小説 3 鬼暮らし・2 2人で静かに暮らす山に、見知らぬ人間が迷い込んで来たのは、冬のある日のことだった。 鬼が帰ると、廉が困ったように戸口にいて――小屋の中に、招かれざる客が2人。「寒い、寒い」と震えながら、囲炉裏の前に陣取っていた。 ぷんと梅酒が香って、眉をしかめる。 酒を乞われて、廉がもてなしたのだろうか? 梅酒には腹下しを癒す薬効もあるから、「腹が痛い」と言われたのかも知れない。 鬼の不機嫌を敏感に察したようで、廉がびくっと肩を揺らした。 「ご、ごめ、なさ……」 うつむいて、ドモリながら謝る廉に、鬼は1つため息をついた。 「怒ってる訳じゃねーよ」 頭を撫でて、片腕でひょいと抱き上げる。 そのまま男たちの所に近寄ると、彼らは慌てて服装を整え、姿勢を正した。 初老の男と中年の男の2人連れだ。似てはいないので、親子ではないのかも知れない。冬山に入って来るには、あまりに軽装なように見えるが……。 鬼が値踏みするような目を向けると、初老の男が口を開いた。 「ああ、これはご主人様でいらっしゃいますか。お留守の内に上がり込んでしまいまして、大変失礼を致しました」 男はそう言って、鬼に丁寧に頭を下げた。 どうやら道に迷い込み、煙を頼りに歩いてる内に、ここにたどり着いたらしい。 以前住みついていた廃坑が現役だった頃の名残で、確かにこの辺りまでは麓から来られるようになっている。 すっかり廃れ、けもの道とも見紛うような道だが、それでも無いよりは来やすかろう。 煙か、と鬼はわずかに顔をしかめたが、口には出さなかった。 廃坑の中であろうと、小屋の中であろうと、外であろうと、火をおこせばどうしても煙は立ってしまう。 鬼1人なら冬の寒さぐらい我慢もできるが、廉と一緒なら、火を絶つことはできそうにない。だから、仕方ないのだと納得するよりなかった。 「この辺には村もねーし、資源もねえ。人が来るような場所じゃねーだろう」 鬼がそう言うと、男たちは調査に来たのだ、と、よどみなく答えた。 勤めている大学で、どこの山に何が生えているのかという、森林調査をしているらしい。 学問のことには興味がないので、さすがの鬼も、そう言われれば「そうか」と返すしかない。 学者という生き物は、いつの時代も小難しいことをご大層に考えているものだ。 「申し遅れました、わたくし三星大学で教授をしております、鈴木と申します。こちらは助手の佐藤です」 初老の男がそう名乗るのを、鬼は黙って聞いた。 鈴木も佐藤も、ありふれたよく聞く名前だ。 明治に入った頃の「平民苗字必称義務令」により、一斉に苗字を名乗り出したのだから、その際に新たに決めた者も多い。苗字など、素性をはかる指標にはならない。 けれど、廉はそうは思わなかったらしく、キョドキョドと視線を巡らした後、小さな声で名乗った。 「み、三橋廉、です」 そして、ちらっと鬼の顔を見るので、鬼も仕方なく名乗った。 「隆也だ」 自分でつけた名前なので、これも素性をはかるには無意味だったが……少なくとも、男たちを安心はさせたようだ。 廉もにっこりと笑っていた。 鬼が戻ったことで、安心したのだろうか? 廉の腹が、くぅー、と可愛い音を立てた。 恥らって真っ赤になる様子も可愛い。 鬼はため息をついて、廉の頭を軽く撫でた。確かにそろそろ、食事の支度をする頃だ。 「メシ作るか」 そう言うと、廉が嬉しそうに「うん」と笑う。 そうなれば、自分たちだけで食う訳にもいかない。鬼は仕方なく、男たちにも声を掛けた。 「あんた達もどうだ? 山暮らしだから、大したもてなしもできねーけど」 勿論男たちが、それを断るハズもない。 「おお、なんとご親切に」 「ありがとうございます。落とした荷物を回収しましたら、必ずお代は払います」 その言葉を聞いて、「落とした?」と鬼は訊き返した。 なるほど、だから軽装なのか、と合点がいく。 けれどそれより感じたのは、その落とした荷物とやらを見付けなければ、ずるずる居座られるのではないか、という懸念だ。 逆に言えば、その荷物さえ見つけてやれば、ここを追い出す口実になる。 「どの辺で落とした?」 鬼が尋ねると、「谷川沿いの崖の道で」と言われた。 谷川沿いで崖になってる道といえば、ここからかなりの距離がある。 崖と言うほどの高低差はなかったと思うが、ヒトの目から見れば崖になるのだろうか? ともかく、道もあったりなかったりの山奥だ。思いつく場所は一か所で、恐らくそこで間違いはないだろう。 鬼の足ならばほんのひとっ走りで着くだろうが、男たちにはやはり遠い。 「メシ食ったら、探しに行ってやろう」 鬼の言葉に、男たちは「とんでもない」と遠慮したが、鬼は「そうか」とは言わなかった。 その日の食事は、一度にたっぷり4人分作れるよう、鹿肉入りの雑炊にした。 囲炉裏にくべた大鍋で、ぐつぐつと煮込む。 匂いにつられたのか、男たちの腹も盛大に鳴り始め、廉がそれを聞いてふひっと笑った。 陽が暮れるまでに追い出したかったが、あいにく雪がちらつき始めた。 すぐにやむだろうとは思われたが、こんな中で無慈悲に追い出し、もしものことがあれば、廉が悲しむ。 荷物を取りに行ってやるのも明日に回すことにして、鬼は仕方なく男たちに酒を出した。 廉のもてなした梅酒ではなく、町で買い込んで来た日本酒だ。 寒い夜に、廉に卵酒を作ってやろうと買った安酒だが、男たちはそれで十分喜んだ。 満腹になったら眠くなったのだろう。やがて廉が、火の側で船を漕ぎ始めた。 彼らの学術的な話が、つまらなかったとも言える。 この辺りは杉が少ないとか、松が多いとか、樫の木や椎の木が多い山はどう、とか。酔いに任せて饒舌に喋りまくられるのには、閉口した。 森の在り方などに興味はなかったが、そうバッサリと切り捨ててしまうのもどうかと思われて、鬼は黙って喋らせるままにしておいた。 大学で教鞭をとる事や、研究が世間に認められる事、出世する事、そのどれにも魅力を感じない。 大事なのは、この愛おしい少年だけだ。 「廉、寝んなら布団に入れ」 鬼はそう言って廉を抱き上げ、小屋の隅にある手作りの大きなベッドに寝かしつけた。 いつもなら自分も一緒に布団をかぶり、そのまま寝てしまうのだが、他人がいればそうもいかない。 鬼は仕方なく火の側に戻り、男たちにさらに酒を勧めた。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |