小説 3
まなざしの行方・2
私がねだれば大抵のところに連れて行ってくれる彼だったけれど、なぜか野球場デートだけは断られてばかりだ。
野球場で出会ったのに、不思議なことだと思う。
大学まで野球をやっていたと聞いているのに、もう興味を失くしたのだろうか?
ただ、そういう私も実のところ、野球が何人でプレイするスポーツなのかも、よく分かってはいない。
父の支配化にはプロ野球球団もあるのだけれど、選手や監督の名前すら、私にはよく分からなかった。
それでも、隆也さんに会いたい一心で球場に通っていた間、何度か個室から観覧した試合の熱気は、素晴らしいものだったように思う。
たくさんの人がみっしりと座席に座り、試合の展開にわぁっと声を上げる。
ライトアップされたグラウンド、大音量の音楽、応援歌、一斉に空を飛ぶ風船……。そんな光景を、あの思い出の球場の個室で、隆也さんとゆっくり見られたらいいのに。
夏の球宴、オールスターゲームならいいのだろうか? それとも、いっそ日米野球?
父の持つ野球場ではないけれど、父に頼めば個室くらい、いくらでも手配してくれるだろう。私はそう言って、一度隆也さんを観戦に誘った。彼の喜ぶ顔が見たかった。
けれど――。
「二度とそんなバカなこと言うな!」
彼はひどく腹を立て、大声で私を怒鳴りつけた。
「オレにもてめぇにも、野球観る資格なんかねーんだよ! てめーの父親にもな!」
それまで間近で大声を出されたことなどなかったから、心臓が止まるかと思った。
やんわりと諭されることはあっても、叱られた覚えなどあまりなく。ましてや怒鳴られたことなど初めてで、全身が硬直した。
怖いと言うよりも、ただショックで、ふうっと意識が遠くなった。
耳元で舌打ちの音を聞いたような気がしたけど、よく分からない。目が覚めると自分の部屋の自分のベッドに寝かされていて――隆也さんは、とうに帰った後だった。
一体何が彼の気に障ったのか、いくら考えても分からない。
あんなに怒られるなんて思ってなくて、とても怖かったし、恐ろしかった。今でもあの時のことを思い出すと、少し鼓動が速くなる。
それ以来、野球の話は彼の前でタブーだ。
野球場で出会った人なのに。子供の頃から大学生まで10数年、野球をやっていたハズなのに。どうしてそこまで嫌うんだろう?
彼の言う、「資格がない」とはどういう意味なのか、それもよく分からない。
ルールの分からない私はともかく、プロ野球球団や野球場を持っている父まで、なぜ?
それに――野球観戦こそしないけれど、試合結果はたまに気にしているようで、そのことも不思議だった。
どこかのチームに、お友達か知り合いでもいるのだろうか?
10数年も野球に関わっているならば、知り合いの1人か2人くらい、プロになっていてもおかしくない。
下手に指摘してまた怒鳴られたらと思うと、怖くて何も言えないけれど。何か事情があるのかな、と、私に分かるのはそれだけだった。
数年後には結婚する相手だと言うのに、隆也さんが何を考え、何を思い、何を大切にしているのか、私にはまだまだ分からない。
「あなたの1番大切なものは、何ですの?」
私の問いに、彼はまた遠い目をして空を仰いだ。
「大事なヤツの幸せかな」
端正な口元にほろ苦い笑みを浮かべ、短く答えた隆也さん。その様子が大人っぽくて格好良くてドキドキして、また1つ彼に恋をした。
仕事より休日より私を優先してくれるのだから……ねぇ、私のこと、大事に思ってくれてるんだと、うぬぼれてもいいのよね?
「今度、アイスショーに連れて行って頂けませんか?」
デートをねだりながら、高い位置にある彼の腕に手をかける。
「ああ、チケット取れたらな」
少しぶっきらぼうな口調、丁寧語を私に使わないところも、ドキドキするくらい大好き。
長い脚を、私の歩幅に合わせてゆっくり動かしてくれるところも好き。
前に怒鳴られた時は怖かったけれど、それ以外は本当に優しい。野球のことにさえ触れなければ、機嫌を悪くすることもないみたい。
彼は大人で、紳士で、頭が良くて、物知りで……基本的には、クールで冷静な人だった。
だから、そんな彼が動揺を見せたときは、本当に驚いた。
新しくできたという、行列のできるアイスクリームショップに、おねだりして連れて行って貰った時のことだ。
店内は混んでいたけれど、彼は目ざとく空席を1つ見つけ、私をそこに座らせてくれた。
店の大きなガラス窓からは、外の景色がよく見えた。
小さなイスに浅く座り、バニラアイスを堪能している私の側で、隆也さんは立ったまま、アイスコーヒーを飲んでいた。
たくさんの男女で混み合う、はやりのお店。
周りの人たちに、私と彼はどんな風に見えてるだろう? 家族や友人が言うように、誰が見てもお似合いだと思われるだろうか?
そう思って彼を振り向いた時――トシャッと音を立て、隆也さんの手からアイスコーヒーのカップが落ちた。
「きゃっ」
驚いて悲鳴を上げると、すぐに女性店員がモップを持って飛んできて、床のコーヒーを片付けてくれた。
「ごめんなさいね、ありがとう」
店員をねぎらい、礼を言う。
一方の隆也さんは、微動だにしないで窓の外を凝視してた。
その視線の先にあるのは、向かいのビルの壁の、大きなTVモニター画面。ニュースかワイドショーだろうか? 「スクープ」という文字が躍ってて。
――三橋廉、熱愛――
そんなタイトルと共に、揉み合う人々の映像が、画面いっぱいに映ってた。
(続く)
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