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小説 3
追憶のカウントダウン・1 (浮気阿部注意)
 ポリネシアン・セックスをして欲しい。

 三橋にそう言われたのは、付き合って10年目、同棲して6年目の、ある日曜の昼だった。
 オレは、浮気相手んちに外泊した帰りで――。
「遅かった、ね」
 ソファに座ったまま、顔も見ねーで責めるように言われて、ついブチ切れて怒鳴っちまった。
「うるせー、どうだっていーだろ! オレに構うな! ここにいたくねーんだよ!」

 逆切れだ。自分でも分かってた。けど、罵る声を止めることができなかった。罪悪感を知られたくなかった。
 いや、今まで三橋に浮気がどうとか、責められたことは1回も無かった。
 バレてっかどうかも分かんなかったけど、最近はオレも特に隠してなかったから、とうにバレてると思っていい。
 それでも何も言われなかったから、ますますエスカレートしたのもある。
 無茶苦茶だった。
 罪悪感の裏返しで、余計に三橋に辛く当たった。自分でも止められなかった。

「部屋は散らかってっし! 家中クセ―し! この家いたって落ち着かねーんだよ!」
 三橋を傷付けるって分かってる言葉を、次々とナイフみてーに投げつける。
 八つ当たりだってのは、はなから承知だ。オレと同じく平日仕事してんだから、掃除とか換気とか、おろそかになっても仕方ねぇ。
 でもそれくらいしか、三橋を罵るネタがなかった。
 どんな言いがかりつけたって、自分の過ちを正当化できるハズもねぇ。分かってた。ただ、それを三橋に指摘されたくなくて、余計にナイフで武装した。
 罵って、突き飛ばして、踏みにじって。それでもなおオレに取り縋る三橋の姿に、ホッとしつつもイラついた。

 けど、いつもなら「ごめんなさい」って泣きながら謝って、オレの機嫌とろうと必死になる三橋が、その日はなんか違ってた。
 今まで何度「別れよう」っつったって、「やだ」って、「捨てないで」って泣いて縋って来てたのに。

「別れよーぜ」
 冷たく言い放ったオレに、三橋はヒザを抱え、TVの方を向いたまま、こくんとうなずいた。
「わ、かった」
 そして、ゆっくりとソファから立ち上がり、ゆっくりとオレを見た。真っ白な顔で。
「でも、ひ、1つ条件が、ある」
「はあ? 条件? てめー、いつからオレにそんな口きくほど偉くなったんだ?」
 バサッと切って捨てるように言ってやったけど、三橋はそれにも怯まなかった。
 怯まずに。
「月末、ここを出てく、から。その前に――」

 ポリネシアン・セックスを。三橋はそう言って、挑むような顔をした。

 マウンドで、バッター勝負って時に見せた顔。一番いい球投げろ、って、オレのサインを見てうなずいた後の。
 久々にそんな顔を見せられて、ギクッとした。
 三橋が挑んでんのは敵チームの打者じゃなくて、オレで。
 ポリネシ何とかがどんなモンか知らなかったって事にも敗因はあったんだろう。とっさに反論できなかった。
「なんで……?」
 ぼそっと口からついて出たのは、我ながら覇気のねぇ声だった。

「今、オレの中の阿部君像は、最悪、なんだ。怒鳴られたこととか、冷たくされたこと、とか、帰って来てくれないこと、と、か。い、イヤなことしか思い出さない。10年付き合って、6、年、一緒に住んで。楽しいこと、幸せなこと、い、いっぱいあったハズ、なのに。辛い思い出しか、ない。だから……」

 三橋はドモリながらも一気にそう言って、そこで1度、言葉を切った。
 大きなつり目から涙が1雫流れ落ちて、三橋がそれをこぶしでぬぐう。その目元が真っ赤になってんのに、気付かねぇフリはできなかった。
「だから、最後に。阿部君」
 三橋は唇をわななかせながら、オレを見て続けた。

「最後に、キレイな思い出をくれ」

 それとポリネシ何とかとどういう関係があるんだ、とは訊けなかった。
 キレイな思い出って何なんだ、とか。最悪で上等だ、とか。言いたいことは色々あったけど、言葉にならなかった。
「……んな条件、オレがのむ訳ねーだろ」
 口から出たのは、地を這うような低い声、で。
 けど、それさえもう、三橋をビビらせることはできねーみてーだった。
「のんでくれ、ない、なら、オレたちの関係、みんなにバラす。会社、にも、オヤ、にも」
 震える声での不似合いな脅迫。
 そんな真似、三橋なんかにできる訳ねぇ。ビビりのくせに。そう思うけど――なんでか、反論できなかった。

 黙ってると、「決まりだ、ね」って言われた。
 あらかじめ用意してたんだろう、側にあった油性マジックを取り上げて、三橋がキュッとキャップを開ける。
 きゅ、きゅ、きゅ、と耳障りな音を立てながら、真っ白なカレンダーに丸を付けて行く三橋。一番下の欄の、月曜から土曜まで。そして31日、最後の日曜にはバツを。つけて。
「この日を最後にする、から。最後の一週間、オレだけにして。お、オンナのとこ、行かない、で」
 三橋はそう言って、カレンダーをぐっとオレに突き出した。

 笑ってるつもりなのか、薄い唇の端が少し上がる。眉を下げて、目を細めて、けどそんなのちっとも笑ってる顔には見えなかった。
 ああ、やっぱ浮気バレてたんだな、と――初めての追求に、ふっと楽になったような気がした。

(続く)

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あきゅろす。
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