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小説 3
追憶のカウントダウン・3
 火曜日。
 職場で生あくびを繰り返してたら、コトンとデスクにコーヒーが置かれた。
「お疲れですねぇ」
 揶揄するような声に目を向けると、浮気相手が横に立ってて、一気に眠気が引いていく。
「昨日は遅くまで頑張ったんですかぁ?」
 不自然な甘い声。
 オレがそういう媚びみてーなのを嫌うの、分かっててやってんだからタチが悪ぃ。
 含みのある言い方にもカチンと来た。他人に三橋とのこと、とやかく言われたくなかった。

「うるせーな、邪魔だ。下げろ」
 コーヒーを突き返すと、「えー」と平坦な声で言われた。余計にムカつく。
 ピリピリしてると、向かいのデスクから年配の社員に注意された。
「阿部君、女の子に八つ当たりは感心しないな」
 って。余計なお世話だっつの。
 腹立ち紛れに席を立ち、特に用もねーけどトイレに行く。その後、廊下の隅の自販機に寄って、栄養ドリンクを1本買った。
 甘ったるい炭酸を一口飲んだところで、後ろから声を掛けられた。
「ますますお疲れだね」
 振り向かなくても誰だか分かった。浮気相手だ。思わず、ちっと舌打ちする。

 オレの機嫌がワリーのも全く気にしねーで、女は「ねぇねぇ」とオレの腕に触れた。
 パッと振り払っても、怯みもしねぇ。
「土曜なら会える? ねぇ、お出かけしようよー。どこにも連れてってくれた事ないじゃーん」
「はあ? ざけんな。なんで……」
 なんでコイツなんかと? 三橋とだって、もうずっとデートなんかしてねーのに。
 胸の奥がつきんと痛む。
「なんでって、最近うちに入り浸りじゃーん。カノジョよりあたしと一緒の方が、くつろげるんでしょ?」
 くいっと腕を引かれて、ムカッとする。

「違ぇっつの、触んな!」
 鋭く言い捨てて、ドリンクの残りをぐいっとあおる。
 女んちに入り浸りになったのは、くつろげるからなんかじゃねぇ。家に帰りたくなかったからだ。
 家に帰りたくなかったのは、三橋に会いたくなかったからだ。
 三橋に会いたくなかったのは、会わせる顔がねぇからだ。浮気したから。
 浮気したのは――。

 ――少なくとも、三橋のせいじゃなかった。

 昨日の晩、三橋と裸で久し振りに添い寝して。どうすりゃいーのかも分かんねぇまま、オレはゴロッと壁を向いた。
 三橋がどうしてたのかは知らねぇ。
 視線はスゲー感じたけど、気のせいかも知んねぇ。ただ、静かに鼻をすする音を聞いた。
 泣いてんのは分かってたけど、壁向いたまま動けなかった。
 振り向いて抱き寄せてやるべきなんか? 腕に乗せて、抱き締めてやるべきなんか? なんで泣いてんのかを訊くべきか?
 ……三橋はそれを望んでんのか?

 せめて、三橋が呼んでくれれば。「阿部君」って、涙声でもいい、呼んでくれれば。すぐにでも振り向いて、向き合う準備はできていた。
 けど、三橋はオレを呼ばなかった。
 一晩中ずっと、どんな小せぇ声でも聞き漏らさねぇように耳を澄まして待ってたけど――三橋がオレを呼ぶことはなかった。

 これがホントに、三橋の求めるポリネシアン・セックスなんだろうか?
 ただ全裸で添い寝して。会話もねーのに。
 これで満足なのか?
 オレは何度も「ポリネシアン・セックス」をネットで調べ、色んなサイトを何度も覗き、何度もそこの記事を読んだ。
 いくら1人で考えたって、三橋の気持ちなんか分かるハズもなかったけど、何か答えが欲しかった。


 昨日食わなかったんだから、今日はさすがに用意してねーだろうと思って、また適当にメシ食って帰った。
 早く帰ったって気まずいだけだし、メシ屋のTVをちら見しながら、ビール2杯飲んでから店を出る。帰ったのは9時を過ぎてて――。
「お帰り。お風呂、できてるよ」
 三橋は昨日と同じ顔で、同じセリフをオレに言った。
 ダイニングテーブルにはメシの支度がしてあって、ちくんと罪悪感に胸が痛む。その痛みを誤魔化すように、怒鳴った。

「今更食わねーって分かってんのに、なんでメシ作るんだよ? イヤミか!?」

 三橋は一瞬目を見開いて、敵チームに大きいの打たれた時みてーな顔をした。けど、それもホント一瞬で。
「あ、べ君、が、そう思う、なら、そうなの、かも」
 静かな声でオレに言い返し、ゆっくりとうつむいた。
「でも、オレが作りたく、て、作ってるだけだ、から、阿部君は、気にしなくていい。阿部君のため、に、ゴハン作るのも、もう最後、だ」

 白い頬にまた一滴、涙がつうっと流れて落ちた。
 最後って言葉が、グサッと胸に突き刺さる。
「お前は……」
 ちゃんとメシ食ってんのか、と言いかけて、黙り込む。どうせ訊いたって、「食べてるよ」とか言うに決まってる。
 コイツは何でも1人で抱え込んで、限界まで我慢するヤツだ。他人に迷惑かけねーようにって、自分のコトは二の次で。だから、ホントに心配してるなら、一緒にメシ食ってやんねーといけねーんだ。
 分かっててそれができねーオレに、口先だけの心配なんかする資格もねぇ。

 三橋に投げつけた言葉のナイフは、いつの間にかブーメランに変わって、そのままオレに返って来てた。
 自分の胸に手を当てて、初めて痛みと傷に気付く。
 オレは今まで、一体どんだけ三橋を傷付けて来たんだろう? どんだけ三橋に痛みを与えて来たんだろう?
 どんだけ三橋は我慢した?
 このままでいいのか?
『オレの中の阿部君像は、今、最悪なんだ』
 前に言われた三橋の言葉が、今更のようによみがえる。
『イヤなことしか思い出さない』
 ホント、マジ、ブーメランだと思う。


 夜――再び裸で添い寝した時。オレが背を向けるより先に、三橋に背中向けられて、ドキッとした。

「さっきは……言い過ぎた。ごめん」
 ぼそっと謝ると、三橋もぼそっと「うん」と答えた。
 会話はたったそんだけで。オレは声もかけられず、三橋が静かに鼻を鳴らすのを、息をひそめて聞くしかなかった。

(続く)

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あきゅろす。
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