小説 3 まなざしの行方・1 (1010101Hitキリリク・社会人・阿部モブ注意・モブ視点) ※阿部にモブ婚約者(清い関係)がいます。モブ婚約者視点です。苦手な方はご注意ください。 幼い頃から、なに不自由なく育てられた自覚がある。 望んで叶わなかったことも、ほとんどない。 背がもう少し欲しいとか、胸がもう少し大きければ、とか、そんな悩みはあるものの、それで困るようなことはなかった。 お勉強、特に数学や理科は苦手だったけれど、それで叱られることもない。 あるがままに、等身大に、高望みしないで生きてきた。 優しい両親に、親切な友達。公平な学友に、教師たち。そして、いつも丁寧に接してくれる使用人。広い家、きれいな庭、使い心地のいい家具に、着心地のいい服……。 私の世界はすべて私に優しくできていて、それが当たり前だと思っていた。 初恋は、遅くて恥ずかしいけれど16歳の時。 ガラにもなく一目ぼれで、でも、だからこそ運命の出会いだと思った。 初恋は叶わないというけれど、その方と無事婚約できたのだから、私はきっと運がいいのだろう。 結婚するのは大学を卒業してからと決まっていて、それまでにみっちりと花嫁修業をするつもりだ。 将来子供ができた時に、幼稚園のお弁当1つまともに作れないのでは恥をかくし。彼にだって、できれば愛妻弁当を職場で食べて貰いたい。 8歳年上の彼は、とても優しくて紳士だ。 私がねだれば、遊園地にだってドライブにだって、どこにでも連れて行ってくれる。その後はちゃんと家まで送り届けてくれるし、門限に遅れることだって1度もない。 その点は私の両親からもとても信頼されていて、父や母が彼のことを誉めるたび、自分のことのように誇らしかった。 彼の名は、阿部隆也さん。 父の持つグループ企業には属していない会社の人で、今年27歳になる。 婚約者なのだから身内同然、と、父も何度か転職の打診をしたそうだけど、側近や秘書への起用どころか、グループ企業に入ることも断られているみたい。 コネや口添えの一切ない、実力だけが頼りの場所で、自分なりに頑張ってみたいんだとか。 その辺の志も、父のお気に入りなのだと聞いた。 甘えることなく、自分一人で前を向いて歩いてて、本当に素敵な人だと思う。 「いい青年を見初めたな」 ことあるごとに父から誉められ、私の方も嬉しかった。 16歳の夏、彼と出会えて私は本当に幸運だった。 父の持つプロ野球球場で行われた、オールスターだったか何だったか……とにかく特別な試合があったのを、個室で少しだけ見学して。その時に出会った人だった。 廊下ですれ違った時に一目ぼれして――以来、ずっとずっと恋してる。 彼はその時、どなたかに招待されてその場にいらしたらしいけど、それはずっと後になって知った話だ。 私はとにかく、その一目ぼれの相手にまたもう一度会いたくて、それ以来頻繁に球場の個室に通い詰めた。名前も何も分からなかったから、そうするしかなかった。 結局、その球場で再会することはできなかったけれど、私の球場通いを気にした父が方々に手を打ってくれて、そうして彼を探し出してくれた。 隆也さんは最初、「もったいない」とか「釣り合わない」とか、私との交際をお断りされたみたいだったけど、今はこうして婚約してくれているのだし、幸せだと思う。 「お父様に任せなさい」 そう言って、頼もしく請け負ってくれた父に、感謝してる。大好きだ。 彼のことも大好き。 背が高くて、格好良くて、ちょっぴりワイルドで、頭が良くて、紳士で。 パーティでどんな魅力的な女性に挨拶されても、ちらっとも視線を奪われない、硬派なところが素敵だと思う。 「女の胸なんか、脂肪のカタマリだろ」 って。そんな風に口が悪いところも、ドキドキするくらい魅力的。 胸が小さいことなんか、気にすることでもないんだって、自信が持てたのも彼のお陰だ。 小さい頃からずっと、大した波風もなく過ごしてきた。私の周りは穏やかで静かで清潔な、温室のような世界だった。 似たような境遇のお友達ばかりだったから、そういうものだと思い込んで、疑問に思う事もなかった。 そんな春の陽だまりの世界を、一瞬で真夏に変えてしまった彼――隆也さん。 私の知らないことをたくさん知ってて、話し方も、価値観も、基本的な考えも違っていて。そんな彼に、私が夢中になるのは必然だっただろうと思う。 この人と、数年後には結婚できるのだ。そう思うと、自分が世界一幸せなように思えて、自慢したくてたまらない。 ただ、1つだけ不満があるとすると……彼が紳士過ぎることだろう。 腕に手を絡めれば、歩幅を合わせて歩いてくれる。手を差し出せば繋いでくれるし、「ぎゅーっとして」ってねだれば、苦笑してハグもしてくれる。 キスだって。 去年までは「ガキが何言ってんだ」って笑われるだけだったけど、それが寂しくて情けなくて、不安で。我慢できなくて泣いたら、ちゅっと唇を合わせてくれた。 でも、それだけだ。 男は狼だっていうのは、恋愛小説の中だけなんだろうか? もっともっと求められたいって思うのは、はしたないことなのかな? ヴァージンロードを歩くときまで純潔を守るのは、良識ある女子の間では、当たり前のこと? それとも……他に何か理由でもあるの? 並んで街を歩いていても、時々ふと、遠い目をして空を見上げる隆也さん。 私よりもっと広く、もっと深く、世間を見渡すあの人の、視線の先には一体、どんな世界があるんだろう? (続く) [次へ#] [戻る] |