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小説 3
阿部君のプロポーズ・中編
 栄口君が案内してくれたのは、各テーブルが1つ1つ板で仕切られた、一次会とはまた別の居酒屋だった。
「三橋、さっきあんまり食べてなかったでしょ?」
 栄口君はそう言って、オレにメニューを差し出してくれた。
 ホントに、やっぱりいい人だと思う。
「栄口君のカノジョさんは、幸せだ、ね」
 思わずぽつりと言ったら、栄口君は「誉め過ぎだよ〜」ってケラケラ笑ってたけど、オレ、ホントにそう思う。

 もしオレが、栄口君みたいに優しかったら……阿部君を傷付けるコトもなかったのかな?
 そしたらまだ一緒にいられたのかな?

 そう思った途端、止まったハズの涙がまたぶり返して困った。
 向かいの席から手を伸ばして、栄口君が頭を撫でてくれる。その手つきが優しくて、勝手だけど余計に泣けた。
 料理とお酒が来るまでの間、栄口君は何も言わず、しばらくオレをそうやって泣くままにしてくれた。


 阿部君と付き合い始めたのは、高校卒業する間際のことだ。
 どっちから告白……とかは忘れた。気付いたら両想いで、お互いにそれを知ってたみたい。
 あ、でも、オレの方は半信半疑だった。
 勘違いだったらどうしよう、とか、調子乗っちゃダメだ、とか色々考えた。
 大事だったし、うっかり間違って告白してフラれたら、大事な友情ごと失くしちゃうんじゃないかって、とても怖かった。
 でも、「お前オレのコト好きなんだろ」って阿部君が指摘してくれたから、オレも認めざるを得なくて――あれ、じゃあ、阿部君の方からの告白って事になるのかな?
 それともオレ?
 よく分かんないし、もう終わった事だから、思い出しても仕方ない、けど。

 最後はね、ののしり合いだった気がする。
 オレも阿部君も疲れてて、そんで、自分に甘くなっちゃってた。多分。
 オレが我慢すればよかったのかな? オレが黙って、理不尽だって思うコトにも黙って、「うん、ごめん」って謝って、やり過ごせばよかったのかな?
 でも、限界だった。
 大好きだった人にイラつくのも、大好きだった人にののしられるのも、限界だったんだ。
 顔も見たくないし、声も聞きたくないし、話ももう、したくなくなって――そんで、オレが家を出た。

 後悔はしてない、よ。
 あの時は、やっぱり出て行って正解だったと思う。あれ以上大好きな阿部君のコト、嫌いになりたくなかったし。
 でも……今日、考えちゃったんだ。あの時、オレが譲ってれば、って。
 そしたら……。
『近い内にプロポーズしようと思ってる』
 あんな阿部君の言葉、聞かないままでいられたのかな?


「おかしい、よね、阿部君は、とうに前に進んでた、のに。オレだけ、こんな……」
 そう言うと、栄口君は「大丈夫だよ」って、また頭を撫でてくれた。
 栄口君はすごく聞き上手だった。お酒の力も手伝って、心に溜まってた阿部君のコトを、いっぱいいっぱい聞いて貰った。
 「うんうん」って静かに相槌を打ってくれて、「分かるよ」って言ってくれた。
 オレのコトを否定しなかったし、阿部君のコトも否定しなかった。
 ただ穏やかに、向かい合ってお酒を飲んで。そして、「うんうん」って静かに話しを聞いてくれて――それが、とても嬉しかった。

 オレは話してる間、泣いたり泣きやんだりを繰り返して……泣き過ぎたせいかな、その内目を開けてるのが辛くなってきた。
 ビールジョッキを目元に当てて冷やしてたら、栄口君は苦笑して、店員さんに冷たいおしぼりを頼んでくれた。
「ほら、これで冷やしな」
「あ、りが、とう」
 受け取ったおしぼりを目に当てて、たどたどしくお礼を言ってたら、ふいに栄口君のケータイが鳴った。

「ごめんね、すぐ戻るから」
 ぽんぽんと頭を叩かれ、おしぼりを目に当てたまま、こくこくとうなずく。
 電話みたい、だ。
 トイレの方に行ったのかな? それとも、一旦店の外に出た? 
 ちょっと気になったけど、でもやっぱり目は開けていられなくて。おしぼりが気持ち良くて、お酒も回ってぼーっとしてて、胸の内を吐き出してスッキリしてて……心地よくて。
 だから、ちょっとだけ、栄口君が戻るまで――このまま居眠りさせて貰おうと思って、オレは意識を手放した。


 目が覚めると、見慣れた天井が見えた。
 いつの間に家に帰ったのかな? 記憶がない、けど。1人で帰れた? それとも栄口君が送ってくれたのかな?
 確か、栄口君と話してて――。
 昨日の記憶を辿りつつ、寝返りをうって、ハッとする。
「うそっ」
 驚いて跳ね起きたら、見慣れた部屋の中。見慣れたベッドの上。でも、そこはオレが「今」暮らしてる部屋じゃなくて。
「夢、かな?」
 呟きながら足を下ろすと、ふらついてドテッと床に転んだ。
 したたかに打ったヒザと手のひらが痛い。夢じゃ、ない。

 心臓がバクバクする。緊張に全身が震える。
 訳が分からなかった。だってここ、阿部君の部屋だ。何年も一緒に暮らした、オレが出て行った阿部君の部屋だ。
 見覚えのある天井、見覚えのあるベッド、見覚えのある窓、見覚えのある家具の配置――。
「な、んで?」
 やっぱり夢? オレが未練たっぷりだから、こんな哀しい夢見ちゃうのかな?
 戻りたくても、もう戻れないのに。

「……あ、べくんっ」
 涙が出た。

 でも。ひくっとしゃくりあげた時、カチャッと音を立てて、部屋の戸が無遠慮に開かれた。
「起きたか」
 大好きだった声が、低く響いた。阿部君がそこに立って、床にうずくまるオレを見下ろしてる。
「……まだ泣いてんのかよ?」
 呆れたような声。一瞬で心が凍りつく。
「ご、めん」
 オレはのろのろと立ち上がり、震える足を叱りつけながら、出口の方に向かった。

 状況はよく分かんないけど、多分酔いつぶれたオレを、親切な阿部君が連れて帰ってくれたんだと思う。
 っていうか、きっと皆に押し付けられたんじゃない、かな。
 メーワクだろうに優しくしてくれたのは、今が幸せな人の余裕、かも?
『近い内にプロポーズ……』
 昨日のセリフが脳に浮かぶ。それをぶんぶん首を振って消し去りながら、オレは阿部君の前に立った。

「おし、あわ、せ、に」
 ぺこりと頭を下げて、すれ違う。
 でも、「待てよ」と肩を掴まれ、ぐいっと無理矢理振り向かされた。
 真っ黒な目が、まっすぐにオレを射抜いてる。怖くて、好きで、またじわっと目が熱くなった。

(続く)

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