かうと、あらかじめ連絡を受けていたのだろう。スーツ姿の女性スタッフが、笑顔で案内をしてくれた。
「どうぞ、お嬢様。こちらです」
にこやかに親切に先導されて、飾り気のない廊下をゆっくりと歩く。
廊下の先からは「うぉい」とか「うぇい」とか、大勢の男性の声と共に、カキーンと高い音が響いて来る。
「あの……これは、バットの音ですの?」
スタッフに訊くと、「はい」とにっこりうなずかれた。
「硬球が飛んで参りますと危ないですから、ネットの内側にはお入りにならないよう、お気を付け下さい」
丁寧にそう言われれば、素直に従うしかない。元より、どなたかにご迷惑をおかけするつもりはなかった。
グラウンドのすぐ上、ほんの近いところにまで降りて、全体をぐるっと見回す。こんな下の方にまで座席があるとは知らなくて、ビックリした。
いつも使用する個室用の座席は随分高いところにあるから、グラウンド全体が見渡せる。
けれどここに立つと、野球場というものは随分広い。
立ち位置が変わると、こうも見え方が変わるのか。何だか素敵な発見をしたような気がして、私はにっこりと微笑んだ。
「どなたか、選手をお呼び致しましょうか?」
女性スタッフの言葉に、「はい」とうなずく。
グラウンドは広く、そこで練習に励む選手はとても多い。彼がどこにいるのか、ここからはさっぱり分からなかった。
「三橋廉さんを、呼んで頂けますでしょうか?」
私のささやかな願いを聞いたスタッフが、グラウンドに降りてユニフォーム姿の中年男性に話しかける。
男性はちらりとこちらを振り向き、帽子を取って頭を下げた。
三橋投手が私の前に立ち、同様に帽子を取ったのは、それから間もなくのことだった。
(続く)
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