小説 3 光巡る・6 ――デカい陰鬼が徘徊してるらしい。 そんな情報が、例のサイトの掲示板に書き込みされてたのは、榛名んとこに鶴を送った次の日だった。 ――どのくらいデカいんだ? ――3mくらいあるって話だ。 ――それはデマでしょう。有り得ない。 ―― 一般人の目撃談だろ? 恐怖でデカく見えただけさ。 3mってのはさすがに盛り過ぎだろうとオレも思う。陰鬼ってのは普通、大人の膝丈くらいしかねぇし。 それに薄い。一般人の目になんて、まず見えねぇハズだ。 デマか、話に尾ひれがついただけか――そう思うのに、笑えねーのはなんでだろう? 三橋から貰った熱が冷め、また冷たく凍った右手首を見る。 凍った部分はだいぶ小さくなったけど、それでもまだ黒い手形が残ってる。 これをつけた陰鬼は、確かに普通のよりデカかったし、黒かった。半分封印したとはいえ、あれからもう1ヶ月以上経ってるし……。 ふいにぞくっと背筋が震えて、オレはケータイから手を放し、三橋のベッドに潜り込んだ。 「ん……」 三橋が微かな声と共に身じろぎをした。ちょっと前に散々疲れさせたせいか、それでも起きる気配はねぇ。 柔らかな髪を撫でる。愛おしい光の青年。 目を閉じれば、三橋の光が闇を明るく照らしてくれる。縋るように抱き締めて、そっと震える息を吐く。 陰鬼の印が消えねぇ限り、オレはずっと逃亡者だ。逃げて、隠れて、匿って貰うしかねぇ弱者。 我ながら情けねぇとは思うけど、反撃するにはまだ、しばらく時間が必要だった。 再びその陰鬼の話題を見に行くのは、かなり勇気がいった。 やっぱ時間帯的にずれてるからか、新しい書き込みは見当たらねぇ。 ――徘徊の目的って何ですかね? 左手で苦労して、書き込みをする。 その後、こまめに確認はしたけど、朝になっても答えになるような書き込みはされなかった。 夕方まで待たなきゃいけねーんだろうか? つーか、まあ、デマが前提だとすると、徘徊ってのも嘘になるし。目的もくそもねぇか。 仕方なく、ケータイを置いて立ち上がる。 三橋が起きるのに合わせ、湯を沸かしていつものようにパンを焼いた。 今までは無防備な寝顔を見るたび、そんでその体の光を見るたび、心もずっと癒されて来た。 パンの焼ける匂いにつられ、ぱちっと目を覚ます三橋が愛おしくて、「おはよう」のキスも楽しかった。 「阿部君が、ここにいてくれて嬉しい」 そう言う三橋が、毎朝照れくさそうに「行って来ます」っつーのが好きだった。 なのに、今日ばかりは三橋を、笑って見送る事が出来なかった。「ああ」って返事しつつ、玄関先で抱き寄せて強引にキスをする。 薄い唇を割って舌を捻じ込み、甘い口中をむさぼると、ちょっとだけ不安がマシになった。 いくら日中でも三橋がいなくなると、途端に部屋が暗くなる。その瞬間が来るのが怖くて、なんか怖くて、できるだけ先延ばしにしたかった。 「ワリー、もうちょっと」 そう言って、腕の中に三橋を閉じ込める。 目を閉じると、光を囲ってるみてーで、温かくて眩しくてキレイだ。 ホッとする。 「あ、阿部君?」 三橋が戸惑ったように声を上げた。 オレの様子がおかしいのに気付いたかな? ドサッとカバンを落とし、ぎゅっとオレに抱きついてくる。 「阿部君、腕、痛い?」 三橋は恐る恐るそう言って、オレの右手首にそっと触れた。 じゅっと温かい光に包まれる。 癒し効果ハンパねぇ。はーっ、と安堵の息が漏れる。 「いや、痛いんじゃねーんだ」 三橋と抱き合ったまま、その肩口に額を預けて呟くように答えると、三橋は一瞬沈黙した後、「今日は休み、だ」と言い出した。 ぐいっと押し退けられる。 「はあ? おい……」 戸惑うオレの目の前で、三橋はさっさと靴を脱ぎ、部屋の中に戻って、羽織ってた上着をハンガーにかけた。 そしてベッドの縁に腰掛け、両手を開いてにへっと笑った。 「抱っこ、しよ」 って。何だそれ、子ども扱いか? けど、三橋に言われると、全くイヤな気分になんねーのが不思議だ。やっぱ癒される。 オレは苦笑して、三橋に誘われるままベッドに向かった。隣に座り、ヒザに乗らせると、ぎゅーっと首に抱きついてくる。 「オレが守る、だけじゃ、不安?」 こてんと首をかしげられ、マジ我ながら情けねぇなと思った。 「この間の、手紙の人、呼ぶ?」 って。榛名か? それとも使いっ走りのメガネか? どっちにしろ、信用してねーし呼ぶ理由もねーけど。 「大丈夫、心配してくれてありがとな」 ポンポンと背中を叩いてやると、三橋は首に抱き付くのをやめ、オレの顔を覗き込んだ。 色素の薄い大きなつり目が、心配そうにオレの顔を映してる。 「大学、いーのか?」 念を押すように尋ねると、三橋はこくりとうなずいた。 「オレがもし、不安になったら、阿部君に、一緒に、いて欲しい、って思う。だ、から、ギブ&テイクだ、から、いいんだ」 鼻息荒くキッパリと言われたセリフは、何だそれって思いつつも、妙に説得力があった。 ギブ&テイク、なんてドライな言い方してるけど、きっと無償でも手を差し伸べてくれるんだろう。 「側にいる、から、寝て」 そう言われると、「眠くねぇ」とは言えなくて、仕方なく素直に横になる。 気が張ってとても眠れそうにはなかったけど、光が見たくて目を閉じた。 すぐ側に座る光のカタマリがふわっと動き、オレの視界を一瞬で塞ぐ。目元を手で覆われたらしいと気付く。 まぶしいけど、癒された。 目元に当てられた光から、じわっと温かいモノが浸み込んで来て、網膜を癒す。視神経を。脳を。ゆっくりと光が、満たしていく。 「三橋、好きだ……」 思わずぽつりと呟くと、「オレ、も」って言われてキスされた。 可愛くて、ふふっと笑える。 3mを超える陰鬼なんか、いねーと思う。デマだ。バカだ。怖いと思うから怖いんだ。 オレはゆっくりと深呼吸を繰り返し、ようやくその結論を出した。 やっぱ昼夜逆転の生活は、よくねーのかも知れなかった。 (続く) [*前へ][次へ#] [戻る] |